第2話
「捜査部隊、ですか……?」
「ハルノ、これは悪い話じゃない」
むしろきみにとってはいい話だと思う、と白衣を着た薄い褐色肌の女性は大きく頷く。
ぎいぎいと古びた椅子を軋ませながら座る女性の前に、ハルノは立っていた。
「ダフネ博士、でも……私は……」
「きみがヒーローになりたいとずっと思っていたことは知っているさ。きみが努力を怠らない真面目な人物であることもな。むしろ知らないとでも?」
ダフネと呼ばれた女性はどこか皮肉げにそう言いながら艶やかな黒髪をガリガリと乱暴に搔きむしる。
気だるげな雰囲気を持った彼女の顔を見て、ハルノは視線を少し下に向けた。
──ヒーローになるためには、養成校を卒業する必要がある。
年に数度ある認定試験を合格し、卒業すると、国が所有する災害特殊対策部隊の中の戦闘部隊・捜査部隊・救護部隊・開発部隊などの部隊に分かれて活動することになる。
戦闘部隊になった者は通称、「ヒーロー」と呼ばれて、現れる怪物と直接対峙することとなるのだ。
危険が多いが、花形の職業で人気も高い。
それになるのが、ハルノの小さい頃からの夢だった。
「でもな、ハルノ。向き不向きというものがあるのはきみもわかっているはずだ。認定試験に落ちるのはこれで何回目になった?」
「八回目です……」
「何が原因だと思う?」
「身体能力と、反射神経のテストで……いくら頑張っても、基準値にいかなくて……」
純粋な身体能力の不足。
ヒーローになるための認定試験にハルノが落ちる理由はそれだった。
居心地悪そうに俯くハルノを、ダフネはじっと見つめる。
「八回か、なかなかそこまで落ちる生徒はいない。というか、そこまで挑戦しようという心意気がある生徒がいない、というべきか……」
「う……」
項垂れるハルノに、ダフネはしまった、とばかりに姿勢を直す。
そして、机の上の棚から数枚の書類を取り出し、それをハルノに差し出した。
「だが、きみは索敵の分野が非常に優秀だ。八回の試験の中で、これは全てほぼ満点の成績を残している。身体能力は高くても敵の探知が苦手な生徒が多い中、これは素晴らしい能力と言えるだろう」
「ありがとうございます、博士。でも──」
「先日、捜査部隊の部隊長から打診があった。ぜひきみに捜査部隊に入ってほしいというスカウトの誘いだ」
ハルノの言葉を強引に遮るように、ダフネは強い口調で言った。
「これまでの成績を鑑みて、捜査部隊に来るのであれば今回の試験を合格とする特別対応を取ると言っていた」
「……」
捜査部隊は部隊の中でも専門性の高い隊であり、だれでも入れる場所ではなかった。
そこに特別対応でスカウトされるというのは、その分野で優秀な成績を残した者だけ。
それに選ばれたというのは、光栄なことではあった。
けれどもそれは同時に、ハルノの幼い頃からの夢を完全に諦めるということを意味する。
卒業後、他部隊から戦闘部隊への移動は怪我などを除き、ほぼありえない話だからだ。
「……戦闘部隊じゃなくてもいいんじゃないか」
少しだけ、ダフネのその声は優しくなっていた。
ダフネは忙しい身でありながら、かつて数年間自分の担任をしてくれていた人で、面倒くさがりのようでいて、面倒見のいい彼女がハルノを心配しているのはハルノ自身にもよくわかっていた。
「……少し、考えさせてください」
ばたんと音を立ててハルノは部屋を出る。
ダフネからのお呼び出しはこれで何度目だろうか、とため息をついた。
***
「おお、ハルちゃん。お疲れ」
「おじさん、こんにちは。ちょっと早いけど来ちゃった」
「助かるよー、ありがとう」
ハルノは養成校の建物を出て電車に乗って数駅先へと降りる。
そして駅からの一本道を少し進み、古びた一軒の書店に入ると、背負っていたリュックを下ろしてレジへと向かう。
レジ前の椅子に座って新聞を読んでいた中年の男の店主は顔を上げてハルノを見た。
「そうだそうだ。ちょっと俺買い物に行ってきたいんだけど店番任せちゃっていい?」
「もちろん、行ってらっしゃい」
ハルノは頷くと、店主の男は立ち上がり、慌ただしく準備をしながら店を出ていく。
