第3話 先生、おやつはバナナに入りますか?

関口 美沙ミサは不機嫌だった。母譲りの黒子の上にある唇は山型に曲がっていた。美沙が感じる不快感は星1ダンジョン『ざわめく炎』の暑さによって伝う汗のせいだけではない。原因は、


「いやぁー、美沙ちゃんバッチリだよ!とてもビギナーとは思えない!」


調子の良い言葉を投げかけてくるこの男にある。母の紹介だということで、勝手にダンジョンに着いてきたこの襷という人物は、聞けば良い年をしてフリーターだとか。女子にしては高身長な美沙よりも頭一つ高い背丈、余白の多い顔立ちのせいかその表情に緊張は見られない。ことさら悪く言えば間抜けな顔をしていた。


「配信とかしないの?美沙ちゃんならすぐに人気でると思うけど」


「興味ないんで」


そもそも容姿だとか、社会的地位が問題ではない。自分も冒険者なんて決してまともとはいえないものを目指しているのだから。では、何が不満かというと──


「あ、美沙ちゃん。このモンスターは目から超音波を出して混乱させてくるから、最初の毒針を右にかわして、そのまま翼を死角に目を攻撃して」


炎弾ファイヤーバレット


言われた通り、大きな単眼が特徴のコウモリのようなモンスターの吐き出した何かを避け、翼の裏側から貫通力のある魔法を使う。


「ギィ──ッ!?」


モンスターが小さな悲鳴をあげ燃え上がり、青い粒子へ変わる。攻撃面でいえばこのダンジョンのモンスターは美沙のスキル『強魔力』の敵ではない。


「おおっ、すごい!やっぱり魔法系のスキルはかっこいいなぁ!」


美沙の内心も知らず、能天気な声をあげる襷。潜ってからずっとこの調子だった。


美沙も曲がりなりにも命のやり取りをする覚悟をしてダンジョンに足を踏み入れた、はずだったが異常なまでの的確な襷の指示のせいで作業のように敵を倒せてしまう。これでは高校時代のコンビニバイトと変わらない。手順を覚えれば誰でも出来る。


「襷さん」


「ん、なんだい?」


それはスキルですか?


そんな言葉が思わず漏れそうになった。


「い、いえ、なんでもありません──」


ダンジョンの暑さにやられたのかもしれない。スキルは冒険者の命綱。素直に明かす人などいないし、そもそも尋ねること自体がマナー違反の一つだ。


「そう?もし疲れたらいってね、休憩しよう」


「はい、そのときは……」


熱を持った岩肌でまるで電子レンジの中にいるような気がしてくる。美沙は冒険者になるにあたって髪をばっさり切ることも考えたが、魔力系のスキルに伝わる噂がそれを戸惑わせた。


曰く、魔力は髪に宿る。


何か実証されたわけではなかったが、トップ層の女性冒険者に長い髪をした人が多いことから一定の信憑性を帯びていた。


「っ」


また肌にへばりつく髪をはらう。良いかげん、それさえも億劫になってきた。


星1ダンジョン『ざわめく炎』。

洞窟のようなフィールドで複数のマグマ溜まりがあるという過酷な条件を除けばモンスターも弱く、初心者にはうってつけのダンジョンだ。一発で引けたのは運が良かったのかもしれない。もちろん希望のダンジョンが表示されるまで粘るつもりだったが。


「確かにこれぐらい強ければ一人でも大丈夫だったね」


美沙はそもそもソロで潜る予定だった。友達と潜るというのは心配性の母についた嘘だ。待ち合わせた協会で美沙が襷にそのことを説明して、渋い顔はしたものの了承してもらった。大人にしてはずいぶん物分かりの良い反応だったが、もしかしたら最初からつもりだったのかもしれない。


「じゃあ、さっさと鍵を見つけて帰ろうー!」


「はい」


遠足のようなテンションが相変わらず美沙の神経を逆撫でするが、内容は頷ける。ここが長居すべきダンジョンじゃないことは明白だ。


「鍵は炎龍の卵です。炎龍自体はとても手出し出来ない存在ですが、卵の入手はある程度のパターンが組まれています。今回は不在を狙います」


テリトリーを徘徊する炎龍の隙をついて卵を奪う。他にも、モンスターをけしかけて囮にするなど幾つかのパターンもあったがビギナーの美沙にはこれが一番安全なように思えた。


「事前学習もバッチリだね。これはいよいよ俺は必要ないなー」


「もともとソロのつもりでしたから」


下調べもせずに潜るなんて自殺行為以外の何ものでもない。これぐらいで感心している襷の方が理解出来ない。


「あの大きな岩の先が炎龍のテリトリーです。あそこを越えたら私語は無しでお願いします」


襷は両腕を大きな⚪︎を作って応えた。ちょっとだけため息が漏れる。

別に怒ってない。ただ覚悟が肩透かしに終わってしまっていることが不満なのだ。もちろん致死率7割の初ダンジョンなのだから、それぐらいで終わったほうがいいのかもしれない。というか、そう思わないと準備に準備を重ねた自分が虚しくなってくる。


「ふぅっ」


額に浮かんだ汗を拭う。耐熱用のローブも今では分厚さが仇となっている気がした。やはり事前の情報を鵜呑みにするだけではいけない、良い教訓になった。




──その後、炎龍のテリトリーに足を踏み入れた2人は、順調にモンスターを倒し、順調に炎龍の卵を手に入れた。まるで何度も経験したかのような襷の的確な指示によって。こうして美沙の初ダンジョンはわずか1時間あまりで幕を下ろすのだった。


しかし、美沙は知らなかった。ダンジョンはに帰るまでがダンジョンだということを。



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