2・森ノ宮 爽 使命

 翔太君に初めて会ったとき、まだ中学生だというのに人生を全て諦めたような眼をしていた。彼がこれまでどんなに苦しい思いをしてきたかを表す目だと思った。感情も乏しい彼が、私が飲み物代として五百円を渡したときわずかに笑みがこぼれた瞬間、どうしようもなく胸が苦しくなった。


 彼の父、淀屋橋修二は元刑事でかつて私の剣道の師匠だった。男から見てもかっこいいと思う、そんな人で、私はそんな修二さんにあこがれて刑事をめざした。そんな修二さんが大変な時、私はすでに刑事だったが何もできなかった。本当に、何も。修二さんの死は私の無力さを突き付ける出来事であったことは間違いない。


 彼が銭湯に入ったことを確認して、上司の福島慶吾に電話をかける。

「翔太君と札幌に向かっています。予定通り明日京都へ戻ります」

「例の件はもう話したのか」

あいかわらずだな、と思う。無駄な会話を福島さんはしない。

「まだです。とにかく今彼に必要なのは心身ともに立て直すことだと。落ち着いたら話すつもりです。」

心身ともに…。やせ細ったからだ、ぼさぼさでべたついた髪、ぼろぼろの衣服、サイズの合わない靴。靴を試着したとき、破れた靴下からはみ出した足の指は靴擦れができていた。それらを思い出して、私はどうしようもなくやるせない気持ちになる。温かい部屋で、お腹いっぱいご飯を食べて、安心できる場所で、暖かい布団でぐっすりと眠る。そんな当たり前のことが今彼には必要だ。

「そうか。わかった。何かあれば連絡を」

「はい」

電話を切ろうとすると福島さんかららしくない言葉がきこえた。

「森ノ宮を向かわせて正解だったよ」

言い終わるタイミングでブツっと電話は切れた。さっさと話せ、と言われるような気がしていたので意外だった。修二さんは新人だったころの福島さんの上司でもあったので、彼にも何か思うところがあるのかもしれない。


銭湯に入ると、翔太君は炭酸飲料の缶をギュッと握りしめていた。お風呂に入って服を着替えただけで見違えるようにきれいになっていて安心する。翔太君は私に気づくと申し訳なさそうに言った。

「すみません、僕臭かったですよね。お風呂から上がった時、ロッカーの中の脱いだ服がすごく匂っていることに気が付いて」

彼は下を向いて唇をきゅっとかみしめている。私は気の利いた言葉が思い浮かばず、ただ笑顔で大丈夫だよと彼の頭をなでることしかできなかった。

「お腹すいたでしょう。ご飯を食べに行きましょう。何か食べたいものはありますか」

そう聞くと彼ははっとした顔をしたが、すぐに下を向いて、なんでもいいです、とだけ言った。

「私はこの辺りに詳しくないのです。どこかおすすめがあれば知りたいのだけど…」

彼が外食をするような生活をしていないのは明白だったが、はっとした顔に私はかけてみることにした。

「あの、この近くに定食屋さんがあって。一度だけお父さんと一緒に行ったのですが」

ぽつりぽつりと彼は言った。


そこは地域の人に愛されているであろう温かい雰囲気の食堂だった。翔太君はハンバーグ定食を、私は豚汁定食を注文した。ハンバーグが運ばれてくると、翔太君は目を輝かせてごくりと唾をのんだ。食欲はあるようで安心する。いただきます、彼は手を合わせていった。

食事を終えると、翔太君の表情は明るくなったように感じた。顔色もよくなっているし、少しずつ自分から話をしてくれた。トマトが苦手だったけど食べてみたらおいしかった、とか、やっぱりお肉が好きとか、なにげない内容だけど、私はそれがとてもうれしかった。


 札幌に向かう車内は穏やかな雰囲気だった。翔太君は助手席で寝息を立てている。信号が赤になったタイミングで私のコートをそっと翔太君にかける。起きる様子はない、熟睡しているようだ。私はこれから翔太君に話さなければならないことがある。それは翔太君にとっておそらくとても辛いことだ。せめてそれまではゆっくりと穏やかな時間を過ごしてほしい。いつも以上にゆっくりとアクセルを踏む。


 5時間ほど車を走らせてようやく札幌についた。時間はまだ夕方の5時だというのにすでに真っ暗になっていた。眠っている翔太君を起こす。ホテルでチェックインを済ませて部屋へ向かった。翔太君は私と同室で構わないと言ってくれたのでそうした。夕飯に何を食べるか、ネットで調べることにした私たちは一緒にタブレット端末を覗き込んだ。


“札幌 夕食 おすすめ”と検索すると一番最初に海産物が出てきた。その次にジンギスカン、そしてそのずっと後ろにスープカレーが出てきた。

「スープカレーっておいしいのかな?スープって味が薄そうだけど。」

翔太君が言った。

「私も食べたことないのでわかりませんが、カレーというとドロッとし濃厚なイメージですから、それをスープにするとどんな味になるのか、ちょっと想像できませんね」

「野菜も大きいのがドンっと乗ってるんだね。それにこの大きいチキンすごくおいしそう」

「そうですね、野菜もお肉も煮込んでないから彩もよいし、このチキンは存在感がすごいですね」

話し合った結果、大きなチキンが乗ったスープカレーを食べに行くことにした。札幌駅の地下にあるそのお店のスープカレーは想像以上においしく、翔太君と私は夢中で食べた。チキンが柔らかい、とかごぼうがこんなにおいしいなんて、とか、スープだけど味がしっかりしているとか会話をはさみながら。


ホテルについて、ひと段落すると翔太君はぽつりと話し始めた。


「僕はお父さんが怖かった。お母さんが死んでから変わってしまった。お酒飲んで暴れるし、ギャンブルで借金作るし、でもたった1度だけすごく優しかった。お金ないから自分の大切なものを売ってハンバーグを食べに連れてってくれたんだ。優しい時の時お父さんはすごく謝るんだ。翔太、ごめんなって。別人のようだったからお父さんは二重人格ってやつなんじゃないかと思ったんだ。今日のスープカレー、優しいほうのお父さんにも食べさせてあげたかったな。」


翔太君の声がわずかに震えた。こちらを見ないのは泣きそうだからだろうか。


話す時が来た。

私は平静を保つために深呼吸してから話し始めた。


「翔太君。実は私はお父さんと知り合いなのです。私は君のお父さんに憧れて刑事になりました。勇敢で、優しくて、意志の強い修二さんを今でもとても尊敬しています。」

翔太君が驚いた顔でこちらを見る。

「優しいほうのお父さんが本当のお父さんだ。君を苦しめたお父さんはお父さんじゃない」

何が何だかわからないといった表情で翔太君は私を見る。当然だ。

「君を苦しめていたのはとても恐ろしい悪い霊なのです。君のお父さんはその霊に取りつかれてしまった。そして、君との生活を取り戻すために必死で霊と戦って、そして亡くなったのです」

翔太君は固まっている。


「これからどうするか。翔太君には二つの選択肢があります。一つ目は施設に入って普通の生活を送ること。2つ目はお父さんと同じように霊と戦う仕事に就くこと。よく考えてください」


外は吹雪になっていた。

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