第8話 やめほむ

「お兄ちゃん、ちょっとダンジョン行ってくるから」


日曜の昼下がり、居間のソファーに寝転がる妹に声をかける。


「あれ?まだダンジョンやってたの?」


趣味みたいに言うな。兄はこれでも勤労への強迫観念と闘い続けているんだぞ。会話をしながらも妹はマイペースにスマホでスイカを育て続けている。このダンジョン近代化社会にスマホを通じて大地への感謝を思い出したというのか。


「母さんに適当に言っておいて」


「はーい」


パタパタと揺れる足。しかし、スマホから可愛らしい顔が上がることはなく、どこか寂しさを覚えながら俺はダンジョンへと向かうのだった。すぐにでも妹の関心を買い戻すさねば。課金を……!一心不乱の重課金を……!



最寄駅から快速電車で5駅。俺は1週間ぶりに西東京の駅へ降り立った。練馬支部ではなく西東京支部に向かう理由は単純明快、


「ゲス男、覚悟はできたようね!」


こいつが出禁になっているからだ。


改札を出てすぐ、仁王立ちでこちらをビシリと指差す少女は脳筋系冒険者の岬焔サン。相変わらず立っているだけで注目を集めており、行き交う人がチラチラと横目で見ている。


「覚悟というか諦めというか」


「ふふっ、覚悟と諦めは同じ意味というわけね。戦う者の言葉ね」


いや被害者の言葉です。


「じゃあ、さっそく支部に向かいましょ」


そう、なぜか俺は日本最強の冒険者である岬焔とダンジョンに潜ることになっていた。世紀の大逃げから1週間。ダンジョン協会に足を向けるたびに現れるこの少女に俺の心はついに折れた。居るだけで注目を集める少女はニートの心によく響く。やめてくれ焔、その術は俺に効く……!


「1度潜れば誤解も解けるだろ……」


「なにかいった?」


「イエ、焔サン」


「ふふっ、緊張してるの?」


涼しげな容貌から放たれる男を骨抜きにする笑顔に騙されてはいけない。目の前の少女は最強冒険者かつ最強のストーカーだ。恐怖の1週間を俺は忘れない。


「ダンジョンの予習はしてきた?」


「スイカの作り方はDチューブで見た」


「さすがねゲス男。準備は万端ってわけね」


「昨日は昼寝してたら1日が終わってた」


「英気を養うのも戦士の仕事ね」


相変わらずのポンコツNPCぶりだ。最初のささやかな憧れはとっくの昔の消え去り、残ったものは役に立たない不良品のAIだけだ。


「良かった、これで鳴り止まない電話に怯えなくて済む……!」


──やめてくれ焔、その術も俺に効く。


年頃の少女とは無縁のはずの悲しいガッツポーズは俺の柔らかな胸に突き刺さった。この不意に現れる悲壮感も俺が同行を決意した理由でもある。自業自得であるとよくわかっていたのだが。


本日2度目の「やめほむ」を決め、俺はポンコツNPC焔と共にダンジョン協会西東京支部の自動ドアへ吸い込まれていった。



「狙ってるのはこの辺ね」


doorsを操作する焔サン。視界はすでに共有してある。スラリとした指先が目の前で無造作に画面をスクロールしていく。すげぇな日本トップ。1度にダンジョンがこんなに表示されるのか。衝撃の事実だったが、ランダムで表示されるはずのダンジョンは冒険者の実績に応じて数が変動するらしい。doorsって未知のダンジョン産技術のはずだが、どういう判断をしてるのだろうか。


「これでどう──?」


スクロールする手を止め、こちらを伺う焔。画面に表示されていたのは。





『屍と死の舞踏曲』危険度★★★★★★★★★





「馬鹿」


ははーん、さてはこいつ俺を殺す気か?危険度★9でしかも踏破者が載ってないから未踏破じゃねぇか。馬鹿なの死ぬの?俺。


「なによ、物足りないっていうの?じゃあ──」


再びdoorsを操作する焔。





「これ──」


『雲と天雷の夢』危険度★★★★★★★★★





「これ──」


『神を喰らう大狼』危険度★★★★★★★★★



「焼き殺すわよ……!」


延々と拒否し続ける俺に苛立ちの声をあげる焔。背後に火柱が見えるのは気のせいではない。


「もうっ、じゃあ何ならいいのよ!?わがままばっかり……!」


──駄目だこいつ……早くなんとかしないと……。


いくら誤解を解消するためとはいえ明らかな死地に突っ込めるわけがない。憤る焔を無視して、俺は横からdoorsを操作する。いつまでもこのアホアホ最強女に任していたらどうなるかわかったもんじゃない。


「下へ参りまーす」


「えっ、ちょっ」」


ポチッとな。どうせ5分もあれば解ける誤解だ。わざわざ大変なところに行くこともない。なんせこちらは★1専門のビギナーだぜ?

行く先を選択すると、すぐにdoorsから青白い光が立ち上る。俺の突然の行動にしばらく読み込み中アイコンを出してフリーズした焔だったが、全身が光に包まれる頃に再起動をした。


「っ!いいわ、確かに私が甘かった。天下布武のトップが腰ぬけになってるなんてね!」


やる気出してるけど★1ダンジョンっすよ焔サン。


「天下布武に敗走はない」


なんかかっこいいことを言っていた。獅子は兎を狩るにも全力を尽くすってやつかな。そんなことを考えているとやがて転送が終わり、視界にダンジョンの景色が拡がっていく。


そういや、配信ってしていいのかな?


3秒で決めたダンジョンを見ながら俺はそんなことを考えていた。

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