第54回「2000文字以内でお題に挑戦!」企画
「お気に入りの水平線」
今回は短編小説ではなくエッセイになります。ご了承ください。
お気に入り、かつ、私にとって忘れられない水平線の話です。
東日本大震災の前のことです。私はその頃、シーカヤックにはまっており、くそ重くてかさばる折りたたみ式のシーカヤックを担いで、様々なところに電車で行き、海の旅をしていました。なので水平線には馴染みがあるのですが、中でも忘れられないのが、日本三景の松島で見た水平線です。
シーカヤックというのは、普通のカヌーより長くて、旋回性能を犠牲にして海に対応するために波切り性能と速度性能を上げたカヤック――くらいに考えてください。
まだその頃の私はシーカヤックの初心者で、海のことも自然のこともよく分からない愚か者でした。新幹線で仙台まで行き、在来線で松島まで行き、どうにかこうにか海岸までシーカヤックが入った巨大なバッグをカートで転がし、到着したのは午後2時くらい。それでも当然、美しい松島の海を目の前にしてテンションが上がっていました。スキンと呼ばれる外皮に、組み立てたアルミフレームを突っ込み、テンションをかけて剛性感のあるシーカヤックにするのですが、まだまだ固く、結構時間を掛けてしまいました。ようやくこぎ出したのは午後3時過ぎ。パドルを手に日本有数の美しい景観の海である松島の波を掴んだときは高揚感を覚えてました。
まだ日が短い2月だというのに、午後3時に海にこぎ出す危険性について、私は何1つ考えていなかったのです。
大小の島。美しい緑。並が削った岩などを眺めてゆっくりと波面を進むのは、本当に絶景です。いろいろと入り組んだところを漕ぎ、いつしか松島湾の外、太平洋が見えるところまで来ていました。
その頃はもう、実は西の空に太陽が落ちかけていました。
太平洋の水平線とまだかろうじて黒と灰のグラデーションを作り出している夕闇の空が目の前いっぱいに広がっていました。
美しいという言葉では足りません。空と海が一体になる美しい青い海と空、なんて描写はベタですが、それに匹敵します。夜の闇は海と空を一つにするのです。
パドルを動かす手を止めて、見とれました。
このときの水平線こそ、お気に入りどころではない、人生で決して忘れられない水平線です。
しかしすぐに自分の危機に気づかないところが愚かな初心者です。すぐに日が完全に落ちて、本当に真っ暗になりました。
見えるものはほぼありません。見えるのは陸側の街の明かりと養殖のいけすを示すブイのライトだけです。星が出たところで、手もとでパドルを自分が掴んでいるのが分かるのがやっとです。そして初めて自分が遭難してしまったことに気づいたのです。
ヘッドライトをなんで持ってきてないの、と思われるでしょう。しかし初心者の悲しさ。陸地の荷物に置きっぱなしにしてきてしまったのです。
カヤックの上で波で上下し、何も見えないでい続けると平衡感覚も、自己の感覚も失います。宇宙飛行士が真っ暗な密室で訓練するというあれと同じようなものです。
自分が闇の中に溶け、海の上で孤独になるのです。
はは、と私は笑いました。極度の緊張状態になるとどうやら笑ってしまうようです。
それでも陸の明かりを頼りに戻ろうとし始めるのですが、真っ直ぐ進んでいるかどうかも分からないので不安は募るばかりです。陽が落ちてきたので寒くもなってきました。明るくなるまで夜を越すこともできそうにありません。沿岸を漕ぐつもりだったので携帯も水没を恐れて持ってきていませんでした。
もう、お手上げです。
そうしてゆっくり漕ぎ始めて穏やかな気持ちを取り戻すと、周囲が明るくなってきたことに気がつきました。
東の水平線から月が昇ってきたのです。
月の明かりが海を照らし、空と海を分離し、私を照らしてくれました。
明るくなれば、こぎ続けても勇気が湧いてきます。
私は疲労困憊した腕に鞭を打ち、どうにかこうにか海岸に戻ってきました。午後6時くらいでした。遭難と言うにはあまりにプチですが、そのときの安堵感を忘れることもできません。
自然の中には美しいものが無数にあります。
同時に危険もはらんでいます。
人間がいかに小さな存在かも分かります。
みなさまも低山ハイクや観光地化された山、そして海水浴に行かれたり、キャンプで河原にいってバーベキューして川遊びすることがあるかもしれません。
しかしそこには危険が潜んでいます。ないなんてことはないのです。ただ人間の頭が追いつかず、自分の存在の小ささを自覚していないだけなのです。
どうか、皆様、アウトドアで遊ぶときは、万全の装備をしていってください。山ならせめてヘッドライト。水場なら絶対にライフジャケットです。
みなさまも自分のお気に入りの水平線を見つけるときがくると思います。そのとき私のように危険と背中合わせでないことを切に願います。
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