まもるひとたち

わたあめ

1.淀屋橋 翔太 出会い

僕のお父さんは最低な男だった。


ギャンブル依存症でアルコール中毒。当然働かず、家にはお金もない。毎日のようにヤクザが借金の取り立てに来てはドアを激しくたたき大声で怒鳴るので、いつも気がおかしくなりそうだった。雨戸もカーテンも締め切った暗い部屋の片隅で膝を抱えて嵐が去るのを息をひそめて待つ生活。


そして昨日、お父さんが死んだ。薄着で外で酒を飲んで道のど真ん中で寝てしまったらしい。ここは極寒の北海道。凍死だった。


借金の取り立てに来たヤクザにそれを伝えるとヤクザは目を見開いて口元はかすかに笑みを浮かべて言った。

「お前、もう臓器売れや。」

中学生の僕に支払う能力がないことなんてお構いなしだ。僕はもうどうすることもできない。誰も助けてくれない。


「明日、迎えにくるからな」


明日、市の職員が僕を迎えに来る。身寄りがないため施設に行くと言っていた。もし、それよりもヤクザが来るのが早かったら。僕に待つのは死だ。とにかくこの家からでなければ。逃げ出して、市役所に行って…でも市役所ってどこなのか。この山奥の一体どこにあるのかも分からないが僕はとにかく必死で外に出た。


まぶしい。


暗い部屋に一気に太陽の光が差し込む。とっさに目をつむったところで、僕はまだ昼間だということを思い出す。ゆっくりと少しづつ目を開ける。ようやく目が明るさになれた時、ドアの向こうの人影に気が付く。ボロアパートに似つかない清潔でパリッとしたスーツを着た、長身の男性。その優しそうな男の人は毛玉一つないコートのポケットからその人には似合わない黒い何かを取り出して開いて僕に見せる。

「京都府警の森ノ宮です。淀屋橋翔太君、ですね?」ゆっくりと丁寧な口調で男は言う。自分の名前をこんな風に呼ばれたのはいつぶりだろう。


「はい、そうです」僕は法律を犯すような悪いことはしていないけれど、これから逮捕される犯人のような気持になった。

「これから私と一緒に来ていただけますか」

その人は中学生の小汚い僕に敬語で話す。

「明日には帰ってこれますか。施設に行く予定なんです。それに借金取りが…」

僕はなんとなく目を合わせられない。

「それならば心配はいりませんよ。」

驚いてその人を見上げる。森ノ宮さんは僕と目が合ったことを確認するとゆっくりときれいに微笑んだ。

「これから京都へ向かいます。あなたが生まれ育った町です。」


京都で生まれ育ったなんて初耳だ。


「詳しいことは後でお話いたします。ここに帰ってくることはおそらくもうありません。ここで待っていますから、荷物の準備をしていただけますか。下着や衣類はこちらで用意します。それ以外で必要なものを用意してください」

ふわふわとした気持ちで、だけど僕はごく自然に部屋に戻って準備をしようとしていた。仏壇にあった母の写真と、それからなんとなく父の財布を手にした。僕には持っていくものなんてそれくらいしかなかった。


僕が部屋を出ると森ノ宮さんは笑顔で迎えてくれた。車からしっかりとしたつくりのきれいなトートバックを取り出し、写真と小汚い財布をまるで宝物を扱うかのように入れてくれた。

「さあ、行きましょう」

森ノ宮さんは車の助手席を開けて僕に乗るように促した。ぼろぼろの服を着た汚い自分が、こんなきれいな車に乗っていいのか少しためらったが、森ノ宮さんの笑顔がそんな気持ちを吹き飛ばしてくれる。

「シートベルト、してくださいね。」

車はゆっくりと走り出した。助手席から森ノ宮さんの顔を改めてみる。短髪、黒髪で肌の色が白く、きれいな顔をしている。

「私は初めて北海道に来ました。京都も盆地で冬は寒いですが比べ物にならない寒さですね。ただ、空気が澄んでいて、寒いけれど心地よさもあります。もちろんずっと外にいるのはつらいですけどね。」

こちらに気を使わせない何気ない会話と優しい口調に僕は安心する。

「今日は札幌まで移動して1泊します。そして明日、京都へ向かいます。しばらく北海道には戻れません。どこか寄りたいところはありますか。」

もちろんそんなところはなかった。近所の人は僕たち親子に寄り付かず、もちろん友達もいなかった。学校にもほとんど行っていない。

「ないです。」

僕は下を向いて答えた。誰か会いたい人はいるか、ではなく寄りたいところと聞いたのはおそらく森ノ宮さんの気遣いだろう。

「そうですか。ではまず洋服を調達しましょう。その恰好では寒いですから。」

近所で唯一洋服が売っているスーパーマーケットに到着した。清潔な森ノ宮さんと、小汚い僕の組み合わせは滑稽に映ったのか(僕のあまりに汚い格好に驚いただけかもしれない)すれ違う人はみんな僕たちを不思議そうに見る。森ノ宮さんはそんなことは全く気にするそぶりもなく、この服なんてどうかな、とか、この色はちょっと派手すぎる、と優しく話しかけてくれる。


 下着一式と、セーター、ジーンズ、ダウンコート、長靴(北海道の冬には必需品だ)、スニーカーを買ってくれた。そして、近くの銭湯へ連れて行ってくれた。

「私は仕事の電話をしてきますから、お風呂に入って今買ってきた洋服に着替えてください。脱いだ服はこれに入れてくださいね」

そう言って僕に大きめの袋とぼろい靴を入れるビニール袋を僕に渡した。お風呂に入るのはいつぶりだろう。

「あぁ、あとこれ」

そう言って五百円玉を僕の手に乗せた。

「お風呂に入るとのどが渇きますからね。これで好きなものを買って飲んでください。」

水以外の飲み物、しかも飲み物を買って飲むなんていつ以来だろうか。僕は遠慮するという気持ちを忘れてうれしくて五百円玉を握りしめた。

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