地下通路

 一体何が起こっているのか。状況は完全にダミアンの理解を超えていた。もちろんこれは理解力の問題ではない。経験や知識の問題でもない。知識と経験の豊かな大人であっても、到底理解が追いつかないだろう。

 雑誌の表紙の写真の中で妖艶なポルノモデルが動き出し、飛び出して、今は眼の前に佇んでいる。いや、浮かんでいる。現実的といえる要素が一つもない事態の只中に、ダミアンは置かれているのだった。

『よくやったわ、私の可愛い坊や』

 ポルノモデルが語りかける。その姿は文字通り透き通っていた。彼女の背後で揺れる蝋燭の火と、その明かりに照らし出された古い地下通路の壁や天井が、肉感的な肢体を透かして見えるのだ。

 これは夢だ。ダミアンは短絡した。反省室で眠ってしまったか、穴に落ちて気絶をしたか、経緯はわからないが、とにかく今は眠っているのだ。

 夢だとすれば、何が起こっても不思議はない。ダミアン好みの淫乱そうな巨乳の女がポルノ雑誌から出てきて、魅惑の体を堂々と見せつけてくれるのにも納得がゆく。ポルノ雑誌の官能的なモデルとセックスするところを想像して、ずっとオナニーを繰り返してきたダミアンだ。その夢を、夢が叶えようというのだ。

 だとすると、この先の展開は容易に想像がついた。この薄暗い地下通路で、巨乳のポルノモデルとまぐわうはずだ。

 ダミアンの両眼に欲望の火が点る。相手は見るからに淫乱そうな大人の女性だ。最初は押し倒されて、上に跨がられ、騎乗位で貪られたいなあ、などと思いながら、ダミアンは欲望まみれの目を向けた。視線の行先はポルノモデルの太股の付け根、むき出しの股間だ。

 ポルノモデルは楽しげに笑って、僅かに脚を開いた。股間に息づくオマンコがますます露わになる。更に彼女は長いかぎ爪の伸びた右手を添えて、陰唇を開いてみせた。

『ココが気になる?』

 ダミアンに遠慮はない。身を乗り出して食い入るようにポルノモデルの秘部を見つめながら、大きく頷いた。

 薄暗くてはっきりとは見えないが、その股間は燭光を浴びてぬめっているように見える。濡れているということだ。

 ダミアンは吸い寄せられるようにソロソロと前へ這い進む。とうとうポルノモデルの長い脚の下にたどり着き、上体を起こして股間に吸い付く。

 ことはできなかった。ダミアンの口も鼻も、透けて見えるポルノモデルの股間に重なり、埋まって見えたが、何物にも触れてはいない。地下通路に漂う冷たく重い空気があるのみだ。

 文字通りきょいた格好だ。衝かれた側は面白そうにダミアンを見下ろしている。

『舐めたい?』

 ダミアンは透けた股間に鼻を埋めたまま再び頷いた。

『なら、私の体を解放するのよ』

「カイホウ?」

 無知無学の悪童ダミアンにはわからない言葉だった。ポルノモデルは左手をダミアンの頭の上に重ねた。撫でるように手を動かす。

『私の体は別の場所に閉じ込められているの。そこから出るのを助けてくれたら、好きなだけ舐めさせてあげるわ。舐めるだけじゃなくて、他のこともたっぷり』

「どこに閉じ込められているの?」

 ポルノモデルはダミアンの頭を撫でる手を止め、長く鋭い爪で、濃い闇に閉ざされた地下通路の奥を指し示した。

『この先よ』

 まっすぐに伸びる地下通路を進むダミアンは、やがて行き詰まった。重い鉄扉に行く手を阻まれたのだ。

 あまり大きくはない。子どもの中でも小さなダミアンにとっては十分な大きさだったが、大人が潜り抜けようとすると、相当難儀するだろう。

 鍵がかかっているのか、錆びついているのか、将亦はたまたただ重すぎるのか。何にせよ、鉄扉は押しても引いてもピクリともしなかった。

 これ以上進むのは無理だと、ダミアンは早々に諦めた。背後に佇む、いや、浮遊する、透き通ったポルノモデルを見上げる。

「ここ?」

『いいえ。もっと向こうよ』

「でも開かないよ」

『そのようね。厳重だこと』

「戻る?」

 ダミアンは鉄扉とは反対側を向いた。来た道を戻れば、ダミアンの落ちた穴にたどり着く。短時間のうちに塞がるようなことがあるとは思えないから、外には出られるはずだ。どうにかして天井まで登ることができれば、だが。

 ポルノモデルは透き通った顔を振った。縦ではない。横だ。

 血で満たされた池のように紅い両眼が禍々しく輝く。なまめかしい黒唇が開いた。

『開けなさい』

 その声は鼓膜を通らなかった。言葉が直接、頭蓋骨の中にねじ込まれたような、異様な感覚。ダミアンは頭を抱えてうずくまった。

 僅かな地響きが後に続いた。向こう側から鉄扉を叩くような衝突音と、動物の甲高い鳴き声が立て続けに聞こえてきたかと思うと、幾許と経たずに、鉄扉が動き出した。

 倒れだしたのだ。ダミアンたちのいる、地下通路の方へ。

 ダミアンは慌てて退いた。逃げる少年を追い立てるように、鉄扉が倒れる。重い金属音が地下通路を震わせた。

 これだけでは終わらない。道が開けるなり、今度は激しい吐き気がダミアンを襲った。原因は悪臭だ。硫化水素、メチルメルカプタン、アンモニア、トリメチルアミン等々、人間社会の吐き出した悪臭物質と水気とをたっぷりと含んだおぞましい空気が、鉄扉の向こう側から雪崩込んできて、ダミアンの鼻と喉と肺にべったりとへばりついたのだ。

 カーサ・スペランツェイの知られざる地下通路は、孤児院が建つレイスモアの街の地下を巡る下水道に通じていたのだった。

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