孤独を知らない歌姫(下)

 「私は君が住んでいる世界の、いや君の心の中の住人なんだ」


ユリアはそう言って鏡馬の瞳をじっと見つめている。


心の中の住人。鏡馬は心の中でその言葉を繰り返してみたが意味を理解することはできなかった。


もし、心の中に別の誰かが住んでいたら、ユリアみたいに綺麗なのだろうか。


「君を嫌いって言ったのは謝るよ。でも、実際のところ私は君を好きになれない」


鏡馬はユリアを見るのをやめて窓の奥の海に視線を遣った。水面はキラキラと輝いて静かに、何かを待つかのように揺れている。真っ青でどこまでも広い。

だけどユリアの話を聞いていたら、だんだんと現実味が薄れていくように思えた。


「私ね、意識を持った時からここにいるの。馬鹿みたいに広くて、綺麗な海をこの部屋の屋根に座って永遠と見つめる。縛り付けられているみたいに」


ユリアの最後の言葉には力がなく、鏡馬はまた、ユリアを見た。


「この世界には私と屋根と海があるだけ。それだけなの。良いでしょ」


ユリアの感情はよく分からなかった。表情の変化に隠された何かが次の瞬間には何もなかったかのように変わる。だけど鏡馬は今の言葉を否定しなければいけなかった。


「良くないよ」


鏡馬は反射的にそう言っていた。この世界は鏡馬にとってはあまりにも寂しすぎる世界で、こんな世界にずっといたらおかしくなってしまう。鏡馬はそんな世界を想像してみた。やっぱりそんな世界は恐ろしくておかしくなりそうだった。


「良くないよ。こんな世界はおかしい」


鏡馬はもう一度、吐き捨てるように言った。

ユリアは鏡馬の言葉に当然と言ったふうに頷いた。それでもやっぱり違うと示すように首を横に振って口を開いた。


「おかしい、ね。君からしたらそうかもしれない。けれど私はこの世界で君と同じ時間を生きてきた。それでも苦しいとか悲しいとか。おかしいなんて思ったことない。私には歌もあるし」


窓から入り込む海風がユリアの髪を揺らす。空色の髪はユリアの透明な肌に一瞬青く反射して全身を青に染めた。それは広大な青空を思わせた。鏡馬はそんな一瞬に見えたユリアの穢れなき瞳を見て妙な罪悪感を抱いた。


「やっぱり、おかしいよ」


鏡馬はそう言うことしかできなかった。ユリアの気持ちを否定したくて苦し紛れの反発をした。なのに、心が痛むのを感じてやるせない気持ちになった。


歌。歌がなんだ。歌で孤独がどうにかなるわけないだろ。

鏡馬は知らないうちにユリアに対して憎らしいと思い始めていた。怒ってもいた。変なやつ、とも。


何を言えばいいか分からなかった。ユリアが抱えているもの。伝えたいこと。俺がここにいるわけ。この世界は現実なのか。俺はまだ夢の中なのか。分からない。


「そんなに混乱しなくてもいいよ。そうだね、もう少し具体的な話をしようか」


そう言ってユリアは滔々と語り始めた。

 

                                 <続>

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泡沫 @ajisai_24

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