39 変身洗濯機
クロノヒョウさま主催
我が家の洗濯機には「へんしん!」と油性マジックペンで描かれた落書きがある。
結構がんばって消したつもりなのだが、まだうっすらと残っている。そのうち諦めて早十余年、落書きを描いたときにメチャクチャ怒った長男が、上京する日が来た。上京して家を離れるとは言っても、直線距離で100キロ離れていないし、電車で2~3時間、高速バスでもそのくらいで帰ってこられる距離ではある。
それでも1人息子が家からいなくなるかと思うと、寂しく思う。
なんで息子は「へんしん!」なんてイタズラ書きしたのだったか。
確か戦隊ものの変身アイテムとコスプレ衣装を買ってあげたときだったはずだ。コスプレ衣装だって洗濯する必要があるから、それを洗濯しているときにでも描いたのだったか。もう遠い記憶で、定かではない。そのコスプレ衣装だって、とうに捨てたはずだ。
そういえば、今日は燃やさないゴミの日だった。
私は家のゴミ置き場に置かれた燃やさないゴミ袋を確認すると、その偶然に驚いた。そのゴミ袋の中に、記憶にあった戦隊ものの変身アイテムが入っていたからだ。まさかまだ持っていたとは思わず、私はうーんと唸った。
そこに息子がちょうど、他の燃やさないゴミを手にしてやってきた。
「あんた、まだこれ持ってたんだ?」
「これって?」
「戦隊のおもちゃ」
「荷物をまとめていたら出てきたんだ。この際だから捨てようと思って」
息子はドライだ。あんなに大切にしていた幼稚園生の息子はとうにいないことはわかっているのだが、私にとっては遠い昔ではない。ほんのちょっと昔だ。あれ、ずいぶん時間が経ったとか思ってなかった? 私よ。
「あんた、これ、大好きだったのにね」
「そうなんだ」
覚えていないらしい。
「1人で変身ごっこをよくしてたわよ。コスチュームも買ってあげたから、汚れたあと、洗濯が終わるのを心待ちにして洗濯機の前で待ってたっけ」
ああ。そうだったんだ。会話で思い出すこともある。
「未だにたまに戦隊ものは見るからなあ。三つ子の魂百まで、だ」
息子は苦笑しながら、手にしていた燃やさないゴミを袋に入れて、2階の自分の部屋に戻っていった。出発はお昼近くだから、まだ整理するつもりらしい。
そして洗面所に戻ろうとすると、異音がしてきていることに気が付いた。
そして異音は焦げ臭い臭いを伴っていることに気付き、大丈夫か、と洗濯機の前で様子を窺っていると、止まってしまった。
なんてこったい。洗濯中に壊れてしまうなんて。
幸い、蓋は開いた。私は洗濯途中のものを洗濯槽から出して、バケツに入れる。これから手洗いせねばならない。新品も買わないとならない。まあ、がんばったからな、この十数年間。もっと早く買い換えるべきだったかもしれない。火事にならなかっただけよかった。
そして役目を終えた洗濯機を見て、まだうっすらと残っている「へんしん!」の文字を改めて見る。
この洗濯機は、息子にとってはまた彼が変身できるようになるための変身アイテムだったのだろう。
幼い息子はもういない。今度大学生になる息子ももうすぐこの家からいなくなる。
そんな日に壊れるなんて、この洗濯機もなにか感じていたのかもしれない。
いつだって人は変わる。
でも、どこかに昔の自分も、確かに残っている。いろいろ捨てていっても、残る。忘れるだけだ。
私は洗濯物を浴室で手洗いし、大雑把に干す。水が垂れなくなったら外に干そう。それまでかなり時間がある。
ふと私はもやさないゴミ袋に戻り、変身アイテムを中から取りだした。
捨てられない気がしたからだ。
変身アイテムを棚の一番上に置き、私は昼ご飯の準備を始めることにする。
息子が旅立つ前の最後のご飯だ。
特別なことをする気はない。けど、一応、最後のご飯だ。
この家に本当の意味で彼が帰ってくる日がくるのかわからないが、もしその日が来たら、とっておいてあげたんだよ、とさらりと変身アイテムを見せてあげよう。
彼が変身していた痕跡の1つである洗濯機は、もうそのときには新しい洗濯機に取り替えられてしまっているのだから。
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