02 イルフ
イルフ。
三十年程前、擬似的な命とも言うべき新たな動力機関と生物の肉体の性質を持つ新たな素材が開発された。
それらを用いて生命と肉体を模して製造された模造生命体、それがイルフである。
イルフは自己治癒能力と自己成長能力を持っている。
僅かな損傷・損耗ならそれを自ら治癒ことが可能であり、また作業を繰り返し行うことでその作業により適するために自らの身体能力・構造などを成長・変化させていくことが出来る。
そのため長い耐用年数と高い作業効率が望める。
イルフは新たな労働力として近年、先進国だけでなく世界中のあらゆる国のあらゆる分野に普及が始まっている。
+++++
真依がネットで改めて調べたイルフについての情報の大筋はそのようなものであった。
ベッドの上で真依はスマートフォンを使ってイルフの画像を検索エンジンで検索した。
だがあらゆるキーワードで試しても楓の様な人間と同じ姿のイルフの画像はヒットしなかった。
出てきたものは真依が幼い頃から見てきた機械の乗り物に近いイルフや両手足があるものの一目で人間と区別がつく人型のイルフなどであった。
(三島さんとは似ても似つかないな……)
真依はスマートフォンを手にしながらベッドへ仰向けに寝転がり楓に背負ってもらったときに感じた彼女の温かな体温と柔らかな肌の感触を思い出す。
(あれが私達を襲った重機と一緒のものから感じる感触だっていうの……?)
真依は上半身を起こすとテーピングで固定されている自分の足を見つめた――
+++++
楓が自分はイルフであると真依に告白したあの後、少し歩いていると二人は神社の側に運良く公衆電話を見つけ救急車を呼んだ。
救急車を待つ間、楓は真依と視線を合わせようとはしなかった。
ただ淡々と真依の足へタオルを使って固定する応急処置を施すと今度は口も利かなくなった。
真依は辛かった。
自分のためにここまでしてくれた楓にお礼の言葉を掛けたかったのだが楓のその様な態度に二の足を踏んでしまったのだった。
その後、やって来た救急車に乗せられ二人は病院へ向かった。
真依の足の怪我は医者によると痛みの割には程度は軽いとのことだった。
連絡を受けて急いでやって来た真依の両親もその診断にほっと胸を撫で下ろした。
真依は昨日今日と両親を心配させ続けて申し訳ない気持ちで一杯になったが、そんな真依に母親は、
「大したこと無さそうで良かったね。」
と、優しい言葉を掛けてくれた。
両親は救急車を呼んでくれた楓に挨拶をしたいと真依へ申し出たが病院で楓を見つけることは出来ず彼女はいつの間にかどこかへと姿を消していた――
+++++
「真依、体を拭いてあげようか?」
真依がテーピングされた足を見て重機のイルフから楓が助けてくれたあの夜のことを思い出していると部屋をノックする音に続いて母親の声が聞こえた。
「ちょっと待って!」
真依はスマートフォンをベッドの上に置いた。
あの夜、救急車を呼ぼうとしたときにはまるで反応がなかったそれは現在では全く問題なく使えていた。
(故障は一時的なものだったのかなぁ?)
それから真依は部屋のドアの前にいる母親にいいよと声を掛け自室の中へと招き入れた。
+++++
重機のイルフに襲われたあの夜から一週間程が経った。
暴走したイルフのことはテレビや新聞やネットで『重機のイルフが原因不明の爆発!?』と報じられたが、あまり大きくは取り上げられなかった。
そして直ぐに芸能人の不祥事や政治家の失言のニュースに押し潰されるように埋もれ、消えていった。
その間、楓が学校に登校してくることはなかった。
+++++
(三島さん、本当にどうしちゃったんだろう……?)