その背中を見送ると、ハルノは店先に置いてある雑誌を一部取り、ハルノはレジの椅子に座りながら、肘をついてそれをぱらぱらとめくった。
一人暮らしをしているハルノの住むアパートから近いこの書店はハルノのバイト先だった。
古い本を中心ではあるが、一般的な雑誌も置いてあり、ハルノは客がいない時はそれをよく読んでいた。
「月刊ヒーロー特集」と表紙に記載されたその雑誌から、一番大きく取り上げられているページでハルノは手を止める。
『レディ・エリュテイア 湾岸部に出現した怪物を一網打尽!』
見開きのページには、怪物と対峙するレディの写真。
そして、怪物を倒してカメラに向かって満面の笑みを浮かべるレディの写真もあった。
十年以上怪物と戦っている彼女が世界最強のヒーローであることは、全国民が知っていることだった。
「すごいなぁ、レディは……」
思わず独り言をハルノは呟く。
世界的ヒーロー、レディ・エリュテイアがヒーローとしてデビューしたのは十六歳の時だ。
ヒーローの社会は男性が多く、しかも十代という若さでデビューするのは珍しい。
とはいっても、どうせ世間の荒波に揉まれ、すぐに見かけなくなるだろうと思われていた彼女は、そんな民衆の度肝を抜いた。
また、ヒーローになるためには、養成校に通い、そこの卒業試験に合格した後、戦闘部隊に入る必要があるというのにレディはそれすらなかった。
イレギュラー中のイレギュラー。
それは今までありえなかった事態だ。
戦闘部隊に入ることなく、突如として名も知られていないうら若き才能あふれる少女をヒーローとしてデビューさせる公表され、フリーランスのような形で、突然ヒーローとなったのだ。
当時は大反対や議論を醸し出した。
金のため、知名度のため、ヒーローをビジネスにしている、などなど。
何しろ、レディのスポンサーとして後ろについていたのは、世界的にも有名な会社ばかりだったからだ。
けれどもそんな民衆の意見は、少女の「才能あふれる」姿を目の当たりにして、黙り込むこととなる。
どれだけ走っていても息を切らすことのない圧倒的なスタミナと、得意の蹴りを主流とした抜群の身体能力。
ほかのヒーローが三人以上かかって討伐する巨大な怪物の頭上から、流星のように落ちて、あっという間に仕留めていく。
まるで彼女への挑戦状のように、海辺、山、住宅街に現れた怪物たちへ、一歩もひるむことなくやってきては、誰よりも勇敢に立ち向かう。
彼女はそんな怪物たちをいつも難なくぶちのめし、強気に、そして獰猛に笑って見せる。
今まで登場してきたヒーローの比ではない、圧倒的な戦闘能力。
努力だけではここまではいけない、生まれついての才能としかいいようがない、凄まじい
一匹、二匹、三匹、彼女の怪物の討伐数が増えていくとともに、その人気もうなぎ上りになっていく。
──誰よりも強い、負けなしのヒーローの少女は、全世界の憧れの的となり、少女はあっという間にトップヒーローへと上り詰めた。
他のヒーローたちからの嫉妬も羨望ももちろんあるけれども、誰もレディ・エリュテイアには敵うことはなかった。
戦闘能力があまりにも違いすぎて、話にならないことなど、彼らが一番わかっていたからだ。
プライベートはほとんどわからない美しい金髪と、ゴーグル越しの青い瞳を輝かせる少女。
そしてカメラに向かって見せる無邪気でありながらも強気な微笑みはマスコミをまたたくまに虜にし、彼女を追いかける者たちで溢れかえったのだ。
そこから十年以上経っても、彼女、レディ・エリュテイアに敵うヒーローはいない。
未だ現役でトップを走り続けている彼女は、全ての人々にとっての憧れの的であり、英雄であり、希望と平和のシンボルマークそのものであった。
そして、そんな彼女に憧れてヒーローを目指す者は倍増した。
彼女のデビューをきっかけに、ヒーローになれるかどうかの基準も大幅に難易度が上がり、ヒーローになるには何よりも身体能力がものをいうようになったのだ。
それは一般的な「身体能力が高い」というだけでは到底足りない。
鍛錬に鍛錬を重ね、そしてレディのように生まれ持った才覚も持った者だけが「ヒーロー」になることができる、とても狭き門となった。
