05 二十二時のリビングにて

 午後十時過ぎ。

 楓は自宅のリビングにあるソファに一人、硬い表情で座っていた。

 静寂に包まれたその空間で遠くから聞こえる何か車のエンジンらしき音が微かに響く。

 暫くして楓一人きりのリビングへ瑠奈が姿を現した。

 彼女の手には手帳が握られていた。


「待たせてすまなかったな。 本社からの連絡がちょっと長引いてしまってな」


 瑠奈はテーブルを挟み楓の正面のソファへと座る。


「いえ……それで瑠奈、話というのは先日の警察署を襲ったドローンのイルフのことですよね?」

「ああ、お前も知ってると思うけど警察署を襲撃された事件自体はニュースなどで報道されることになった」

「はい、テレビで見ています」


 瑠奈の言葉に頷く楓。

 それから瑠奈は手にしていた手帳を開き話を続ける。


「だがあのドローンのイルフの事は世間には伏せられ表向きは警察署から逃亡し現在も捜索中、ということになっている。

 イルフが突然変化するというあんな前代未聞の現象を明るみにする事に上は慎重になっている、ということらしい」

「瑠奈、あのドローンに起きた突然の変化について何か分かった事はあるんですか?」


 楓の頭にイルフが音を立てひび割れ鋭い刃を生やしたあの異様な光景が蘇る。


「それなんだが……やはりヴァイオレットの能力、イルフの掌握によるものであるというのが濃厚らしい」

「ヴァイオレットの……ツヴァイの能力は不完全だったはずですが、もしかして――」

「……楓、ヴァイオレットの事をもうツヴァイと呼ぶのは控えろと言ったはずだ。

 お前の本当の名前、アインスと一緒に知られたら余計な勘ぐりをされるだけだぞ」

「すみません……」


 瑠奈にヴァイオレットを本当の名、ツヴァイで呼んだことを注意され俯く楓。

 その楓の姿を見て瑠奈は頭の後ろを気まずそうに掻いた後、咳払いをした。


「んん……まぁ私と二人きりの時なら問題ないか。 お前だって分かってることだろうしな」

「はい、瑠奈以外の人と話すときは注意をしています」

「オッケー。 じゃ続けるぞ。

 お前も言った通りツヴァイの能力は不完全なものでイルフをまともに支配下に置くことは出来なかった。 だがそれは奴が管理されていた施設から逃亡する前のことだ。

 イルフは成長する。 それはお前たち姉弟も同じだ」


 瑠奈は手帳のページを捲りツヴァイの能力について受けた報告を書き記したメモに目を向けた。


「ドローンのイルフの解析で奴の掌握について分かった事だが、イルフの制御を奪い暴走させる事は出来てもまだ完全なコントロールには至ってはいない、との事だ。

 それからはっきりとは分かりきっていないがイルフの制御を奪う事で成長能力を強制的に急加速させた、という痕跡が出てきたらしい」

「成長能力の、急加速……」

「ああ……つまりあのイルフに起きた突然の変化はツヴァイが成長してイルフの掌握に新しく付加された能力によるものではないか、とのことだ。

 だが現段階ではそのイルフの成長させる事が出来る能力や性能などは限られたものになる可能性が高いというのが解析班の見解だ」


 瑠奈は手帳から楓の方に目を移すと申し訳なさそうに眉を曇らせ、楓に言葉を掛けた。


「まだまだ確かな事は殆ど分かってなくて最前線に立つお前には本当にすまないと思うよ……」

「いえ、少しでも情報が得られるならばツヴァイと戦うときの手掛かりになります」

「そうだな。 だがツヴァイがこれ以上成長し、力を付けることになったらお前でも厄介な相手になるぞ、楓」

「……」

「楓?」


 楓は下を向き黙って何かを思い悩んでいた。

 そして暫くの後に顔上げ瑠奈に話し掛ける。


「瑠奈、これから話すことは私がツヴァイと戦うことを恐れたり嫌になったりしたのではない、ということを承知で聞いて欲しいのですが……」

「何だ?」

「ツヴァイを……弟をこのまま見逃すことは出来ませんか?」

「何だって!?」


 楓の提案に驚愕の声を上げる瑠奈。


「弟は私達から逃げ切ってただ生き延びたいだけなんだと思います。 私達がツヴァイを追うことを止めれば弟は力を使うことなく人間社会に溶け込み人間達と一緒に普通の日常生活を送る。

 瑠奈もそう思っているのでしょう!? だから――」

「それなら最初に言ったはずだ。 お前にツヴァイを追う任務を伝えた最初の時に、だ」

 

 声を荒立てながら話す楓に冷淡な口調で割り込む瑠奈。

 それから瑠奈は鋭い視線で楓の目を見据えながら話し出す。


「私達が奴を追うことを止めたら別の担当が編成されそいつらがツヴァイを追うことになるだろう、と。

 そして楓、お前と違って普通の人間であるその担当者達はツヴァイに対して掛ける情けも、ツヴァイを相手にして手加減をする力の余裕も持ち合わせていないはずだ。 だからその場でツヴァイを全力で廃棄処分にする、ということが考えられるとな。

 で、弟を生きたまま連れ戻したいならお前が任務を行うしかない、とも言ったはずだ」

「そう、でしたね……」


 再び俯く楓。

 瑠奈は楓から真剣な視線を離さずに言葉を続ける。


「更に言うなら、楓。 この任務を放棄すれば今度こそ本社は与えられた任務を果たせなかったお前に対して本当に欠陥品の評価を下し廃棄処分とするかもしれない。

 そんなことになれば一ノ瀬さんと会う事は二度と叶わなくなるぞ。 それでいいのか、楓?」

「嫌です……絶対に……!」


 楓の肩が僅かに震える。

 瑠奈は身を乗り出し楓の震える両肩に手を置くと彼女へ優しく喋りかける。


「なら、やるしかないんだ。 私達二人で」

「はい……」


 楓の肩からそっと手を離す瑠奈。


「辛い気分にさせて悪かったな。 今日はここまでにしよう。

 明日も学校があるんだろう?」

「ええ」

「また何かあったら報告するよ。

 それじゃあお休み、楓」

「はい、お休みなさい、瑠奈……」


 楓はソファからふらりと立ち上がりリビングを後にする。

 彼女は自室へ入ると暗い部屋に電灯を点けないまま座り込み自分の両腕に力を込めて自らの膝を抱きしめた。


 +++++


 楓が去っていた方から自室のドアを閉めたであろうパタンという小さな音が廊下に響く。

 瑠奈一人となったリビング。

 彼女はソファに座ったまま頭を抱え、自分の足元に視線を向けていた。


(何が私達二人で、だ!)


 固くまぶたを閉じる瑠奈。

 彼女の心では激しい感情が渦を巻いていた。


(戦うことは楓の一人任せ! 姉弟で戦わなくてはならない辛さも、常に付きまとう廃棄処分の恐怖も、一緒に背負ってやることすら出来てないじゃないか!

 それどころか私はあいつを脅すような真似をして……!)


 瑠奈の胸の内は楓への申し訳なさと、楓に何もしてやれていない自分への無力感と、それらから来る自己嫌悪のまぜこぜでいっぱいとなっていた。

 そして彼女は奥歯を強く噛み締める。

 

 他に誰もいない一人きりのリビング。

 そこは再び静寂に包まれていた。


つづく

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