第9話 それを人は優しいと呼ぶのだと思うの

 考えれば考えるほどドツボにハマる――そして思考の中心はおうちデートの顛末でありした。


 母の知り合いの勉強机……言ってみればお下がりですが、景気よくいつまでも使えるようにメンテナンスはバッチリ。

 私が腰掛けている椅子から視線を横に動かすと、悠ちゃんによって名付けられた各種人形たち……一つ間が開いたのを眺めると寂寥感に苛まれる。


 何ごとか用事があるのかメッセージアプリには既読は付きません。テスト期間まではまだ遠く、予習や復習に取り組む私も試験対策をするほどのモチベーションもありません。


 却って、教科書の内容や授業のことを思い出している方が罪悪感に浸らずにすんだかと思われ……何かを振り落とすように首を振り天井を仰ぎました。


「先ほどから同じことを繰り返していますね」


 独り言って耳に届いてから漏らしたことに気づくのが多いですが、今のは変えられぬ過去を思い出すのをやめるよう自戒させる目的が強く……ただ、繰り返していたのだと意識させるのです。


 何か変化をと考えて椅子から立ち上がり、フローリングの床を靴下越しに味わいながら歩き、ドアノブをおろして音を立てないよう開いてから廊下に出る。


 暗くしんと静まりかえった廊下は、小さなころには目に見えないモノがいるのではと怯えたものです……が、私の生活の大半を見守ろうとする人間が皆無なのに、死してなお恐ろしい土のスカルミリョー……あ、違う。


 この世で過ごす肉体を失ってもなお、私をガン見してくるなんてそんな大層な存在がいるわけもない――そのことに気づいてからは、夜の暗さに怯えるのも減ったし、なんなら心霊スポットに行っても平気な顔をしているでしょう……行く機会が無いのであくまで予想ですが。


 ただ物音にはビクッとしてしまいます――振り返ってみると、妹ちゃんの部屋から明るい光が漏れて、そこからまもなく足がにょきっと出て、やがて全身が浮かび上がるように登場をします。


 受験勉強の休憩時間だったのかもしれません。表情を見ればやや気疲れした節もあり……ここで姉が暗い顔をしていたら無用な心配もかけてしまうから、明るい表情を意識して、あたかも余裕ありげな雰囲気を醸し出すよう。


「ふふ、お疲れ様です。甘い飲み物でも飲みますか?」

「うん。ありがとう」


 疲れたときには甘いものを頂く……と言うのが迷信なのか、合理的なのかは分かりかねますが、緊張を弛緩させるのはたしかかと思われます。


 自分の些末な考え事の打破に利用しているかの部分には心が痛みますが、結ちゃんが喜んでくれるのならば越したことはありません。


 簡易的な手段として練乳をスプーンに取り分け、それを頬張るのも良いとの話を聞きましたが、受験勉強は少なくとも自分のやりたいことではないでしょう――当然のように苛烈極まる部分もあり、そこへ練乳の載ったスプーンを出して喜ぶ人がいるのでしょうか(※きっといません)


「美味しい……あ、どうしたの?」

「いえ、自分のに限って配分を間違えたようです」


 少し甘めどころか顎が溶けそうな重量感あるココアを頂きながら、しかめっ面をしていたと思しき自分を苦笑いの表情に変化させて。

 

「それよりもお勉強は順調ですか?」

「それはもちろん」


 こちらにニコッと笑いかける姿は、降ったばかりの新雪のように清らかそのものでありまして……よどみない笑顔で微笑まれると特製の団扇を持って推し活というものに講じてしまいそう。


「初ちゃんはどうしてる?」


 口に含んでいる最中の甘々なココアを吹き出してしまいそうになりましたが、元々噴飯レベルのものを表情に出さないように飲んでいたので助かりました。

 妹ちゃんの問いかけは「今気がつきました」的な些細なもの……なのに痛い所を突かれたと思しきリアクションをしては無用な心配をかける。


「未読のままなんですよね。風邪など引いてないと良いんですけど」

「ああ、それなら大丈夫。私とはやり取りがあるから」

「姉はもしかして避けられてました!?」

 

 会話のやり取りから気落ちした様子も窺えましたし、酷いことを気づかぬうちにしてしまった可能性も。


「んー。まあ、お姉ちゃん次第じゃない?」

「そうですね! 関係の修復や仲の良さを深めるのは私のお仕事です! あ、仕事じゃないですけど!」


 自分の行動に根本的な原因があって生じた問題ならば、当人が解決のために動くべきで、人を頼るのならばともかく人にやって貰おうとするのは厭う価値観だと思いますし。


 握りこぶしを作って力説すると、妹ちゃんは目を細めてこちらを眺めて。


「んー、もう一踏ん張りしたら横になるね。お姉ちゃんも考えすぎはダメだよ」

「うう……気をつけます。あ、お片付けは私に任せてください」


 大した手間ではないと口から出そうとして、それなら自分がやるというかも、と思い直し、ヒラヒラ~と手を振って背中を見送る。


「……後ろめたいことがあると他意のない発言でさえ穿ったものの見方をしてしまって、私は本当に未熟ですね」


 こんなことを年上の人に言ったら、若いのだからと茶化されてしまいそうです……でも、成熟した人間になれるかどうか、私はついつい気になってしまう。

 立派になるまでに支えてくれた人たちが、この世ならざるものになってしまっては、恩返しもままならないのですから。

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