第15話 治療

「奥様」


 母屋へ戻ると、ルードが懐から封筒を差し出してきた。


「こちら、頼まれておりました侯爵家に関する調査報告でございます」

「ありがとう」


 ルードと別れたフリーデは部屋に戻ると、文章に目を通す。

 侯爵家の家計は予想通り、火の車らしい。

 侯爵家は各地に領地を持っているが、今年は猛暑の影響で不作だったようだ。それでも贅沢を続け、当座の資金をよりにもよって高利貸しに頼ったらしい。


 ――なるほど。これじゃ、私から返事がなくて焦るのも分かるわね。


 父にとって、フリーデはこれまで従順な金づるだったのだから。

 しかしこれからは違う。彼らの要求に従うことは一切しない。

 今のフリーデにとって、侯爵家というものは何でもない。



 その日は朝から、ルードを先生に領地経営について学んでいた。

 彼がギュスターブが戦争で留守をしている間、伯爵家の家計の切り盛りをしていた。

 フリーデは今後何が起こるのかは大まかには分かるし、現代の知識があるとはいえ、経済に明るい訳ではない。少しでもルードから領地経営のノウハウを学びたいと思い、時間を作ってもらったのだ。


 氷事業や、魚の適正価格での販売が幸を奏したことで、領地の収益は順調に上向いているから、すぐにどうこうなるという心配はないけれど。


「――ということでございまして、北部ではやはり木材や魚、獣の毛皮などの自然の恵みを主な輸出品としております。しかしながら相手は自然のもなので不漁であったりと安定しなかったわけです。ですから奥様が起こした氷事業は、今や立派な領地の収入の柱となっているわけでございます。氷であれば不作や不漁ということもございませんから」

「ルード。あなたの苦労がしのばれるわね」

「いいえ。奥様のなされたことにくらべれば……」

「そんなことないわ。あなたが商人たちと価格交渉をしたり、家具に仕えそうな上質な木材を手に入れるために需要の高い木に植え替えたり、領地を安定させようと工夫をしていたことは資料を読めばわかるもの」

「恐縮でございます」


 ルードは少し頬を赤らめた。


「それにくらべてギュスターブ様は。戦争戦争戦争。戦争にどれだけお金がかかるか分かってないのよ」

「いえ、そんなことは! 伯爵様はこの土地を想って……。あ、もちろんそのことで奥様がどれほど寂しい思いをされたか、このルードはよく知っておりますが……」

「かばう必要ないわ。この土地を想ってって言うけど、他国の領地戦に顔をだしてばかりじゃない。やっていることは、まるで傭兵だわ。とても爵位を持った貴族のすることとは思えない。第一、自分の身に何があったらどうするの? 後継者もいないのに……無責任よ」


 ルードは口を開きかけたが、結局、声にはならなかった。

 フリーデはつい、怒りにまかせて余計なことを口にしたことを恥じる。


「ごめんなさい……。あなたはギュスターブ様を慕っているのよね。あの人の悪口は言うべきではなかった。軽率だったわ」


 ルードは曖昧に微笑んだ。


「いえ、奥様がお怒りになられるのは当然でございます」


 フリーデはルードの優しさに微笑み、「それじゃ、続きをお願い」と促した。

 それからルードの講義は一時間ほどして終わり、フリーデは部屋を出た。


 ――……そう言えば、決して豊かではない北部で、私のドレスや宝飾品のお金は一体どこから出ていたのかな。


 夫に放置され、寂しさを埋めるように買い物に明け暮れた。そして実家から催促されては一度も袖を通していないドレスや身につけていない宝飾品をせっせと贈っていた。

 よく考えなくても、フリーデは穀潰しと言われても仕方ない生活を送っていた。

 ルードに聞きに戻ろうかと迷ったが、彼には領地経営の他、城内のことにも気を配る必要があるので、煩わせるのも申し訳ない。


 ――それくらい自分で調べればいいわよね。


 フリーデは図書室に向かう。

 本が日に焼けるのを防ぐため図書室はカーテンが閉まって薄暗い。

 過去の帳面は奧の棚にあるはずだ。


「えっと……帳面、帳面……」


 フリーデが指をさまよわせ、背表紙のタイトルを眺めていると、不意に突き上げるような揺れを感じた。


「っ!?」


 地震だ。

 バランスを崩したフリーデは背後にあった本棚に体をしたたかに打ち付けてしまう。

 地震は長く、大きい。

 その時、本棚がぐらりと傾ぐ。


 ――嘘でしょ!


