余暇の青⑦


 二人は進んだ。地底湖まではさほど時間はかからなかった。

 圧迫感のある狭い道の終わりに、ぽっかりと穴が開いているように見えた。その先は薄暗く、広い空間があることがわかった。

 

 ここまで来ると、リリエリにも気づくことができた。

 硬いものを砕くような音が、裂け目のように空いた向こう側から聞こえている。くぐもっていて聞き取りにくいが、明らかに一匹や二匹の出す音ではない。


 リリエリはヨシュアの肩を二度叩いた。意図を察したヨシュアは、そっと背負っていたリリエリを地面に降ろした。

 極力音を立てないようにリリエリが洞窟の終端、地底湖の様子を窺う。ヨシュアはそれを、静かに後ろから見ていた。


「……クラゲに似た魔物がいます。十数体、いや、もっと」


 聴覚も視覚もなさそうです、とリリエリはヨシュアを呼び寄せて裂け目の向こう側を見せた。


 推測通り、その先には地底湖があった。礼拝堂ほどの広さの地下空洞の奥側に、薄明るく輝く湖が広がっている。周辺にはごつごつした岩が多く転がっており、それを覆うようにして背の低い植物が生えているのが見えた。

 美しい空間かどうかはわからない。風景以上に、二人の目を引くものがあったのだ。


 青白く発光する巨大なクラゲが、地下空間を舞っていた。

 地底湖の上空をふわふわと照らすクラゲの姿は、見た目だけであれば幻想的とも言えるだろう。だがその触手、中空を埋めようとばかりに広く伸ばされた触手の先には、凶悪な棘が幾本も生えている。


 その触手の一本が、おもむろに周囲の岩に触れた。次の瞬間、そのクラゲが持つ幾本もの触手が岩を豪快に叩き潰した。白く柔らかそうな見た目に反して、随分と強靭な振る舞いだ。


「あの触手が感覚器ですね。あれに触れたら捕捉されて攻撃される、と」

「周りの岩、結構形が残っているな。あんなのが飛んでいたら、もっと壊れていてもおかしくないのに」

「……本当に、ついさっき発生したみたい」


 二人の会話の間にも、絶えず岩を崩す音が聞こえ続けていた。目の前の景色が、一切の躊躇もなく破壊されていく。二人の目的であった美しい風景が、徐々に形を変えていく。


「一応地底湖の景色は見れましたね。……帰りますか?」

「あのクラゲが眩しい。きっといない方が、いい景色が見れる」

「……ですね。何もかも壊されないうちに、さっさとやっちゃいましょうか」


 ヨシュアの足手まといにならないような場所を探すため、リリエリは地底湖の周囲にさっと目を走らせた。身を隠すのに良さそうな横穴、とも言えない程度の窪みを、ほど近い場所に見つけることができた。

 あの場所ならクラゲの触手に捕捉されることなく、ヨシュアの戦いを見ていられる。


「私はあの場所に隠れています。私にできることがあれば、指示をください」

「わかった」


 ヨシュアはリリエリを肩に担いだ。そうしてリリエリの示した隠れ場所に移動しようと一歩足を踏み出し、……そこで止まった。


「ヨシュアさん?」

「俺は怪我を厭わない。戦っているところは、きっと見ていない方がいい」


 守り切るからアンタは目を瞑っていてもいいんだ、とヨシュアは続けた。

 食人カズラの時も大蜘蛛のスタンピードでも、ヨシュアは酷い戦い方をした。たぶん今回も同じだ。楽しい光景にはならない。

 ヨシュアは強い。彼は死なない。リリエリのサポートが無くても負けることはない。彼の言う通り、リリエリが目を閉じて端っこでただただ丸まっていたって何ら問題はないのだろう。だからリリエリは答えた。


「嫌です」

「……俺は自分の腕や首に、頓着しないから、その、」

「知ってますよ。でも、目を逸らすのは違うでしょう。だってヨシュアさんの怪我も、死だって、私の責任なんですから」

「それらは俺の責任じゃないか?」

「私たち、パーティなので。連帯責任です」


 ですよね、とリリエリはヨシュアを見上げた。なんだか久々にヨシュアの顔を見ているような、そんな気持ちをリリエリは抱いた。

 ヨシュアは困ったような表情をしていたが、やがて根負けしたかのように小さく呟いた。


「……無理のない程度に」

「了解です」


 下方に広がる地下空間に向かって、ヨシュアがその身を躍らせる。

 ほんの僅かな落下の間、クラゲの放つ青白い光に照らされたヨシュアの横顔。リリエリはそこに、僅かな笑顔を見たような気がした。

 

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