ハルノと同じように、レディに憧れてそうなりたいと願う者はみなその試験を受け、合格、または不合格となり、挫折していく。
むしろ、そこで捜査部隊にスカウトされたハルノはかなり運がいいと言えるほど。
ハルノ自身、それを一番よくわかっていた。
ハルノは指で雑誌の中のレディの蒼い瞳をなぞる。
幼い頃に間近で見たあの瞳と何も変わらないそれを。
ハルノは今年で二十歳になった。
養成校に居続けるのもそろそろ限界の年齢だ。進路について、本気で考える時間はとうに来てしまっている。
このままヒーローになれるまで頑張るか、捜査部隊としての進路を進むか。
彼女のヒーローはずっとこうして輝き続けているというのに、ハルノは彼女の足元にも及べない。
そのことが歯痒くて悔しくて、仕方がなかった。
「あの……」
そんなことを悶々と考えていたからだろうか。
店に客が入ってきたことにハルノは気づかず、そしてその客がレジの前に立っているということに、声をかけられてからハルノは初めて気が付いた。
「あ、す、すみません! いらっしゃいませ! なんでしょう!?」
ハルノは慌てて椅子から立ち上がる。
レジの前に立っていたのは背の高い女性だった。
小柄なハルノの優に頭一つ分以上は背丈は上だろう。
それはこの国では別段珍しくもないが、それよりもハルノの目を引いたのはその佇まいだった。
背中まで届く長い豊かな金髪を持ち、シャツにジーンズを合わせたシンプルな服装をした女性は、ベースボールキャップを被り、サングラスかけ、マスクをしていた。
そして服の上からでもわかる鍛え上げられた抜群のプロポーション。
まっすぐ背を伸ばして立つその姿があまりにも凛としていて、しかも顔を隠しているものだからどこかの芸能人だろうかとハルノは驚いてしまったのだ。
立ち上がったハルノに女性はびくりと少し身体を震わせて一歩下がる。
「えっと、その……」
けれども、意を決したように、女性はかけていたショルダーバッグの中からおもむろに何かを取りだすと、それをハルノによく見えるように差し出して見せた。
「こ、」
恐る恐る、と言わんばかりの声音で女性は口を開く。
「この本の続編って、置いてますか……?」
女性の手の中、まるで宝物のように大事そうに差し出されたのは一冊の絵本であった。
「『ファニー・プレップの冒険』?」
思わずハルノは表紙の文字を読み上げる。
鮮やかな色で赤い髪の女の子が表紙に描かれたそれは、明らかに子ども向けの絵本だった。
「も、もうこの本自体が絶版になっていて、通販とかでも買えなくて、でもこの書店は絵本もたくさん置いてあるって聞いて……だから来たんです……」
女性の手から差し出された古びたそれに目をぱちくりとさせるハルノに、女性は縋るような声で言った。
「すごく大好きな本で、続編があるのを最近やっと知って……どうしても欲しくて……」
女性の声が萎れていく。
その様子から、彼女が何軒もお店を回って長い時間その本の続きを探し求めているということがハルノにもわかった。
「うーん、あったかな。ちょっと探してみますね」
その本をどこかで見たような気もして、けれどもどこにあったかまでは思い出せず、ハルノは絵本の棚へと向かう。
古い古書店であるここにはパソコンは置いていない。
棚を一段一段目を凝らすように見て、慎重に探すけれども、女性の求める絵本は見当たらないようだった。
心配そうな顔でそんな様子を見ている女性の元に戻ると、ハルノは気まずそうにそう言った。
「すみません、うちの店にも置いてないみたいで……」
「そう、ですか」
どこで見たのだろう、とハルノが内心頭のどこかで考えながら伝えれば、女性は小さく肩を落とす。
「お時間取らせてしまって、すみません。ありがとうございました」
女性は気にしないでと言わんばかりに小さく首を横に振る。
そしてハルノに背を向けて店を出ようとする。
けれどもその瞬間、ちらりとサングラスの下から悲しそうな蒼い瞳がちらりと見えて、ハルノの心臓はどくんと大きく波打った。
「……っ!」
その瞳を、見間違うわけもない。
──レディ・エリュテイアだ。
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