第14話 専門家

 手紙を送っておよそ半年という時間が過ぎていった。

 季節は初夏から秋――北部の秋は瞬きする間に終わり、南部が秋の行楽シーズンを過ごしているうちに、例年よりも早めの雪が降り始めた。


 十月の終わりに、シオンが馬車に大荷物を詰めて北部へやってきてくれた。

 フリーデは報告を受けると居ても立っても居られず、玄関ホールで出迎えた。

 シオンは栗色のおかっぱ頭に、眼鏡をかけた、少女と言ってもいい童顔だ。たしか今は二十代のはずだが、十代に見える。

 フリーデのほうがよっぽど年上に見えるだろう。


「はじめまして、シオンさん。私、伯爵夫人のフリーデと言います」

「は、はじめまして、奥様! シオン・クラスポーと申しますっ!」


 シオンは深々と頭を下げながら、フリーデが差し出した手を両手でがっちりと握り締めてくる。


「頭なんて下げないで。わざわざ帝都という素晴らしい場所での生活を捨てて、来てもらったのはこっちなんだもの」

「いいえ、私のような浅学の者を評価して下さるなんて感動です」


 どれだけ都で不当な扱いをされてきたのだろう。シオンは涙目だった。


「まさか伯爵様から直々にお手紙をもらえるなんて……これまで伯爵様には面識が一度もないにもかかわらず……くちゅん!」


 シオンが小さくくしゃみをする。


「ここは冷えるわね。さあ、奥へ。伯爵様は執務室よ」

「荷物がたくさんあるのですが」

「使用人が運んでくれるわ。……それにしてもたくさんね」

「はい。持ってこられるだけの蔵書を運んできたので」


 フリーデはシオンの少し前を歩く。


「ここまでの道中はどうだった? 今年はいつもより早く雪が降り出したから」

「はい、知識としては北部が雪と氷の世界だということは知っていましたが、こうして実際に目の当たりにすると、帝都では絶対に見られない自然の雄大さに感動いたしました!」


 シオンは目をキラキラと輝かせ、うっとりした顔をする。


「でも感動したのは自然の雄大さのせいだけではないんです。実は私……」

「あなたのひいお祖母様がこちらのご出身なのよね」

「! どうしてそのことを」

「あなたの書いた論文を、読ませてもらったの。あれは論文というより、あなたのルーツを記したもの、という印象だったけど」

「あはは、お、お恥ずかしい……」

「そんなことない。とても興味深かったわ」


 シオンのひいおばあさんは、百年前の寒波をきっかけに生まれ育ったを離れて、南部へ移り住むことになった。

 そんな話をしているうちに執務室に到着する。


「どうぞ」

「し、失礼いたします……!」


 シオンは緊張の面持ちで、部屋に入る。


「シオンさんを連れてきました」


 シオンは緊張のせいか手と足を同時に前に出るという不自然な歩き方で、ギュスターブの前へ出る。


「お、おおおおおおお……」

「お?」

「お初にお目にかかります、伯爵様ぁ! シオン・クラスポーと、も、申します……!」

「よく来てくれた。道中大変だっただろ。しっかり休んで、くつろいでくれ」

「きょ、恐縮でございます!」

「事前に手紙のやりとりで聞いていた通り、研究に必要な道具はできるかぎり、揃えた」

「ほ、本当ですか!? そ、そんなに私のことを買ってもらったありがとうございます!」

「いや、正直、俺はお前のことは知らない」

「へ?」

「お前を推薦したのは妻なんだ。新進気鋭の医者であると同時に、優秀な植物学者だと」

「夫人が……。あ、でも植物学のほうはあくまで趣味で、学者というほどではないのですが……」

「妻が信じる人間なら、信用できると考えた。追加で足りないものがあれば、言ってくれ」

「はい!」


 シオンは深々と頭を下げ、フリーデと一緒に部屋を出た。


「研究室はこっちよ」

「研究室?」

「ええ。屋敷の外に離れを新築したの。そこで日々の研究をやって」

「奥様。どうして私を推薦してくださったのですか? 初対面だと思うのですが」

「私は北部に嫁ぐ前は、帝都で生活をしていたの」

「そうだったんですね」

「あなたが、貧しい人たちのために仕事が終わると、貧民街に出かけていたことを知ってるわ」

「え!」


 原作知識だ。

 シオンたちのひいおばあさんたちが南部へ移り住んでいた時、一家はひどく貧しかった。

 北部より逃れてきた人々のために、ある医師が無料で診察をしてくれたおかげで、シオンまで命を繋ぐことができたという話に感銘を受け、医師を志した。そして貧困のために満足に治療を受けられない人たちのために、貧民街への往診をおこなっている。

 彼女が北部へ来られたのは、伯爵家が貧民街の診療所を開設するための資金提供を申し出たから、というのもある。


「まさかそんなことまで知って頂けていたなんて」

「そんな活動をされているあなただからこそ、北部の医療の発展に寄与してくれると思ったの」


 本館を出てすぐにところに建てられた離れへ案内する。

 まだ木材の香りがする。


「……すごい……ここを、私のためだけに……?」

「北部の医者であなたに師事したいという人のリストも作成してあるわ。人選はあなたに一任するから」

「何から何まで、このご恩は決して忘れません、夫人!」

「そんなに恩に着ることはないわ。あなたがもたらしてくれる研究成果は、北部を豊かにする一助になるんですもの。完全な善意ではない。私たちの利益になることだから」

「いいえ。領地を豊かにしようと思うのは、領主として当然のことですから」

「それじゃあ、早速で悪いのだけど」

「はい、なんでも仰ってください!」

「医師の育成と並行して、なたには北部の厳しい寒さの中でも育つ、食糧になる植物の研究を行って欲しいの」

「飢餓が発生しそうなのですか!?」

「いいえ。でもいつまた大発生してもおかしくないと考えている。北部の自然環境は人にとって厳しいものだから。常に最悪に備えておきたいの。是非、あなたの植物への造詣を遺憾なく発揮して欲しいと思っているわ」

「分かりましたっ」

「よろしくね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る