第一回おもしろい短編小説大賞 テーマは…『 母 』

『静かな場所』



 りんりんりんりん……


 いつの頃からだろう。僕はずっとこの音を聞いている。ずっとと表現しても僕には時間の経過を知る術がない。


 しかし覆われていたなにかから僕の身体が露出すると、激しい風と熱とが押し寄せ、それらが去ると今度は急激な温度低下と結露と水の氷への状態変化が始まり、またしばらくして風と熱の時間が訪れる、いつしかその繰り返しサイクルの数を僕は数えられるようになった。


 今に到るまでその数、300億回。


 その繰り返しサイクルを数えることが、僕の最初の知覚だった。その後、いつの頃からだろうか。僕はそばにいる僕と同じような存在と知覚を共有するようになった。


 彼らはさまざまなことを知っていた。


 遠い昔、僕らと同じような、しかし単機能シンプルな知覚を持つ者が誕生したこと。


 何かが遙か遠くから降り注ぎ、彼らが激減したこと。


 彼らはその後、再び増え、また減った。


 それは僕も知っている。怒りという感情ともに、僕の中に残っている。それは遠い遠い記憶。僕ではない誰かの記憶。


 次には大きな衝撃を受け、多くの知覚するものが減ったことも教えて貰った。


 その頃にはもう、僕らと同じように考えられるものだったことも、思い出した。そう、僕の中には、全てがあり、同時に何もないことも、分かってきた。だが、仲間がそれを補ってくれる。一は全。それが僕らだ。


 そして最後に現れたのは狂気だと僕ではない誰かが教えてくれる。


 彼らは全てを変え、荒し、最後まで食いつくし、この星を静かにした。


 そう。彼らのことを僕らは狂気と表現することしかできない。狂気と矛盾と自分を含んだ全てを食らいつくそうとする飢えが、彼らの全てだった。


 ついに、その狂気は己を食いつくし、存在することを止めた。


 食う?


 その行為は今の僕らにはない。ただ静かにりんりんりんという音を聞き、ちりちりとしたものを感じ、周りの仲間と話をする。それが全ての存在だからだ。


 その後、この星は静かになった。星と太陽。その関係を理解するまでに僕は何億もの繰り返しサイクルを数えた。この世界はこの星と太陽から成り立っている。熱の交換は彼らの繰り返しサイクルなのだ。仲良しだ。


 しかし少しずつ、太陽は力を増していき、この星にいる考えるものを全て消してしまい、残ったのは僕らだけになった。


 りんりんりんりん……


 僕らではない誰かの声。


 ずっと静かに僕らを何百、何千億の繰り返しサイクルを経てもなお、側にいて、僕らに話しかけてくる誰かの声だ。


 僕は繰り返しサイクルを数えることとその音を聞くだけの存在だが、その音を聞いていると穏やかになれることを、『幸せ』と表現することをいつしか覚えた。


 それは僕らの存在を許し、それどころか育んだ存在だから。


 かつてこの星の表面にいた知覚するものたちの多くは、自己分裂を経て、自分の情報をここにあるものの組み合わせで何千億ものの中、伝えていたという。


 存在をつなぎ、育み、次に伝えるものだ。


 その者を狂気は母と呼んでいたらしい、と周りの誰かが教えてくれた。


 何百億繰り返しサイクルも前の話だ。


 その頃、まだこの星の表面には多くの水があったらしい。そんな大昔だ。


 しかしどうやら、その母という、僕らとは違う存在は、今もあるらしい。たしかにそれを僕は感じ、聞いている。分かる。


 この音は、母が僕らに語りかけ、ときに歌ってくれる『声』なのだ。


 りんりんりんりん……


 意味は分からない。だが、落ち着く。


 この声を聞きながら、僕らはさらに何百、何千億の繰り返しサイクルを、過ごしていくのだろう。



 

 人新世から5億年の後、太陽と地球のエネルギー収支は完全に崩壊し、海が蒸発。全ての炭素系生命はその後、ゆっくりと死滅していくと考えられている。


 その後には何も残らないのだろうか。もし生存可能だとすればそれはケイ素系生物である。いわゆるシリコン――石である。もしそうだとすれば彼らは何をもって知覚することが可能になるだろうか。やはりそれは我々と同じように、電位を用いるのではないだろうか。微かな地球の地磁気と太陽風に刺激され、サンゴの群生のように、個と個の境目もあいまいな『存在』になることも考えられる。それは狂気――人類が知覚していないだけで、今もあるのではないか――そう思えなくもない。


 環境が一変した地球は穏やかな、弱肉強食など一切存在し得ない世界だ。静かで、何の悩みもなく、ただそこに『ある』だけの世界だ。


 彼らが感じるのは曖昧な自分の存在と2つだけ――地球と太陽に違いない。


 彼らにとって星と太陽こそが、ヒトにとっては最初の他者である母に該当するのだろうか。どうあれ、その関係はきっと穏やかで純粋なものだろう。


 そう想像することは面白くもあるが、あまり意味は無い。何故なら我々人類はあまりにも余計なものを持ちすぎて、彼らほど純粋になることなど――悟りを得ることなど、できはしないのだから。

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