第5話 祭司ステラ
「始めまして、リリエリ様。私、ステラと申します」
いつの間にかへたり込んでいたリリエリは、仰ぎ見るような形でステラと名乗る女性を眺めた。
テレジア教の祭服を着た、長身の女性であった。
短く整えられた金の髪が、窓から差し込む僅かな光に輝いている。服も、表情も、雰囲気も、身に纏う全てが神聖で優しげなものに見えた。例えその服の裾が、真新しい血で濡れているとしてもだ。
立ち込めていた黒い霧は、今ではすっかり消え失せていた。未だ理解が追いつかず、ただただ見上げるばかりであったリリエリに、ステラは手を差し伸べた。傷のない白い手であった。
「さぁ、この部屋を出ましょう。お伝えすべきことが、沢山あるのです」
□ ■ □
ステラに連れられた先は一階のダイニングであった。リリエリが勝手に様々な物を持ち込んだせいで、部屋の中は雑然としている。
促され、リリエリはダイニングテーブルの椅子に座った。それを見届けてから、ステラもまた向かいに腰を下ろした。
その間、彼女はずっと優しげな笑みを絶やさなかった。ほんのりと血の匂いが漂う中でも、まるでティータイムの始まりを待つような雰囲気であった。
改めて自己紹介をさせてください、と彼女は言った。
「私はステラと申します。かつてヨシュアとパーティを組んでいた一人です。レダからも聞いていることと思いますが」
ステラ。その名は確かにレダから聞いている。
テレジア教の祭司であり、回復魔法に関しては随一だと言っていた。魔法の腕は見た目では分からないが、服装は確かにテレジア教で用いられている祭服だ。胸元に輝くタリスマンから、彼女がかなりの高位についていることが窺えた。
ひとまず、彼女は味方なのだろう。
寝不足でぼんやりした頭をなんとか動かして、リリエリは最低限の事実を飲み込んだ。
「あ、の。私はリリエリといいます」
「はい、リリエリ様ですね。現在ヨシュアとパーティを組んでくださっていると、そう聞いていますよ」
私からもお礼を言わせてくださいと微笑む仕草は、こんな状況の中にあっても優雅で気品すら感じられる。
その様子にリリエリは既視感を抱いた。ステラはかなり背の高い女性だ。過去に会っているのなら、忘れることは無いと思うのだが。
「リリエリ様がレダへと宛てた手紙は、僭越ながら私が受け取りました。急ぎここへ向かったのですが、少し遅かったようで。……ですが、最悪の事態にはならずに済みましたね」
「ヨシュアさんは、大丈夫なんですか」
「大丈夫ですよ。今はまだ」
ステラは視線を天井に向けた。その先はヨシュアがいる部屋だ。
「呪いが進行しています。手を打たねばなりません。……彼の背に紋章魔術が刻まれているのを、リリエリ様はご存知ですか?」
知っている。が、リリエリは答えを濁した。
人体への紋章魔術の直接刻印は禁忌だ。規模や内容によっては刻印した者もされた者も死刑と成りうるような、重い罪である。
人体への直接刻印は、人に流れる魔力を直接利用する形の紋章魔術だ。非常に強い魔法を行使することが可能となる一方で使用者への負担がかなり大きく、最悪の場合は死に至ることもあると聞く。
有り体に言えば、命と引き換えに優れた魔法使いになれる外法だ。
だがリリエリはヨシュアが魔法を行使する姿を今までに一度も見たことがない。不死や再生能力は邪龍の呪いによるもので、あの紋章魔術とは関係がないはずだ。
「アレを施したのは私です。魔力の吸収と放出を完全に断ち切る効果があります。要は、魔力的な意味で、ヨシュアと外界とを隔離するためのものです」
「……邪龍化を、止めるためのもの、ということですか」
「ええ。ですが、今の状況を見るに、」
最後まで言わなかったが、リリエリには言わんとしていることが痛いほどに伝わった。
ステラは緩く頭を振った。陰鬱な雰囲気を振り払うかのような動きであった。その行為に、どれほどの効果があったかは知れないが。
「リリエリ様のことはレダから伺いました。大胆で図太く、聡明で不屈。優れた知識と勇気を持つお方だと聞いております」
「……はぁ」
レダは随分とリリエリを高く買ってくれているらしい。当のリリエリはいまいち実感が沸かず、なんとも気のない相槌が口から出ていった。あの自信家の権化たる宮廷魔術師が、そのようにリリエリを評する姿がどうにも想像つかない。
「それから、……ヨシュアのことをよく理解し、彼の横に立つ覚悟がある、と」
ステラは笑みを深くした。それは眩しいものを眺める表情にも似ていた。
自分はそんな大層な存在ではない、とリリエリは思う。自分なんかがS級冒険者たるヨシュアに釣り合っているとは到底思えない。
だが、彼が少しでも自分を頼りにしてくれるというのなら、リリエリは全力でそれに応えるつもりだ。
その覚悟だけは本物であると、信じていたい。
この気持ちが少しでも多くステラに伝わるようにと、リリエリは真っ直ぐステラを見据えながら、肯定した。
「はい」
「……ヨシュアは素敵な方に出会えたようですね」
物語のハッピーエンドを語るような声だった。慈愛をそのまま声に変えたら、このような音色になるのだろう。
リリエリは唐突に既視感の正体に思い至った。時計台の中から見た、宮廷魔術師レダのスピーチ。彼の宮廷魔術師としての仮面は、目の前に座る温和な祭司を模倣している。
「お願いがあります、リリエリ様。お力を貸してください。……ヨシュアの呪いを、終わらせるために」
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