第44話 幸せに向かっての一歩目

 気だるいという感情は嫌なことから逃げたいとの思いとノットイコールのはずです。

 元から闘争本能が欠けているからいざという時に臆病になるのだ、と言われれば謹んでその指摘を受ける次第なのですが……。


「靴に重りが入っているかのようです……」

「だいじょうぶだよお姉ちゃん!」


 結ちゃんの励ましも本来ならばドラゴンボールで言うところの仙豆と変わらぬ性能を持ちますが、私のメンタルがゾンビー状態なのでいかなる回復アイテムも逆効果――吸血鬼の皆様が太陽光を浴びると灰になってしまうのと同じように、ステータスによっては望まざる結果を生むのです。


 自身の状態を見極めて都合の良いアドバイスをくださいなんて体の良い冗談を言うつもりはありませんし、期待には応えねばなりません……二人とお付き合いすると伝えた手前「やっぱなし」は不義理にも程があります。


 手前が惨殺されようとも自業自得の一言ながら、法治国家で殺人は度しがたい凶悪犯罪――それでもし亡骸を海にばらまいたなどともなれば生涯シャバの空気を吸うことは許されないでしょう。


 痴情のもつれから命の奪い合いが始まり、誰も得をしない結果になってしまえば、私を今まで育ててくれた周囲の皆様にいかほどのご迷惑が掛かるか。


「……そうですね、皆様のためにも私はいつも通りにせねばなりません」

「世の中は二度目の失敗が認められない犯罪集団か何かじゃないんだからね!?」


 結ちゃんにたしなめられるようにツッコミを入れられますが、取り返せないミスはいかようにも存在します。

 決めつけて臨んだらそれだったは後悔が先んじて人間関係に大いに影響を与えるでしょう……とはいえ、行動もせずに引きこもって生きていられるほど世の中も甘くありません。


「ほら、太陽もさんさんだよ! お姉ちゃんの今後の行く末を歓迎してるよ!」


 規則正しい生活をしてあまねく世界を照らしている存在には頭も垂れます。


「ふふっ、結ちゃんにここまで言われてはなおのこと、姉としては引き……引き下がれません」

「……どうしたのよ?」

「あ、初ちゃん!」


 思わず上体をのけぞらせ、これ以上下がったら壁だと思い直し、革靴を少し踏みならすことで衝突を防ぎ、心配をかけるのが嫌で何ごともなかったかの如く。


「お、おはようございます! 初ちゃんは相変わらずかぐや姫のようにお美しいですね!」

「お姉ちゃん私は?」

「結ちゃんはシンデレラの如き美しさです!」

「……褒めてくれるのは嬉しいけれど」


 語彙が少ないので世界の美少女100選に選ばれそうな姫の名前を言うのはやめようと思いました。


「まったく。あなたってばどうせ、どちらか決めきれずにいるのは申し訳ない! とか考えているんでしょうけど」


 クールな声色に長い黒髪を揺らしながらの発言は図星そのもの、長い付き合いですから心も読めるんでしょうか? 私は割とサッパリなんですが……。


 切れ長の瞳を細くして、ただどちらかと言えばこちらに配慮を重ねるよう慈愛の視線を向けた。


「私としてはバッサリ斬られなかっただけ御の字なの。悠も一緒よ」

「やー、バッサリ斬るつもりはまったくなかったんですけど……」


 どちらかを選びどちらかを斬れなかった結果、答えを先延ばしにしたんですけども……。

 おどおどとする私を先に導くように手を見せてきます。何の気もなしに握ると温かくて力強くて勇気がわいてくるよう。


「初ちゃんは私のヒーローですね。怖いときにはいつも前にいてくれます」

「そ、それは嬉しいのだけど」


 ん? と首を捻ると結ちゃんがこっそり……や、その声は初ちゃんにも聞こえているので隠れてと言うのは適切ではありませんね。


「二人が付き合うとなって、初めて手を繋いだんだよ?」

「はっ! すみません……その、運動会の徒競走で完走したくらい嬉しいです!」

「わりと手を繋ぐのだから緊張してた私が悪いのよ」


 関係性の変化に関して無頓着だったために、勇気を出して手を差し出した初ちゃんにとんでもない失礼をしてしまいました。


 慌てて出た言葉は初めて握ったスコップで穴が掘れて嬉しいわ、くらいの感動度で言われてもだから何でしょう……うう、もっと気の利いた言葉を言えないのですか私は。


「本来は出歯亀の妹は先に行こうと思うんだけど、お姉ちゃんが競馬新聞を読むつば九郎くらい熱心に見てくるからさ……」

「そんなにマスコット界の大喜利芸人みたいな感じでした!?」


 自らを陸上で過ごすことに精通したツバメと名乗るペンギンですが、一般的に鳥が飛べなくなるのは退化と呼びます。

 そして飛べない鳥というのはドードーのように人間の乱獲によって絶滅したように、必ずしも良い方面とは言い切れません。


 例えばペンギンは過ごしているところが寒すぎたために乱獲の被害を免れたとの説も聞きます――ヤクルトのマスコットも時代が時代なら身ぐるみ剥がされて唐揚げになってたかもしれません。


「あなたはもう……恋人が手を握っているんだから、もう少し色気のある話はできないの?」

「今こうして心臓が動いているのは初ちゃんのおかげなんです」

「そこまで協力したつもりはないんだけど」


 心臓は大げさですが、少なくとも学校に向かって歩を進めているのは彼女がくれる勇気のおかげ。

 はたまたこの手を二度と握って貰えなくなったら、と考えると胸が痛みます――初ちゃんだけではなく、悠ちゃんにも……名前すら呼ばれなくなってしまったならば、その可能性が高まったと考えるだけで私は。


「また不安になって、手を握るくらいではダメ?」


 顔をグイッと接近させられます。

 ひゃー、という小さなうめきが聞こえますが、結ちゃんはちゃんと両手で目を隠してくれています。少々指の隙間が空いているのはご愛敬。


「な、何をなさるおつもりで?」

「好きな人相手にすること」


 それは恐らく恋愛漫画の定番、一時的な盛り上がりを見せるあのシーン……そう、マウストゥマウスですね、あ、もちろん人工呼吸の意図はありませんよ? 路上でそんなことされたら心臓が止まる可能性もありますし……。


「ふふ、冗談よ。さすがにこんな衆人環視がある中でファーストキスは勘弁だわ」

「ええ……なんかもう一生分の冷や汗をかきました」


 あ、もちろん嫌って気持ちはないんですよ? こんな唇でご満足頂けるならお正月の餅つきくらいの勢いでして頂いてもオーケーです――


 と、言ってみると結ちゃんと初ちゃんは揃って顔を赤くさせ、私はまたしても二人の感情を脅かす失言をしたことに気づきました。


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