真依は学校の教室で今日も姿を現していない楓の身を案じていた。
『……私はイルフなんです』
(やっぱり、わたしに明かしたあの事が……)
真依が不安な気持ちでいると真依の教室に赤い髪をした生徒が入ってきた。
三島楓である。
(三島さん! 良かった)
ボロボロになったあの制服を新調したのか楓の制服は綺麗そのものであった。
楓が自分の席へと向かっていると彼女を見ていた真依と視線が合う。
と、楓は真依からの視線を外すと顔を背け席へと着いた。
「ッ!」
真依は息を呑んだ。
ホームルームを始めるためにやって来た担任の声が真依の耳には入らなかった。
+++++
昼休みを告げるチャイムが鳴る。
真依は午前中の授業にまるで集中出来ないでいた。
楓から視線を外されたことが想像出来なかった程、彼女にショックをもたらしていた。
(ご飯、食べないと……)
真依がノロノロとした手つきで弁当箱を鞄から取り出そうとしていると、
「一ノ瀬さん……」
真依はハッと顔を上げた。
真依の名を呼んだ声の主、それは楓であった。
「あの……ええと……」
だが楓の様子が何やらおかしい。
「一ノ瀬さん、ちょっと一緒に来てくれませんか?」
楓に連れられて真依は人の少ない屋上へ繋がるドアの前の階段にやって来た。
「えっと三島さん、私に何か話があるんですか?」
「はい……その、あれから足の具合はどうですか?」
「うん、ちょっと歩き難いけど見ての通りもう松葉杖が必要な程じゃないですよ」
「よかった! 何よりです!」
真依の怪我の具合が良くなっていることを知り安堵の表情を浮かべる楓。
自分の体の具合を気遣ってくれた楓を見て真依も自分が楓に避けられていたわけではなかったと感じ取りほっと安心した。
ところが楓は再び恥ずかしそうに真依からそっと視線を外し床に目をやる。
(何か……言い出せないことがあるって感じ?)
楓の様子を察して彼女に声を掛ける真依。
「三島さん、わたしに何か言いたいことでもあるんですか?」
図星だったのかビクリと体を震わせる楓。
暫しの後、楓は心を決めた顔つきになり口を開いた。
「一ノ瀬さん! 私の家へ来ませんか!?」
+++++
翌々日の放課後。
真依は楓に連れられて彼女の自宅だというマンションへ訪れていた。
(凄い……セキュリティもしっかりしてる。 三島さん、こんな立派なところに住んでるんだ)
昨日医者からもう大丈夫だと診断されテーピングを外した足でしっかりと楓の後を付いて行く真依。
暫くして楓は自分の目的の場所へ着いたのかある玄関のドアの前で足を止めた。
真依はその部屋の表札へ目を向けた。
表札には三島瑠奈という名前が書かれていた。
(るなって読むのかな? 三島さん、一人暮らしじゃなかったんだ)
楓はドアを開けると、どうぞと真依を中へ招き入れた。
「ただいま帰りました」
楓の帰宅の挨拶に応えるように部屋の奥から足音が近づいてくる。
「おーう、お帰り楓」
奥から現れたのは白いブラウスに黒のコットンパンツを履いた長身の女性だった。
歳は二十代半ば程だろうか。
彼女の姿で特に目を引いたのはアップに纏めた金髪と青い色の瞳だった。
「いらっしゃい。
貴方が一ノ瀬真依さん? 楓から話は聞いてるよ」
「あっ、はい、一ノ瀬真依です。 楓さんには命を助けて頂いて本当にお世話になりました」
「ハハッ、私は
瑠奈と名乗った女性は真依が自分の頭を見つめていることに気づく。
「? ……ああ、この髪の事? 母がアメリカ人、父が日本人のハーフなんだ。
まぁ立ち話もなんだから上がって」
楓と瑠奈に案内されてリビングへと連れて来られた真依。
彼女はそのまま瑠奈に促されてソファへと座る。
すると瑠奈が
「やばっ! お茶切らしてた。 楓、悪いんだけど買ってきてくれないか?」
「あっ、お構いなく!」
その真依の言葉を聞き流すように楓が瑠奈へ話し掛ける。
「急いだ方がいいですか?」
「いや、十分に気をつけながら行ってきてくれ」
「分かりました。 では行ってきます」
リビングを後にする楓。
遅れて玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
+++++
夕飯の買い出しに来ているだろう客とすれ違う楓。
彼女は少し離れたスーパーマーケットへとやって来て瑠奈に頼まれたお茶を買い終えていた。
(席を外すためとはいえちょっと遠くまで来すぎましたかね? では、そろそろ帰るとしましょう)
楓は自動ドアを抜け店の外へ出ると、再び自宅のマンションへと向かった。
+++++
「ところで一ノ瀬さん。 イルフと楓について何か質問はあるかい?
