とりあえず、落ち着こうか、な?【KAC20246】

めぐめぐ

とりあえず、落ち着こうか、な?

 様々な人たちが食事やお茶を楽しむ喫茶店内。


 明るい雰囲気が満ちる店内で、不穏な空気が流れる空間があった。俺が座っている店の一番端――あまり客が通らない座席だ。

 静かに過ごしたい人にとっては、絶好のゆったりスポットだろうが、今は誰も近付きたくない場所へと変貌をしている。


「とりあえず、落ち着こうか、な?」


 俺は目の前の人物に言った。


 社会人になってすぐに付き合い、今で三年になる彼女、愛花に――


 *


『宗一郎に聞きたいことがある。だから今すぐここに来て』


 いつもの可愛らしい声とは違う低い声で告げられた俺は、指定された喫茶店へとやって来た。


 強い怒りを感じる声色のせいで、理由を電話口で訊ねるということが出来なかったからだ。いや恐らく、電話口で用件を尋ねたとしても、愛花は答えてくれなかっただろうと、今は思う。


 もう心臓がバクバクだ。

 一体何が彼女の怒りを招いたのかと、様々な記憶が流れては消えた」。


 指示通り喫茶店へとやってきた俺が席につくなり、愛花はこちらにスマホを指しだしながら言った。


「この女、誰よ」


 ピカピカに磨かれた画面に映し出されていたのは、俺が女と一緒に街中を歩く光景だった。女は左腕に大きいクマのぬいぐるみを抱えていた。物陰から撮ったのか、画面の端にはぼやけた建物の影が映っていた。


 少し遠目であるがどう見ても俺だ。

 愛花も分かっているはずだが、嫌みのつもりなのか、ご丁寧に画面をピンチアウトして、俺と女の顔の部分を拡大した。


 そして両腕を組みながら、怒りを押し止めた声色で話し出す。


「友達が撮って送ってくれたの。『1週間前に撮ったんだけど、これ、愛花の彼氏じゃないか』って。ねえ宗一郎、この女一体誰なの⁉ もしかして、二股かけてたとかナイよね⁉ 信じていいんだよね⁉」


 信じていいのかと聞きつつも、表情は怒りで満ち、声量も大きくなっていく。どう見ても、聞いても、俺を信じている様子ではない。


 だが彼女が突然呼び出した理由を知った俺は、


(何だ……このことか)


 と、胸を撫で下ろしていた。先ほどまでの息苦しさがなくなり、冷え切った両手に温度が戻ってくる。


 俺は、ゆっくりと口を開いた。


「とりあえず、落ち着こうか、な?」


 しかし俺の発言は火に油を注ぐことになり、愛花はテーブルを強く叩くと腰を浮かせながら俺に詰め寄った。


「落ち着いていられるわけないじゃない! 一体誰なのよ、この女‼ まさか本当に浮気なんて――」

「妹だよ」

「…………えっ?」


 彼女の言葉を途中で断ち切るように言い切ると、愛花は小さく声をあげて固まってしまった。俺の発言がまだちゃんと理解できていないのか、何度もマスカラを重ね塗りした睫毛を、バサバサと瞬いている。唇は、薄く開いたままだった。


 腰を浮かしたままの彼女に、俺は畳みかける。


「言ってなかったっけ? 俺、妹がいるんだよ」

「……え? 妹ってあの、地方の大学に通っている妹さん?」

「そうそう。この間、遊びに来たから、買い物に付き合っただけだよ。ほら、その時の写真、妹が送ってくれたんだけど見る? 俺が元気にしているところを親に見せたいって言って、何枚か写真を撮って帰ったんだよ」


 愛花が見せてという前に、俺はスマホを操作して、妹が送ってくれた写真を見せた。


 妹に無理矢理着けさせられたサングラス姿や、一緒にクレープを食べる妹との写真などを、フリックしながら次々に見せる。

 全て、とりとめにないシーンを写真に収めたものばかりだ。


「あ、このぬいぐるみ……友達が送ってくれた写真の女が持っているのと一緒……」


 UFOキャッチャーでとったぬいぐるみを抱きしめる妹と俺が並んでいる写真を見ながら、愛花が呟く。

 だが愛花の瞳には、まだ不安があった。


 仕方なしに俺は、自分と同じ名字の連絡先をタップすると、電話をスピーカーにした。数回の呼び出し音の後、妹が出た。


『もしもしー、お兄ちゃん? この間はありがとうねー。突然どしたの?』

「いや、ちゃんと無事帰れたかなーと思って電話した」

『はあ? もう1週間経ってるのに今更? あはは、意味わからないんだけど!』

「そういや、俺がUFOキャッチャーでとったクマの人形、大切にしてるか?」

『ああ、あれね。枕に丁度いいって、お父さんにとられちゃった。だからまたとってよ、お兄ちゃん』

「ああ、いいぞ。またこっちに来たときな」

『お兄ちゃんの写真見せたら、お父さんもお母さんも喜んでたよ。たまには、実家に帰ってきてよね』

「うん、まあ暇が出来たらな」

『そう言っていつも帰ってこないんだから! あ、私用事があるから、もう切るねー』

「うん、忙しいのに悪かったな」


 俺は妹に謝ると、電話を切った。


 前を見ると、シュンッとした愛花の姿が映った。彼女は俺の視線に気付くと、俯きながら蚊の鳴くような声で謝罪した。


「ご、ごめんなさい……私、宗一郎が浮気しているのかと思って、怒りで頭が真っ白になっちゃって……」

「ううん、俺もちゃんと妹のこと、言っておけば良かったんだ。ごめんな」


 素直に謝罪してくれる彼女に、俺は微笑みかけた。そして全てが解決したという安堵が、深い溜息と一言へと変わる。


「はぁー……でもほんっと良かったよ。


 次の瞬間、穏やかさを取り戻しつつあった愛花の表情が、般若へと変わった。ついさっきまで口角が下がっていた唇から、ドスのきいた低音が発される。


「……ねえ? 【そっち】ってどういうこと?」


 テーブルの上に置いていた砂糖のカラ袋をクシャッと握りしめながら、愛花が俺に迫る。


 先ほど以上の怒りを見せながら迫る彼女に、俺はこう言うしかなかった。



「と、とりあえず、落ち着こうか、な?」


<了>

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