第4話 曹操とニート

カーンと庭から竹を打ったような音が聞こえる。部屋に通される時に見た庭園の獅子おどしの音だろう。それに混じり時折チャポチャポと鯉が跳ねる音が聞こえる。いやはや、今どきここまで純和風の建物は珍しい。実際俺も生で見るのは初めてだった。


ダンジョン歴55年、人間の価値に純粋な戦闘力というものがあらたに加わってから、世界の国々と同じく日本も様々な文化が入り混じるようになっている。


何かの番組でもともと人間が持っていた差別感情を抑え込めたのは、資本主義的な価値観とダンジョン教がうまいこと組み合わさったからだとか聞いたことがある気がする。


「君がゲス男くんだね」


机を挟んで座る白髪まじりの髪をオールバックにしたおじさま。家は和風なのに、着ているものはカッチリしたスーツなのがどこか違和感を覚える。そのスーツも俺が知っているものと比べて桁がいくつも違うことだろう。


「いえゲスナクレイジーです」


「そうだね」


この会話は成立しているのだろうか。


「わかってないですやん」と突っ込みたいところだが、上に立つ人間特有の無自覚な迫力が俺から二の句を奪ってしまった。


「お嬢さんも、付き合ってくれてありがとう」


「ひゃ、ひゃい」


おじさまは俺の隣に視線を向ける。可哀想なことに美沙ちゃんは屋敷に来てからずっと青い顔で震えていた。いつの時代も偉い人というものは庶民の気持ちをわかってくれない。


「あ、あのご用件は……?」


隣で過呼吸を起こす寸前の美沙ちゃんを見ていると責任感というものから無縁のニートといえども、さすがに話を進めざる得ない。


「先日はうちの者は失礼した」


おじさまはそういって美しい角度で頭を下げた。その行為に美沙ちゃんの顔色は青を通り越して白くなった。


ニートと女子大学生に頭を下げるおじさま、その正体は日本のダンジョン産業を牛耳る黒幕であり、先日会った上裸パイセンのボスでもある、橘家当主だった。



「花月は腕は良いんだが、血の気が多いところもあってね」


当主、橘 日陽ひようはそういって困ったように笑った。その顔は子どもの素行の悪さを心配する親といったところか。


しかし、騙されてはいけない。俺のニートセンサーはビンビンに反応している。これは出来る人間が目下の人間を丸め込むときのやり口だ。


チラリと隣に目を向けると美沙ちゃんが「おまえのせいか」と虚無を孕んだ瞳でこちらを見ていた。真っ白な顔に真っ黒な目が浮かんでいる。うん、怖い。


「いえ、あれは火炎ざ……岬焔サンとのアレですし」


アレが何のか言っている俺にもわからないが、なるべく目の前の人の話を聞くべきではない気がした。俺が知力32ぐらいだとしたら、橘家当主、橘日陽の知力はいかほどだろう。何にせよアホみたいに計略をくらいまくるのは間違いない。


「ふむ……」


そんな俺の苦し紛れの言葉に当主はどこか納得したような顔で頷いた。頭の良い人は何でも深読みしてくれる。


「まったく困ったものだね。冒険者同士で争ったところで何の意味もないというのに。怪我が増えるだけだよ」


耳心地の良い低い声は憂いを帯びていた。

いや凄いなこの人、2、3言話しただけなのにまるで本当に良い人のように思えてくる。隣の美沙ちゃんも事情もわからないのに話を聞く姿勢になっている。


「実はだね、ゲスナクレイジーくん。君をこうして呼んだのは他でもない。頼み事があるからなんだ」


そらきた。


そりゃ用がなかったら支部から出たところに黒塗りの車を寄越さないだろうさ。あんたにわからんだろう、突然グラサンかけた黒服に囲まれたときの気持ちは。完全に地下行きだと思った。


俺のジトっとした視線を感じているのか感じていないのか。当主は相変わらずの人の良い笑みを浮かべている。


「いやぁ、本当に急で申し訳ないねぇ。当主ともなるとなかなか人の時間に合わせるってことが難しくて。最近はゴルフも全然行けてないし……。君たちもゴルフはやるかい?最近はスキルゴルフなんてのも流行ってるけど、僕はあまり好みじゃないなぁ。やっぱりゴルフは生身でやるのが──」


「あ、あの!それで御用は?」


長くなりそうな愚痴を美沙ちゃんがインターセプトした。日本の権力者の頼み事に自分は関係ないことを悟り、さっさと要件を済ませて帰りたいのだろう。はははこやつめ。


「おっと、すまない。いやぁ、歳をとると若い人と話す機会が嬉しくてねぇ」


カラカラと笑って、橘家の当主はようやく本題をきりだした。


「ゲス男くん……君は恋人はいるかい?」


──余計なお世話だジジィ。


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