 逃げないと。

 しかし揺れと体を打ち付けた背中の痛みでうまく歩けず。


「っ!」


 本棚がの下敷きになってしまう。

 揺れが収まる。


「……あ……だ、誰か……っ」


 声を出すと、体に痛みが走り、うまく声がでない。

 どうにか自力で抜け出せないかと体を動かすが、重たい本棚はフリーデの力ではびくともしなかった。

 誰かが気付いてくれるのを待つしかない。


 ――でも大きな揺れだったし、城内のあちこちで問題も起こってるだろうし。


 その時、扉が勢い良く開いた。


「フリーデ、いるか!」

「フリーデ様!」


 ギュスターブとユーリの小声だ。


「こ。ここ、です……」


 声を絞り出すと、二人が気付いて駆け寄ってくれる。


「フリーデ!」


 ギュスターブは重たい書棚を両腕で抱えて持ち上げると、ユーリがフリーデの手を掴んで引っ張ってくれる。

 二人の連携で無事に、フリーデは抜け出すことに成功した。


「ふ、二人とも、ありがとう」

「立てますか?」

「ええ……痛っ」


 立ち上がろうとすると、書棚がぶつかってきた右の脇腹に鋭い痛みがはしる。


「シオン先生を連れて来ます!」


 ユーリは廊下を飛び出していく。

 ギュスターブはフリーデの手を握ってくれる。温かく硬い手。

 弱っているせいだろうか、彼の存在に安堵している自分がいる。


「……どうしてここに私がいると?」

「お前が図書室に入るのを、メイドが見たんだ。それより話していて平気か?」

「喋っていると、気が紛れるので」

「これからはメイドや侍女を一人は連れて歩いてくれ」

「そうですね。気を付けます」

「お前が不用心と言いたいわけじゃないから勘違いするな。こういうこともある。今回はメイドが見ていたから良かったが」

「ええ、そうですね……本当に運がいいです」


 ギュスターブがしどろもどろになる様子に、思わず笑いがこぼれた。笑うと、脇腹がズキズキと痛んだ。


「先生、ここです!」


 ユーリとシオンが入ってくる。

 シオンが膝をつく。


「先生、お手間をおかけしてすみません」

「怪我人がそんなことを仰らないでください。どこが痛むんですか?」

「右の脇腹です」


 失礼します、とシオンが脇腹に触れる。


「10段階ですと、どれくらいの痛みですか?」

「6、くらいです」

「呼吸をしても痛みますか?」

「それほどは。ただ動くと、痛みが大きくなります」

「近場の部屋のベッドで診ます」

「俺がつれて行く」

「いえ、歩けます。これくらい我慢でき……あっ」


 しかし痛みのせいで足が萎え、うまく立てなかった。


「無茶をするな」

「ご、ごめんなさい」


 ギュスターブから一喝され、頭を下げた。

 ギュスターブは慎重に首と足をすくいあげ、抱え上げてくれた。右の脇腹に触れないよう、気を遣ってくれたおかげで痛みはほとんど感じず、ベッドに寝かせてもらえた。


「それでは服を脱がせますから、お二人は外に」

「俺は夫だ」

「ぼ、僕は…………えっと、フリーデ様は大切な人ですから!」

「二人きりにしてください。これは医者としての命令ですっ」

「二人とも、大丈夫だから。診断の結果はちゃんと教えるわ」


 ギュスターブたちは二人して少しいじけた顔をして外に出ていく。


 ――まったく。ユーリだけならともかく、ギュスターブ様まであんな顔をするなんて。


 笑ってしまう。

 服を脱いでの触診が行われた。結果は、打ち身だった。

 内出血を起こしているせいで青紫に変色して痛々しいものの、幸運なことに骨には異常がなくて安堵した。

 シオンは帝都から持参した薬を塗ってくれた。


「診察が終わりましたよ」

「で、容態は!? 平気なのか!?」

「先生、教えてください!」


 ギュスターブとユーリに迫られ、シオンはびくとした。


「二人とも、お、落ち着いて下さい。骨に異常はありませんし、打ち身です。薬を塗って安静にしていれば治りますから」


 二人は安堵の表情を同時に浮かべる。それを見たフリーデはまたおかしくて、笑ってしまった。


「では私はこれで」

「すまない、シオン」

「いいえ。何かありましたら呼んでください」


 シオンを見送り、ギュスターブとユーリはベッドのそばに椅子を置く。


「そういうわけなので、ギュスターブ様は領地のことを」

「……うむ……」

「ギュスターブ様、フリーデ様のことは僕に任せてくださいっ」

「メイドもいますし。地震の被害状況の確認を」

「……分かった。あとでまた様子を見に来る。ユーリ、頼んだぞ」

「はい。お任せ下さい」


 ギュスターブはユーリの頭を撫でると、後ろ髪を引かれつつも部屋を出ていった。


「フリーデ様、何か欲しいものはありますか? お水とか」

「大丈夫。ユーリ、そんなに心配しなくても平気。思ったほど悪くはないから」

「あ、あの……手をつないでもいいですか? 病気をした時とか怪我をした時、手を握っていると、安心できると思います」


 ユーリも母親にそうしてもらった経験があるのだろうか。

 フリーデは、ユーリの優しさに甘えさせてもらうことにする。


「それじゃ、お願い」

「はい!」


 ユーリの小さな両手が、フリーデの手を優しく握ってくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る