第1話:僕が幸せ(?)だった頃

僕の名前は味噌カツ。




まず僕は、父が中国人で、母が日本人のハーフだ。もっとも、僕は日本語と...少し英語が話せるだけで、中国語は一切分からない。というのも、父は僕が生まれるよりも前に来日して、日本語も達者だから、僕にも幼いうちから日本語でしか話しかけられなかったのだ。




次いで、先天性のADHD(注意欠如・多動症)持ちでもある。これが結構厄介で、テストでは"普通"あり得ないミスを連発するし、忘れ物もざらにある。「1、2」と回答すべきところを「ア、イ」と答えてしまったりするくらいには酷かったりする。




そして、運動器(足腰やバランス感覚)にも若干の障害がある。もっとも、中学生にもなった今では"凡人"くらいにまではなったが、幼児の頃は、走れば数歩で転び、階段でも数段で転びというくらいには酷かった。




世の中には「生まれ持つ者」と「生まれ持たざる者」がいるとされるが、恐らく僕は「生まれ持たざる者」に該当するのだろう。




もちろん、頭脳だけは飛び抜けていた。3歳だか4歳だか...5歳だかにIQを測ってもらった記憶が若干残っているのだが、どうやら最低でも140以上はあるらしい。僕の再従妹はとこが数年前に"約170"だったというから、家柄的にも、頭脳"だけは"良いのだろう。




「じゃあ、"生まれ持ってる者"じゃないか。」って?


むしろ逆だよ。無駄に良い頭脳の所為せいで僕は、無駄に期待され、無駄に面倒ごとに巻き込まれ、無駄に嫉妬され、無駄に悩み、無駄に傷つき、無駄に苦しむことになったのだから。頭脳とは不幸、人生におけるディスアドバンテージ。バカな人ほど、"苦悩を知らない幸せ"を生まれ持っているのだと思う。正直、"賢い"人には生まれたくなかった。




小1の頃は幸せだった。休み時間は仲の良かった子と校内を遊び回って、一緒に校務員室に忍び込んで怒られたり。そして秒で許されて次の日からは校務員室に入ることを公認してもらったり。周りが全て"未知の世界"で、それを探検するのが楽しかった。




「何気なさすぎる」?それが良いんだ。"天国"を想像してほしい。多くの人はきっと、雲の上の楽園を思い浮かべるはずだ。そう、平和で長閑のどかな時間こそ、最高の楽園なのだ。

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我らが味噌カツさんの話。 紅榴るな/紅銀Star. @Luna-Garnet_Kuro-Fenrir

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