余暇の青③
「で、僕のところに来たわけか」
エルナトギルド一階冒険者受付カウンター二番の主兼リリエリの親友であるマドは、心底呆れかえったような声を出した。
彼女の眉間には皺が寄っているが、迷惑客を見る視線と言うよりは泥だらけになっている子犬を見るそれに近い。やれやれといったポーズこそとっているものの、リリエリの話を聞く気はありそうだった。
昼前のギルドは冒険者の利用も少なく、受付嬢も暇なのだろう。もっとも、リリエリはあえてそういう時間帯を選んだわけだが。
ギルド受付嬢の業務とは全く関係のない会話であったが、彼女たちを咎めるものはいない。隣の一番カウンターの受付嬢は本を開いたまま舟を漕いでいるし、三番カウンターなんて不在だ。冒険者の半数が西方の有事に駆り出されているためか、エルナトギルドは大層のんびりとした空気に包まれていた。
「マドなら心当たりがあると思いまして」
「あるよ。リリエリの話に該当しそうな手記に、心当たりが三つほど」
「ええと、昔話してくれたやつです。エルナト近くの洞窟で、時間帯によって色を変える植物があって、なんか綺麗な感じの」
「ケイトリン女史の東部植物手稿第六章の記述だね」
「たぶんそれですね!」
うーん、とマドは長めの唸り声を上げた。悩まし気に口元に当てられた右手の人差し指は、一定のリズムを刻んでいる。考え事をしているぞ、と周囲にアピールするための動作であった。
「一応確認しておくけど、どうして手記の内容を知りたいのかな」
「そこに行こうと思いまして」
「……なんのために?」
「観光です」
はぁ、とマドは大きく溜息を吐き、頭を振った。
「壁外は観光地じゃないからね。僕以外には言わないでね、それ」
「もちろん。マドだから頼っているんですよ」
「無茶はしないって約束できる?」
「はい。ヨシュアさんもいますから、安心してください」
リリエリは一緒についてきていたヨシュアを手で示した。
リリエリの一歩後ろでただ立っていただけのヨシュアは、いきなり自分の名前が出たことに驚いたようで、少し目を開いて、それから小さく頷いた。
マドはヨシュアの規格外加減を知らないが、彼がS級冒険者であることは知っている。それから、ヨシュアが来てからリリエリが今までよりもずっと楽しそうにしていることもだ。エルナトの極近傍でしか活動できなかったリリエリが、今では彼の力を借りて遠くの地にも冒険に行ける。そのことを歓迎しているのは、なにもリリエリ本人だけではない。
リリエリは時折、好奇心だったり欲だったり思いやりだったりで自分の力量以上の無茶をする。ヨシュアとの初めての冒険の時なんてここ数か月ぶりの大怪我をして帰ってきたし、杖や魔道具も頻繁に壊す。
親友としてはこの上なく心配だ。ただそれ以上にリリエリの憧れを応援したいと、マドはそう思っている。
「『ナナイの都市を出て東に二日ほどで、馬身ほどの幅の川に辿り着いた。上流へ進むにつれて――」
淀みのない語りであった。マドは数分をかけて、手記の内容と思しき文章をそらんじた。
この内容が手記に完全に一致しているかどうかを確かめる術はここにはない。だがリリエリに疑いの念は微塵もなかった。
「お求めの手記は、これで合ってるかな」
「あぁ、これです! 目的地の位置も周辺状況も、しっかり記載されていましたね」
「……手記の内容を全部覚えているのか?」
「マドはすごいんですよ。とっても」
おだてても何も出ないよと笑いながら、マドはカウンターの下から一枚の布を取り出した。
畳まれてはいるが厚みがあり、開くだけでも難儀しそうな大きさだ。年季の入ったそれは、エルナト周辺を示す地図で合った。地図の真ん中にマドは人差し指を置いた。
「ここがエルナト。で、ちょっと北東にあるのが都市ナナイ。そこから東に進むとバルタラっていう山があって、手記はここを差していると思うんだ」
バルタラに流れる川の上流、アシに似た植物が濃く色づいた場所に洞窟がある。
手記の内容をまとめると、概ねこのような記述であった。マドが示してくれた地図と一致している。リリエリは後ろに立つヨシュアと目を合わせ、一つ頷いた。
「バルタラには有用資源がないから、転移結晶が設置されていなくてね。ここに行くのはちょっと苦労するかも」
「移動については問題ない。その、俺は移動が、得意だから」
言葉を選ぶあまり、ヨシュアがよくわからないことを言っている。マドはそんなヨシュアを一瞥し、柔らかく微笑んだ。
「頼もしいね。バルタラで危険な魔物が出現するって報告もないし、その点では安心かな。……ところで、バルタラ周辺の依頼は、エルナトギルドには存在しないけど」
「それはほら、適当にこの辺の依頼を受けて、こっそり勝手にバルタラに行くので大丈夫です」
「それ、本当に、僕以外には言っちゃ駄目だからね。……そういえば、達成に時間がかかる依頼が来ていた気がするなー。この依頼なら帰りが多少遅くなっても不自然じゃないだろうなー」
分かりやすすぎる棒読みであった。
マドはいつだって優しい。好奇心に負けて無茶をするリリエリに、怒ることも呆れることもある。それでも、最後はこうして折れてくれるのだ。
帰ってきたらマドと食事に行こう。冒険の話を土産にして、二人で楽しくお喋りがしたい。
カウンターの奥から依頼書を取り出しているマドの背中を見ながら、リリエリはそんなことを考えていた。
「いってらっしゃい、リリエリ、ヨシュア。君たちの素敵な冒険を、僕は心より祈っているよ」
「都合の良い依頼があって、良かった」
「……ヨシュアさん、あれ、マドの嘘ですよ」
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