第2話

「そもそも、私の使命は、諸外国と対抗するために用立てられた筈のものだったのですが、帰国後は、あわただしい国内の政治事情に振り回されてしまいました。榎本さんたちは、帰国するとそれぞれ要職に就きましたが、私の活躍の場は回ってきませんでした。せいぜい、将軍の送り迎えと、薩摩軍とのちょっとしたいざこざに実力の片鱗をご披露したぐらいだったのです。 そうこうするうち、維新政府の西郷隆盛と幕府の勝海舟による江戸城の無血開城が決まり、江戸の町は新政府軍の支配下に置かれてしまいました。そして、それと同時に、幕府海軍は解体され、幕府が所有するすべての軍艦の新政府への引き渡しが決められてしまいました」


 だが、軍艦奉行で開陽の艦長になっていた榎本武揚は、幕府の陸海軍総裁である勝海舟と図って、幕府の主力艦開陽と他数隻の軍用艦の逃亡を決行したのだった。勝は維新政府を丸め込み、榎本は開陽を先頭に、8隻の艦隊を北へと進めた。この榎本の決断は、いまだ幕府再興の望みを捨てきれず、維新政府に反乱を起こした諸藩の残党たちの救援を目指したものだった。そして、反乱軍と共に奥羽の地で巻き返しを狙ったのだが、戦況はもはや新政府軍の方に傾いていた。そこで、上野の彰義隊や、新選組の土方歳三、大鳥圭介ら逃走してきた旧幕府軍の残党たちを艦隊に乗船させると、榎本軍団として北海道、蝦夷地を目指すことになったのだ。


 蝦夷の地の海岸を見つめながら一人の男が佇んでいる。風は穏やかに頬に気持ちよく、遠く夕陽が水平線に引き寄せられていくにつれ、鮮やかなグラデーションがはっきりとしたコントラストに代わっていく。そのシルエットが目の前に坐した鷗島だ。


「あの島の小高いところに敵の砲台があったはずだ。それを我らのクルップ砲が狙ったのだ」と、男はその嵐の中の砲撃を思い出していた。


「だが、そこに敵はいなかった。言わば田んぼの案山子に向かって戦を仕掛けていったようなものだ。そんな無駄なことに夢中になった挙句が、大切な開陽を失うことになるとは」 男は艦を弔いに来たのを忘れて、己の愚かしさへの恨みと悔しさに呉れていた。


「榎本さんが何をやりたかったのかは分かりませんが、北海道の函館近辺に降り立った榎本軍は、そのあたり一帯を治めていた松前藩と戦を交え、徐々に勢力を伸ばし、五稜郭に陣を構えたのです。そして、松前藩追いつめていた土方隊を援護しようとして、意気揚々と江差まで私を繰り出したわけです。それがある意味運命を左右することになったのですね。私も体力自慢でしたが、いくら抗おうと、北の海の厳しさは侮ることができません。結果は、思いきり身につまされる結果となりました」


 榎本は、頬に受ける冷たい風の中に、戦いで死んでいった仲間たちの叫び声が聞こえてきているはずだ。男は静かに瞼を閉じて佇みつくす。


「その後、私が海の中に没した後のことですが、榎本軍は、松前藩を蝦夷地から追い出すことにいったんは成功しました。そして、彼の胸中に、この蝦夷地において、戦いに敗れ国を追われた仲間たちと蝦夷共和国をつくるという新たな夢が生まれていたのです。もう、幕臣側でもなく、ましてや新政府側でもなく、この北の地に追いやられ、祖国から拒絶された彼らにとって残された道は、新しく生きていくための場所づくりを目指す以外にないと考えたのでしょう。そこで全員による民主的な選挙を実施しました。結果は、榎本さんが代表に選ばれたのです。 そして、榎本さんは、彼ら旧幕臣たちに北方の守りと北海道の開拓に当たらせるよう新政府に嘆願書を出したそうです。ところが、朝廷がこれに反発。新政府は黒田清隆が率いる政府軍を派遣、近代兵器を駆使して、激しい攻撃を仕掛けてきたのです。ついには、榎本さんが指揮してきた旧幕府軍は、土方さんをはじめ多くの戦友を失い、五稜郭を守り切ることができず、政府軍に白旗を挙げる結果となってしまったのです」

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