余暇の青④
思い立ったが吉日ということで、二人は手記の内容を聞いた翌日に出発した。手記の内容から、道中の懸念はさほど存在しないことが推測されている。実際二人はさしたる困難もなく、記載にあった川と思しき場所に辿り着くことができた。
ここまでは想定通りである。問題は、件の洞窟を見つけることができるかどうかだ。
リリエリはヨシュアの背の上から川とその向こう側の景色をよく眺めた。手記の通り、背の高い黄金色の植物が群生している。様々な植物が好き放題に占拠している川縁には獣道一つついておらず、見通しも悪ければ移動にも不向きだ。断崖にあるという洞窟を探すのはなかなか骨が折れそうだ。
逆に言えば、この辺りには草花を踏み荒らすような生物が存在していないということだ。周囲に耳を澄ませば、小さな鳥が鳴くような声が絶えず聞こえている。凶悪な捕食者がいたらこうはなるまい。壁外というのにどこかのどかな風景であった。
「ヨシュアさん、近くにヤバそうな魔物とかいますか?」
「いない」
「じゃあ、ここで休憩しましょうか。腹ごしらえと、手記の内容の読み返しを」
リリエリはヨシュアの背を降りた。ぼす、と柔らかな音と共に草花がリリエリを包み込む。……姿がほとんど隠れてしまった。これでは少し離れただけでも迷子になってしまいそうだ。なんて邪魔な草だろうか。
「全部刈りますか?」
「それは、やめよう。時間が足りなくなる、と、思う」
そうですね、とリリエリは大人しく引き下がった。途方もない面積であったが、やれと言われればリリエリはこれらの草花を刈りきれる自信がある。ただ、当然ながら、作業には膨大な時間を費やす必要があるので、今この場で刈り始めるのが得策でないことくらいはリリエリも理解はしていた。
何よりこの作業、賃金が発生しない。リリエリは無心で採取するのは大好きだが、無賃で採取するのはそんなに好きじゃないのだ。日々かつかつで生きているリリエリにとって賃金の有無は文字通り死活問題なのである。
どこかにいるリリエリを踏みつけないように気を配りながら、ヨシュアは周囲の草を踏み倒した。気休め程度の面積であったが、休憩するのには十分だろう。ようやく深い草の壁を抜けてきたリリエリは、大きなバックパックをぺったんこになった草の床に置いた。
そよぐ風に青い匂いが香る川縁は燦燦と金色に輝いている。遮るもののない陽光を今のうちにたくさん浴びておこうと、リリエリは大きく伸びをした。洞窟の中では浴びられない光だ。いつだってあるものじゃない。だから今のうちに満喫するのだ。
良い天気であった。絶好の余暇日和である。
□ ■ □
ビスケットに魚の油漬け、それから塩で炒った胡桃にその辺の草で作ったスープ。スープには香辛料も入れてある。なかなか贅沢な食事が出来たな、とリリエリは自画自賛した。余暇だから。チーズもつけちゃおう。余暇だから。
今日はなんだかなにもかもが良い感じだ。リリエリは取り分けたスープを啜った。えぐみが強い。
「バルタラ風スープの味はいかがですか?」
「前に食べたネズミヒユ、アレを十倍薄めたような味だ」
「この辺の草は食べ物としても微妙ですねぇ。有用資源がないとは聞いていますけれど」
目の前に座るヨシュアは、例によって無表情のままスープを一気に口に流し込んでいた。ネズミヒユが例えに出てきたということは、このスープはヨシュアにとっても美味しくない寄りの味なのだろう。リリエリはビスケットを齧りながら木の皮で出来た手帳を取り出し、書き込んだ。アシに似た植物は食用にならず。
「このアシに似た植物が一層鮮やかになる場所に、洞窟の入口があるみたいですね」
「さらに上流だな。谷底、と書いてあったか。この辺りはほとんど起伏がないから、まだまだ長い距離を移動する必要がありそうだ」
「ですね。体力の方はいかがですか。いつもながら、ヨシュアさんには無理をさせていますから」
バルタラ山へは都市ナナイの方が近い。最短で向かうのであれば、まずエルナトから転移結晶でナナイまで転移し、それからバルタラを目指すのがベターだ。
しかし二人はそのルートを通らなかった。通れなかった、というのが正確だ。
テレジア教を始めとするいくつかの宗教の崇拝対象にもなっている転移結晶であるが、その実万能な道具ではない。一日に転移できる人数にも、転移できる距離にも限りがある。平素であれば、安くない金額を払いある程度の待ち時間を経てようやく目的地への転移許可が下りるようなものである。
しかし冒険者ギルドに所属している冒険者であれば、比較的簡便に転移結晶の利用が可能だ。依頼の上で必要性があれば、冒険者は転移結晶の使用を優先してもらえる決まりになっている。
正規の依頼を受注したのであれば、リリエリ達二人も都市ナナイへの転移許可が下りていただろう。ただ今回二人はダミーとしてエルナト近傍での依頼を受注していた。都市ナナイへの転移の必要性がない以上、転移結晶を優先的に利用することはできない。
ある程度の金銭と時間的余裕があるのなら私的利用も可能ではあるのだが、そんなものリリエリにはない。もしかしたらヨシュアはどちらも持っているのかもしれないが、彼にはそもそも転移して楽に移動しようという発想がない。
結局二人はエルナトから長い道のりを経てこの川縁に辿り着いていた。常人ならいったん行動を切り上げて休息の時間をとる必要があるような、過酷な工程だと思うのだが。
「無理じゃない。食べたら出発しよう」
そういった常人の物差しをヨシュアに当てはめることはできない。
はたして余暇になっているのかやや疑問に思いながらも、リリエリは彼の提案に頷いた。
彼の規格外の身体能力のおかげで、リリエリは一人ではとてもいけないような遠い土地を冒険することができる。彼とパーティを組めて本当に良かったと、リリエリは改めてそう思った。ただ、面と向かって口に出すのは流石に少し気恥ずかしくなって、リリエリはごまかすようにぐっとスープを煽った。心に浮かんだ言葉は、声になることなくスープと一緒に喉の奥へと消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます