第7話
「春乃、ニュースのこと、私も見たわ。お気の毒……としか、正直言いようがないんだけど、あなた大丈夫? 無理してないでしょうね? お願いだから、変なことはしないで……」
留守電のメッセージで流れる音声を、ハルノは乱暴に切る。
それは母からのものだった。
けれども、ハルノはそれをほとんど聞くことなく、すぐにPCへと目を向ける。
座標入力、索敵開始。
反応ナシ。
座標入力、索敵開始。
反応ナシ。
座標入力、索敵開始。
反応ナシ。
どこまでもどこまでも、そんな文言だけが延々と並んでいる。
「クソっ!」
ハルノは机を強く叩く。
真っ暗な部屋にはハルノしかいない。時計は二十五時を示していた。
もうとっくに終電なんてなくなっているし、同僚たちも随分と前に帰ってしまったが、ハルノはまだまだ帰る気などなかった。
目の下の深い隈を、ハルノはごしごしと擦る。
──レディを、始末する。
ダフネのあの言葉が、ハルノの頭から離れなかった。
あれからダフネからの連絡はないし、電話をしても繋がることはない。
いや、わざと話そうとしないようにしているとハルノはすぐにわかった。
合わせる顔がないのだろう。ハルノが、絶対にそれに反対するとわかっているから。
ダフネの演説から、全隊をあげてのレディの捜索は進められていた。
何しろ国からの命令だ。
たった一人のヒーローにそこまで力を入れるというのは、国がどれほどレディ・エリュテイアという存在を頼りにしているかがわかった。
『あの人数でやる任務じゃねえんだよ、索敵も殲滅も全部レディ任せの力技だぞ。そのほうが資金も浮くっていう魂胆が見え見えだ』
シャロンの言葉を思い出す。
もし、あの任務にほかにも人がいたら、協力者がいたら?
レディは、行方不明になどなっていなかったかもしれない。
シャロンの言う通り、国がレディを利用していたのかもしれないと考えると、腸が煮えくり返ってしょうがなかった。
──探さなくちゃ、探さなくちゃ。
あの日から、ハルノはずっと一人こうしてレディの探索を続けている。
一縷の望みをかけて、ハルノは一人部屋に残る。
シャロンをはじめとした捜査部隊のメンバーはそんなハルノを止めようとしたが、何度声をかけても首を横に振る彼女に諦めて、何も言わなくなった。
日付が変わって、朝陽が昇っても毎日毎日こうして本部に残ってレディを探し続けるハルノの鬼気迫る様子は、あまりにも恐ろしかったのだ。
「ここもだめ、ここもダメ……あとは──」
深層部の探索は、深くなればなるほど難しくなる。
レディが向かったであろう場所を、特殊な遠隔レーダーを用いてくまなく探索してみるものの、痕跡はない。
唇を噛みすぎて血が出て、その傷口の上からまた傷ができる。
ひりつく痛みに気づかないほど、ハルノは集中して探索を進める。
ほかの隊員も何度もくまなく探した場所を改めて探し回り、少しでも証拠がないか確認していく。
──何か、何か少しでも数値が変わる場所は……!
座標入力、索敵開始。
反応ナシ。
座標入力、索敵開始。
反応ナシ。
座標入力、索敵開始。
反応アリ。
「ッ!」
ハルノは画面に飛びついた。
ほんの一瞬のわずかな数値の変化。それを食い入るように見つめるが、もうすでに数値が元の状態に戻ったその場所には何も反応を示さない。
「道は……道はどこ!? どうやったらここに入れるの……」
そこは、レディが向かった場所とはだいぶ距離が離れている。
深い森の中の、岩の谷の奥。
レディが向かった先や、当着地点などから考えても、その場所に居る可能性は低いと判断された場所だ。
けれども、ハルノはその場所を探さなければという直感が動いた。
何度もレーダーを動かしながら、ハルノは頭の中で考える。
──戦闘部隊に連絡? いや、でもそれだったらまた時間がかかる。
レディが今も戦っているかもしれない、命の危機に瀕しているかもしれない。
そう考えると、一刻の猶予も許されなかった。
そもそも、今はもう反応がないのだ。
ここにレディがいるかもしれない、なんて新入りの言葉を信じる者がどれだけいるかなどわかったものではない。
でも、この索敵結果が本当だったら? レディが本当にそこに居たら?
椅子に座ったまましばらく考え続けたハルノは唇を噛み締めて、焦茶色の髪を結えて立ち上がる。
防具服を纏い、ヘルメットを被り、装備を整える。
それは現場に出るとき用の捜査部隊の正装だ。
ハルノは鞄の中をじっと見つめる。
そこには、丁寧に包装された一冊の絵本が入っていた。
レディが戻ってきたら渡そうと思っていた、その“約束”が。
レディはヒーローだ。誰よりも強く、そして美しい英雄だ。
でも、ハルノは知っている。
ヒーローである彼女だって、普通の女性なのだ。万能でも、完璧でもない。
それを知った時、ハルノは自分がレディに抱いてた理想像が崩れた。
でもあの時に感じた感情を、ハルノは今なら説明できる。
今までよりもずっと、彼女を応援したくなった。助けたくなった。
どこにでもいるいたって普通の女性であるそんな彼女を、助けてあげたい。少しでも力になりたい。支えになりたい。
笑って、いてほしい。
だって、他に誰が知っているというの。あの人の、そんな姿を。
──必ず渡すと、決めたのだ。
絵本を、ハルノはリュックの奥に丁寧に入れ直す。
無謀なことをしているとはわかっていた。
レディがどうなっているかなど、ハルノにはわからない。
けれども、約束を破る気なんて、ハルノにはさらさらなかった。
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