答えられる範囲なら答えるよ。 ただし楓の秘密を口外しないならば、ね。
楓は自分の正体と力のことを周りに知られるのを嫌がっているから黙っていて欲しいんだ」
リビングのテーブルを挟んで互いに正面のソファに座る瑠奈と真依。
二人が雑談をしていると瑠奈が突然話を切り替える。
その時、真依は楓が自分を家へ招いた理由を察した。
楓の秘密を共有させる代わりに口止めをしようというのだ。
少し思案した後、真依は瑠奈に問い掛けた。
「いいんですか?
質問の答えを聞くだけ聞いて、わたしが三島さんの秘密を言いふらすかもしれませんよ?」
「今、話した感じじゃ一ノ瀬さんはそんな事をしないと思う。 楓に対して大きな恩を感じている様だからだ。
楓に不利益な事はしたくない。 違うかい?」
図星だった。
真依は自分の命を二度も救ってくれた楓に強い感謝の気持ちを抱いていた。
そのため恩人である楓に迷惑が掛かる事をする気などは毛頭なかった。
楓とイルフの事をもっと知りたいと思っていた真依にとってこのチャンスは渡りに船だった。
真依はまず質問しやすいイルフについてから瑠奈に尋ねることにした。
「そうですね。
それじゃあ、わたしと三島さん……じゃなくて楓さんが重機のイルフに襲われたことは聞いていますか?」
「ああ、楓が一ノ瀬さんを助けたそうじゃないか」
「それでイルフって突然独りでに暴れまわったりするものなんですか?」
「イルフの暴走は確かに起こりうる事故だ。
だが世界中で見てもそれが確認された件数は非常に少ない、極稀な事柄だ」
「わたしがイルフに襲われたことは、ただ運が悪かったと?」
「かもね。 まぁ側に楓がいたことを考えると逆に幸運なのかもしれないけど。」
クスッと微笑む瑠奈。
真依は質問を続ける。
「楓さんは本当にイルフなんですか? どう見ても人間にしか見えませんけれど?」
「ああ、本当だ。 そういう新しいイルフなんだ、楓は」
「新しいイルフ……」
平然と言う瑠奈はさらに話を続ける。
「さっきも言ったけど秘密にしておいてくれよ? でないと楓は学校を辞めることになるかもしれない。
繰り返すけど楓自身も自分がイルフだと大勢に知られる事を嫌がってるしね」
真依はドキッとした。
まだ十分にお礼を出来てない上に親しくなりたいと思っている楓と会えなくなる、という事はしたくなかったからだ。
動揺する真依を瑠奈は微笑みながら見つめていた。
真依は一度深呼吸をして自分を落ち着かせると再び質問を始めた。
「楓さんの力は何なんです?
何でトラックや重機を真正面から受け止めたり、吹き飛ばしたり、爆発させたりが出来るんですか?」
「それについては悪いけどあまり詳しくは答えられない。
最近、世界で軍事用のイルフの研究が盛んになって来ている、とだけ言っておくよ」
(軍事用のイルフ……!? 三島さんは人を殺すためのイルフなの!?)
真依の背筋に冷たいものが走る。
真依は自分の不安を抑えつけるためか瑠奈へ矢継ぎ早に質問をする。
「ッ……楓さんがイルフだと知られるのを嫌がってるのに瑠奈さんは何で楓さんを学校へ通わせているんですか!?
