オオカミ貴族とみなしご少女

和扇

第1話

カチャリ


 白に金装飾のカップがテーブルに置かれる。その中には赤茶色の泉が湧いていた。


「さあ、飲むと良い」


 スッと差し出したそれを、椅子に掛けた人間の少女はじっと見つめるだけ。


 煤けた金の長い髪にアメジストの瞳。細い腕に枯れ木の様な脚。とりあえずと用意した白のワンピースに着られているような状態である。


 おそらくはとお程度であろうが正確な歳は分からない。


 彼女は孤児みなしごなのだ。


 その身がやせ細っているのも、食うや食わずの生活を送ってきたが故である。


 先に発生した隣国との戦争。その火の粉は我が領内にも及んだ。村が二つ敵軍に焼かれ、死者も負傷者も多く出た。可能な限りの手は打ったが、それでも限界があったのだ。


 この黒鉄くろがね色の爪も、剣槍通さぬ青と灰の毛も、全くもって役に立たぬ。遥か遠くの臭いを嗅ぎつける鼻も、全てを噛み砕く牙も、力が足りぬ。


 このガーデナウ、貴族の身に在ってなんと不甲斐ない事か。


 だからこそ、私はこの少女を屋敷へと招いたのだ。贖罪の思いもあるがそれ以上に、力不足な我が身を戒めるために。利己的である事は重々理解している。領民を守れず既に罪を背負った身、今一つの罪を追加した事で大した話ではない。


 少女はカップに手を付けようとしない。


 遠慮、というよりは困惑か不安か。なぜ自分がここに居るのか、なぜ茶を出されているのか。身の回りにあること全てに混乱している……いや、恐れている。


 むぅ……。私は彼女の二倍半の体躯。巨大な狼が傍らにあっては怖がるのも仕方ないという事なのかもしれない。


「あの」

「む」


 少女の声だ。依然俯いたままだが間違いはない。

 私は人間に比べると耳がいい、小さくか細い声であっても聞き取れるのだ。だが立っている状態の私に話すのは大変だろう。膝を折り、椅子に掛ける彼女の目の高さまで顔を下げる。


「どうして、私を……?」


 少女は初めて顔を上げた。


 今までの生活が厳しかったゆえか、彼女の瞳には力が無い。希望の光と言うべきか、同じ年ごろの少女には溢れるそれが無いのだ。


 曇り、淀み、闇に染まる。

 多くの孤児がある中で、私が彼女を選んだ理由はそれだ。


「君は絶望している、その身にある魔力を闇に染める程に。だからこそ私は選んだのだ、君を救うために」

「…………救う……」


 ギュッと少女は服の裾を握った。


 考えている事は手に取るように分かる、何を今更、だ。彼女は家族を喪い、本来明るかったであろう未来を失った。おそらくは、人に言えぬ罪も犯してきただろう。


 私と同じく、彼女もまた罪を負っているのだ。


 天涯孤独であった私にこの日、家族が出来た。









「ガーデナウ様、早く早くっ」

「そんなに急がなくても花は逃げぬよ、ルリア」


 領内のとある丘。その頂へと彼女は駆け、私を急かす。


 年の頃、十八。少女は、ルリアは成長した。


 着られていたワンピースを今や存分に着こなし、社交界でも話題になる程に美しく麗しく。かつて闇を宿していた瞳には光が満ち、身にある魔力は神聖魔法の素養を明らかとした。


 私にとって自慢の家族だ。


 先を行くルリアを追って、私も丘の頂へと辿り着いた。


「わぁ~、綺麗~」

「うむ、良い眺めだな」


 小高い丘の上から望むのは一面の花畑。赤、白、黄色。色とりどりに咲き誇る、美しき大地の絨毯だ。


 私達は並んで立ち、どちらも何も言わずにただその景色を見続ける。今この目に映るものを、焼き付けて消さぬようにするが如くに。


「…………お父さん、お母さん」


 私に対してではない。

 ルリアは景色に敷き詰められた花々へ向かって言葉を発している。


 ここは、かつて彼女の故郷があった場所。焼け野原となった後、鎮魂と復興のために薬草花が植えられたのだ。毎年この時期になると一斉に花が咲き、方々から景色を目当てに訪れる者も多くある。


「私、いま幸せです」


 しっかりと前を向き、ルリアは続ける。かつてその身を呪った言葉を、今は喜びを伝えるために。過去は過去、もうどうやっても変えられない。だからこそ彼女は、年月を経て未来を見たのだ。


「私もだ」


 私も同じく言葉を発する。かつて己を責めたそれを、今は隣に在る家族のために。変わらぬ記憶を胸に残し、これから見るものを記憶する事に決めたのだ。


「こうして隣に立つ家族を得る事が出来たのだからな」


 私の言葉にルリアが笑う。つられて狼の口にも笑みが浮かぶ。


「えいっ!」


 彼女は私の太い腕に抱き着く。成長したとはいえ獣人の私と比べれば、人間の彼女は小さい。軽く動かすだけでルリアを振り飛ばしてしまう。そうしないように、私はあまり動かぬようにする。


「あー、落ち着く……」


 私に気を許した頃から、彼女は私の身に抱き着いてくるようになった。聞いた所、それがとても落ち着くのだという。図体だけは大きい私が役に立てるならば、望む所である。


「これからもよろしくね」

「ああ、勿論だとも」

「離しちゃ嫌だからね?」

「ははは、冗談じゃない。そんなのは御免だ」


 彼女の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。私も彼女の身に触れると癒されるのだ。互いに足りない物を補っているのやもしれぬ。


「ずーっと、ずーっと一緒だよ?」

「ああ、いつまでも一緒だ」


 顔を見合わせ、額を付ける。


 私は、私達は掛け替えの無いものを得た。種族の違いなど些細な事だ。


 これから私達は共に歩んでいく。この一面の花畑を出発点として。


 繋ぐ左手、その薬指の輝き。


 それが私達の新しい未来なのだ。

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