第6話


 世界のスーパーヒーローであるレディ・エリュテイアが任務中行方不明になったというのは世界中にすぐに広まった。


 十年以上最前線で戦い続けた彼女の失踪には、さまざまな憶測が飛び交い、大規模な捜索隊も出され、懸命な捜索の進捗が毎日のように速報で流れてきた。

「なんていってもあのレディだぞ」「大丈夫だろ」「蹴り一つで山みたいな怪物を殺す女だぞ?」

 民衆たちはみな最初はそう言っていた。

 特に、レディの活躍をずっと見ていた世代の人々はそうだ。

 どんな大型の怪物も一人で倒し、カメラに向かって笑みを浮かべて見せる誰よりも強いスーパーヒーロー。


 そんな彼女に太刀打ちできるものなど、どんな怪物や人間を含めて今までこの世界に存在しなかったからである。


 けれども、捜索期間が一週間、二週間と過ぎていくうちに、最初はすぐに戻ってくると思っていた民衆たちの顔色も変わってくる。

 特にひどかったのは、一部の熱狂的なレディのファンだ。

 あまりにも人気のスターには、そういう存在がままあるもの。

 熱狂的に、そして妄信的に彼女を追っていた彼らは「レディを救え!」「国は何をやっている!」という立て看板を掲げて大規模なデモを起こし、暴力沙汰を引き越した。

 テレビから流れる血走った目をした人々の狂ったようなそんな姿を見て、ハルノは背筋が冷たくなり、同時に怒りが込み上げてくる。


 ──レディが今まで護ってきた、そして護ろうとした人々が、レディがいなくなったことで新しい怪物になってしまったかのように見えたのだ。


 そんな熱狂も、混乱も、彼女は絶対に望んではいないだろう。

 けれども、熱に浮かされたような民衆の姿をハルノは眺めることしかできない。

 他のヒーローたちも最近は怪物と戦うよりも彼らを宥める仕事の方が増えているとも聞いていた。

 ハルノは後方支援担当だからそれに直接関わってはいないが、毎日深夜までレディの捜索を続ける日々だった。


「やっぱレディって死んだんかなー」

「え、お前ああいうの興味あったんだ」


 駅前のチェーンの喫茶店。

 連絡が来るまで待機、という命令が下されたため、そこに入って珈琲を飲んでいたハルノの隣で、見知らぬ男子高校生二人組がそんな会話をしているのが耳に入った。 

「いや、フツーに芸能人見る目線で見てたぐらいだって」

「まあエロいもんな、胸でかいし」

「そうそう、グラビアとか出れば売れそうじゃんってずっと思ってた!」

 下世話な会話にハルノは珈琲を一気に飲み干す。

 そんな会話を耳に入れたくなどなくて、イヤホンをしようと鞄の中を漁る。

「でもさ、あれ殺せるバケモンっていんの? 」

「探したらいるんじゃねえの? いないとはいえねーだろ」

「ま、確かに。絶対とはいえねーよなあ。でもそしたら世代交代になんのかな」

「レディってだいぶ長いこと活躍してたんだから潮時じゃね? なあ次にくるヒーロー誰だと思う?」

「えー……オギュ様かな、それかフーシャ」


 ──レディは負けたりなんてしない! 死ぬはずがない!


 途端、胃の中が沸騰したように熱を持つ。

 完全にレディが死んだ体で会話を続ける二人組に苛立って、ハルノは顔をあげて咄嗟に彼らを睨みつけようとして、はたと気づいた。


『アタシは、そんなに強い人間じゃないんです』


 あの日、古書店にやってきた女性は、ヒーローというにはあまりにも普通で、ありふれた人だった。

 そんな人が、今も一人で戦っているかもしれない。

 

 ──自分の理想を押し付けてるのは、私もそうだ。


 自分は違うと、ハルノは思っていた。

 自分だけは、レディ・エリュテイアであり、ヴィオラ・リングストンをわかってあげたい、少しだけ近くに行けたのだと、勝手にそんなことを思っていた。

 けれどもやはり、そんな自分も思い描いた理想を押し付けていたことを、ハルノは自覚する。


『だって、そいつに全部任せようってなるだろ。そいつが全部なんとかしてくれるんだから』


 いつの日か、シャロンがそんなことを言っていたことを思い出す。

 あの人なら大丈夫、なんとかしてくれる。

 それは、民衆であり、そしてハルノの自分勝手な願いだ。


 そんな保障など、どこにもないというのに。


 これでは、看板を抱えてデモを起こしている民衆と、一体何が違うと言うのか。

 ハルノは深く深呼吸をする。

 胃の中を落ち着かせて、その炎を鎮める。

「自分で、できる限りのことを……やらなくちゃ……」

 ハルノは鞄の中から一枚のメモ用紙を取り出した。

 それは、あの日、ヴィオラ・リングストンから渡されたプライベートの連絡先だった。

 いつ連絡しよう、そう迷っているうちにレディが行方不明になったという報道が出てしまい、ハルノは電話をかけられないまま、そのメモをしまい込んでしまったのだ。

 そのメモをしばらくじっと見てから、ハルノは震える手で番号を入力する。

 プルルルル、プルルルル、と何回かコール音がしたあと、ガチャリと音がする。


「も……もしもし! リングストンさんの携帯で──」

「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません。ピーという発信音のあとに──」

「……ッ」

 ハルノの声を遮るかのように流れた自動音声に、すぐさま電話を切る。

 もしかして、なんてほんのわずなか希望を持っての行動であり、わかっていたはずであった。

 物言わぬスマホをじっと見つめることしかできないハルノは、唇を噛みしめる。

 できる限りのことをやる。

 そう決めたはずだった。けれども、今の自分にできることはあまりにも少なすぎる。

 そのことが、悔しくてしょうがなかった。

 けれども、手の中のそれがすぐに大きな振動を立てたのを見て、慌てて画面をタップした。


『捜査部隊、救護部隊はただちに本部の第二ホールに集合せよ』


 ハルノのスマホに届いたメッセージにはそう記載されていた。

 それは本部からの要請。

 ハルノはそれを読んで椅子から立ち上がる。

 隣の男子高校生たちは、突然勢いよく立ち上がったハルノの姿を見て一瞬ぎょっとした表情を浮かべていたが、すぐに仲間たちとの談笑に戻った。

 彼らにとっては、レディがいなくなろうがいないが、日常に差し支えることはないのだろう。

 それが酷く腹立たしくもあると同時に、仕方ないことだと思うハルノ自身もいた。

 そんな彼らの日常を護るために、彼らの後ろ、ハルノたちのように、どこかで必死であがいている者がいるのだから。


 それが、ハルノの仕事だ。


 ハルノが急いで本部の第二ホールに向かうと、そこにはすでに多くの隊員たちが集まっていた。

 列の一番後ろに並んだハルノの耳に、聞き馴染みのある声が届く。


「──皆も知っての通り、人類の最大にして最強の戦力であるレディ・エリュテイアが大型任務遂行中、行方不明となっている。この二週間弱、捜索隊の努力もむなしく、まったく音沙汰がない状態だ」


 檀上に立ち、マイクを持って話しているのはダフネだった。

 その横には、シャロンを含む各部隊の隊長が並んでいる。


「レディが行っているのは大型怪物の殲滅任務。これにはレディのほかに数名の戦闘部隊の精鋭たちが参加している。だが、レディを除いたそのメンバーも見つかっていない」

 ダフネがまだ報道されていない情報を口にすると、会場にいる人々がざわつく。

 それに「静かに」と冷たい声で押さえつけて、ダフネは続ける。

「今回集まってもらった理由はその件だ。国からも、隊で総力をあげての捜索を行うよう指令が入った。諸君らにはレディ・エリュテイア救出を第一に行う大規模作戦に参加してもらう」

 そこまで淡々と話したあと、一拍置いてからダフネは続ける。

「もちろん、生きているに越したことはないが、状況が状況だ。遺体を見つけた場合、それを回収してほしい」

「ダフネ博士! 現在レディが任務に向かった場所の周囲の状況を見るに、怪物に吸収、または苗床にされている可能性もありますわ」

 ダフネの言葉を遮るように、意見を出したのは救護部隊の隊長だった。

 薄い色のブロンドの長い髪を揺らめかせながら、スッと手をあげる。

「その場合、過去のデータを見ると、吸収された人間の戦闘能力によって怪物の身体能力も向上します。つまり──」

「言わんでいい。わかっている。その場合は始末するしかないだろう」


 ──始末?


 ダフネの口から出たその二文字に、ハルノは目を見開いて身体を大きく震わせた。

 「嘘だろ」「レディを?」というほかの人々の動揺した声でホールが満たされる。

 ダフネは再び「静かに!」と大きな声を出した。

「……お言葉ですが、過去には怪物に吸収されながらも生還した事例もありますわ。レディ・エリュテイアを救出するのが最優先ではなくって?」

 不満そうに救護部隊の隊長は言う。

 上品な見た目とは裏腹に過激で強気な人物であると有名な彼女の瞳からは不満がにじみ出ており、それを口ぶりからも隠す様子はないようだった。

「……もちろん、救出できるのであればそれが第一だが──」

「はは! レディを吸収した怪物からレディを救出するために何人死ぬんだろうなァ」

 今度はシャロンがホールに並ぶ人々の顔をじろりと見回しながら大きな声を出す。

 そして自嘲気味に横に立っていたダフネの方を向いた。

「なあダフネ! いつだったか戦闘部隊の坊やが寄生されたんだっけな? お前の教え子だったろ? あれを助けるのに何人死んだ? 八人だったか?」

「……十二人だ。シャロン。しかも──」

「その本人はその後三年以上ずっと昏睡状態で一度も目覚めずに死んだんだったな」

「……ああ、そうだ」


 話を遮られてもダフネは表情ひとつ変えなかった。

 いつも通りの気だるそうな表情で、よくある話だと言わんばかりに淡々と答えていく。


「だが、放っておけば大惨事になる。お前は何千人死なせたいんだ? シャロン。言ってみろ」


 ダフネの圧のある声に、シャロンは何も言わなかった。

 小さく舌打ちをして黙りこくる。


 怪物との融合。

 怪物にも種類がある。人を食べないもの、食べるもの、寄生して乗っ取るもの、精神を操るもの。

 ハルノも教科書でしか見たことはない。寄生型と精神操作型の怪物の出現は稀だからだ。

 だが、今回の調査結果によると、レディが向かった先にいる怪物は、寄生型の怪物がいるというのは、話の流れでハルノにもわかった。

 

「……しかし、今のはレディ・エリュテイアがもしも怪物に吸収されていた場合の話だ。もちろん生きている可能性もあるし、そうなることを心から願っている」


「だが、もし最悪の場合……多くの犠牲が出る前に、我々はそれに対処しなくてはならない。それが、我々の仕事だ。戦闘部隊はすでに動き出している」


 ちらりと、ダフネの視線が一瞬自分に向けられたような心地をハルノは感じた。

 その視線に目を合わせられず、ハルノは足元を見る。

 自分の足が小さく震えるのが見えた。


「全隊に命ずる。これよりレディ・エリュテイア救出作戦を行う。最優先目的はレディ、およびほかの隊員の救出、および、怪物により死亡していた場合は遺体の回収。

 また、彼らが怪物に寄生、操作されていた場合は──」



「即刻、始末せよ」

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