正体を秘密にしておきたいなら、そんなことをせず目立たないところで生活をさせればいいじゃないですか!?」
「私は楓に幸せになってもらいたくてね。
楓は若いから学校で友達でも作って青春を味わわせてやりたかったんだ」
「……ふざけているんですか?」
突拍子もない答えに真依は瑠奈が真面目に答えているのかを疑った。
「ふざけて聞こえたなら悪かった、すまない……でも私は大真面目だ」
座りながら真依へ深く頭を下げる瑠奈。
彼女が顔を上げると先程までの軽い笑顔から一変、真剣な表情で真依の目を正面から見つめていた。
と、リビングへ玄関のドアが開く音が響く。
「おっと今日はこの辺りまでかな? また聞きたいことがあれば家に来てくれ。
答えられる質問なら答えてあげるよ、一ノ瀬さん。」
玄関から足音が近づいてくる。
その足音の主である楓がリビングに現れた。
「ただいま帰りました」
「おう、お帰り」
瑠奈は立ち上がり楓を迎えると彼女が買ってきたお茶の袋を受け取った。
「一ノ瀬さん、今お茶を淹れるからね」
「……帰ります」
真依はソファから立つと、袋を持ってキッチンへ向かおうとしていた瑠奈に突然帰宅することを告げ、鞄を手に取り玄関へと向かった。
「一ノ瀬さん……?」
何やら様子のおかしい真依を見て不意に不安になる楓。
「楓、一ノ瀬さんを送ってあげてくれ」
「……はい」
瑠奈の言葉を受けて足早に出ていった真依を追いかける楓。
リビングから玄関へと向かって行く楓の後ろ姿を瑠奈は目で見送った。
「後はお前次第だぞ……頑張れよ、楓」
リビングの中で一人呟いた瑠奈は窓の外を見る。
日が落ちかけ夜の帳が下りようとしていた空に防災無線の時報が鳴り響いていた。
+++++
楓のマンションから逃げるように早足で進む真依。
だが、マンションから出て間もない所で背中から誰かが真依を呼び止めた。
「待って下さい一ノ瀬さん!」
自分を呼ぶ声に足を止める真依。
振り返ると、そこには真依を追いかけて来た楓の姿があった。
真依を走って追って来たが楓は全く息を切らしていない様子であった。
「どうしたんですか!? 顔が真っ青ですよ!?」
尋常ではなさそうな真依の様子を見て心配する楓。
虚ろな目をしている真依を楓は近くの公園へと連れて行った。
+++++
楓が真依に追い付いた場所から少し歩いた先にある公園へとやって来た彼女達。
その公園のベンチに二人は並んで座っていた。
「落ち着きましたか?」
真依は楓が買ってくれた冷たい水を飲むのを止めペットボトルから口を離した。
「ありがとうございます、三島さん……」
「それで一体何があったんですか?」
――真依はマンションで瑠奈に質問をし、答えてもらった事を楓に話した。
「そうだったんですね……」
「三島さんは……軍事用に造られたイルフなんですか?」
「私が軍事用のイルフかどうかは自分では知りません。
ですが戦うためのイルフだというのは間違いありません」
(やっぱり――)
楓の告白で彼女が人を殺す目的のイルフではないか、という自分の考えが確かなものになったと真依は思った。
すると楓が言葉を続けた。
「私が造られた目的は確かに誰かや何かを破壊するためでしょう。 この強過ぎる力がその証明です。
でも、こんな破壊するための力で私は貴方の命を守ることが出来ました。
それはとても嬉しいことでした……誰かを傷つける目的で造られた戦闘用のイルフの私にとって、本当に……」
楓の言葉に真依はハッとした。
(そうだ、三島さんはわたしの命を救ってくれた。 イルフだということを知られるのを嫌がってる筈なのに、わたしにイルフだと知られるのも三島さん自身の身が危険に晒されるのも厭わず二度もわたしの命を救ってくれた!
造られた目的はそうだとしても三島さんは誰かを殺すようなイルフなんかじゃない!)
真依の頭にトラックの事故から助けてくれた日の記憶。
暴走する重機のイルフから助けてくれた日の記憶が蘇る。
楓は続けてぽつりぽつりと呟くように真依に語りかける。
「それでですね、瑠奈はそんな私に幸せになってもらいたいと言うのです。
私はイルフとしてこの世に生まれました。 それは人のための道具として生まれたということです。
イルフとしての能力を確かめること、育てること。 その時間が私が生まれて活動を始めてから現在に至るまで過ごしてきた時間の殆どでした。
そういった私の今までを見てきた瑠奈は色んな人達と触れ合って、色んな事を知ってもらいたいと、わざわざ学校へ通わせてくれました。 あのボロボロになった制服も瑠奈が直ぐに新しい代えのものを頼んでくれたんですよ。
そして瑠奈は私にここでの生活で何か楽しみを見つけて欲しい、ということを言ってくれました。
人間ではなくイルフでしかない、この私に。
まぁ普通の人間を装って学校や町で暮らすのにはまだまだ不慣れなんですけどね」
「三島さん……」
自分の出生からの境遇を語り終え苦笑する楓の話に真依は言葉を失くした。
そんな楓の話を聞いて真依はある事を決意をする。
「……三島さん、お願いがあるんです」
「何でしょう?」
「わたしと楽しいことを見つけてみませんか?」
「えっ?」
二人の間を春の風が通り過ぎ楓の赤い髪と真依の黒い髪を揺らした。
真依は大きく息を吸い込むと勢いをつけて楓へ自分の決意した思いをぶつける。
「わたしと一緒に遊びへ出かけませんか!?」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます