置き土産は呪い

乾 星

置き土産は呪い

 ♢


 ──命は消耗品。肝心なのは、その使い道なんだから。


 彼女のその最期の言葉に、僕は未だに囚われていた。


 全てを見透かすかのような眼を事も無げに見せるその少女。

 彼女は高校の一つ上の先輩。そして、恐らくは僕の初恋の相手だった。


 いつだって彼女は、僕とは違うどこかを見ていた。どんなに目を合わせても、いくら言葉を交わしても、僕は彼女が掴めなかった。

 ……でも、それでよかった。当時の僕には、それがよかったんだ。


「あれ、今日もサボり? ダメだよ? 授業にはちゃんと出なくちゃ」


 わざとらしく眉間に皺を寄せて優等生を気取る先輩は、その日もいつも通りだった。

 いつも通り誰もいない保健室で。入り口から一番近いベッドに腰掛けて。

 無邪気に脚をぶらぶらさせながら、柔らかな笑顔で僕を出迎える。


 だから、僕もいつものように振る舞った。

 保健室に常備されたくるくると回転する丸椅子。それを一脚拝借し、先輩のいるベッドの横に移動させ、彼女と向かい合って座る。


 つま先とつま先がぶつかりそうでぶつからない。

 触れようと思えば触れられるが、互いに手を伸ばすことはしない。

 その曖昧な距離感が僕のお気に入りだった。


「ねえ、後輩くん」


 肩の上で綺麗に揃えられた黒髪。その一部を左の耳にかけながら、先輩は少し身を乗り出した。

 その拍子に、いたずらな甘い匂いが鼻腔をくすぐる。仄かに漂うジャスミンの香りは、僕の心を静かに惑わした。

 だが、その細く澄んだ声によって意識は容易く引き戻される。


「君の魂は、どこを向いているのかな」


 いつもと同じ唐突な切り出し。

 意味深な問いかけでジャブを打つのが先輩の悪い癖だった。

 相変わらずの突飛さに心地良さを覚えつつも、凡庸な僕がその答えを持ち合わせているはずもなく。

 短い沈黙の末に、「私はね」という言葉を頭につけて先輩が語り出す。

 それが、二人の間での恒例になっていた。


「私はね、『すべき』とか『した方がいい』とか、そういう表現があんまり好きじゃないんだ。なんだか窮屈に感じちゃってね」


 頬を指先で撫でながら先輩はぎこちなく微笑む。視線は僅かに下がり、その小さく整った顔に薄い影が落ちる。

 しかし、それも一瞬のこと。直後、顔を上げた彼女はすっかり元の調子を取り戻しており、凛とした眼差しを真っ直ぐこちらへ向けてきた。


「でもね、自分の気持ちの面倒は、やっぱり自分が一番見てあげる『べき』なんだよ。だって、人は自分が一番かわいいからね」


 ……まただ。また、あの眼。

 僕の目を捉えていながら、その実、僕のことはまるで見えていないかのような。

 どこか虚ろで、儚げで。その潤んだ黒い瞳の先に、いったい何を映していたのだろうか。


 今思い返せば、それこそが彼女なりの救難信号だったのかもしれない。

 しかし、当時の僕はその可能性に気づいていながら、あえて気づかない振りをしていた。

 自分勝手な期待を押し付けて、目の前の現実を直視することを頑なに拒んでいたんだ。


 そんな僕の最低な視線に気づいたのか、それともただの気まぐれか。

 彼女は徐に目を瞑ると、一度深呼吸を挟んだ。その後ゆっくりと目を開けて、仕切り直すように言葉を付け加える。


「……でも、いつまでも立ち止まっているのはダメだよ?」


 それから嗜虐的な笑みを浮かべると、先輩は当て付けるように呟いた。

 皮肉をたっぷりと含んだその置き土産を、最期に残したのだった。


 ♢


「ぱぱ、ないてるの? こわいゆめ……?」


 発音も覚束無い子供の声。

 身体を起こすと、おどおどしながら僕の様子を窺う幼女の姿が目に入った。

 その愛おしい娘の頭をガシガシと撫でてやりながら、僕は涙を拭う。


 そして、はっきりと答えた。


「うん、怖い夢。とっても怖い、呪いの夢」

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