第二章

第1話 宮廷魔術師レダ


 その日の小都市エルナトは活気に満ちていた。


 都市中央に位置する広場には溢れんばかりの人が集まっている。人々の顔は興味、好奇心、歓喜などなど、総じてプラスの感情が見て取れた。


 広場に隣接している時計台は、エルナトの顔とも言える非常に大きなものだ。その時計台を背にするように、特設のステージが組まれている。

 ステージではエルナトギルドを始めとした国家公務員に相当する職員が忙しそうに動き回っては着々と準備を進めていた。


 ……そんな様子が、眼下に見えている。

 リリエリは時計台の最上階、文字盤の真裏から人々を眺めていた。


「リデルさん、確かにここは見物にはもってこいかもしれませんけど。ここにいて良いんですか、私」

「駄目かも。だからこれは内緒な」


 リリエリと共に据え付けられた小窓から外を眺めていた女性、リデルが悪戯っ子のように笑う。二人は時計台の整備のために作られた小部屋の中にいた。


 周囲より一際高い建物である時計台を遮るものは何もなく、集まった人々の最後列すらも見通せる。残念なことに、肝心の特設ステージだけは背面から眺める形となってしまうが、眼下の混雑を思えば十分すぎるほどの特等席であった。


 正確無比に動き続ける大小様々な歯車が剥き出しになっているこの部屋は、当然リリエリのような一介の冒険者が入れるような場所ではないのだが。


「この時計台のメンテナンスにはアタシも一役買ってるからな。役得ってやつだ」


 リデルは言いながら、木製の鍵をカラカラと振ってみせた。この整備室に入るための鍵であった。

 ただの冒険者たるリリエリにはこの部屋に入る資格はない。が、整備担当らしいリデルが良しといえば良しなのだろう。リリエリは深く考えず、とりあえずそういうことだと納得し、至極気軽に友人の誘いに乗ってここに来た次第である。


 リデルはエルナトでも指折りの職人だ。当人は頑なに彫刻師を名乗っているものの、ものづくりに関することならおよそ節操なく何でもやっている。

 武器や防具はもちろんのこと、杖、家具、はたまた生地まで様々なものを作ってきたリデルだが、まさか時計台の整備までも請け負っていたとは。

 リデルと友人と言える関係になって数年が経つが、リリエリは未だにリデルの全容を測れずにいる。


「しっかしすげー人出だな。そんなに盛り上がれるもんなんかね、宮廷魔術師のお披露目ってのは」

「エルナトは王都ウルノールから遠く離れてますからね、宮廷魔術師が来てるとなれば、一目会いたいと思うもんですよ。……ところで、なんでエルナトに宮廷魔術師の方がいらしてるんですか?」

「なんも知らずについてきたのかよ。しゃーなし、リデル姉さんが詳細を教えてあげよう」


 リリエリの問いかけに、気分良さそうに広場を眺めていたリデルの顔がさらに楽しげな笑顔に変わった。

 リデルは噂話が好きだ。あるいは、流行り廃りに疎いリリエリに物を教えるのが好きなのかもしれないが。


「今日はレダっつー名前の宮廷魔術師が来てるんだ。ついこの間までS級冒険者としてブイブイやってた、超腕利きの魔法使いさ。最近宮廷魔術師に就任したってことで、各地で魔法の腕前を披露して回ってるんだと。で、今日は我らがエルナトの番ってわけ」

「つまり、今から最高峰レベルの魔法が見られるってことですか!?」


 リリエリはつい大きな声を上げてしまい、慌てて自分の手で口を塞いだ。周囲に誰かいる訳でもないが、一応こっそり時計台に侵入している身分である。

 その様子を見たリデルは、皆それ目当てで集まってんだってと呆れたように笑った。


 魔法。

 大気を始めとしたあらゆる所に存在する魔力を元に、自然現象を再現する技術。


 虚空から火や水を生み出したり、強い光で周囲を照らしたり。魔物の跋扈する壁外を渡り歩く冒険者にとって、優れた魔法使いの存在は生存率を著しく左右する。


 魔法使いが重要視され、重用される一方で、魔法使いとしての適性がある者は少ない。


 外界から魔力を吸収する能力。

 吸収した魔力をその身に貯蔵する能力。

 貯蔵した魔力を魔法という形で出力する能力。


 これらの素質に加えて、生じさせたい現象の確固たるイメージを自分の中に構築する必要がある。


 魔法を行使するために必要な四要素――吸収、貯蔵、出力、それからイメージ。これら全てが十全にこなせる者のみが、魔法使いを名乗れるのだ。


「そんなすごい人の魔法が見られるんなら、この人だかりも納得ですね」


 リリエリは集まった人々に視線を向けた。前列は心なしか子供の姿が多いような気がする。未来ある若者にとって、宮廷魔術師の魔法を間近で見られる機会は得難いものになるに違いない。


 四要素のうち、吸収、貯蔵、出力の三つは生まれ持った才能に依るところが大きいが、イメージであれば後天的な経験やトレーニングで十分に伸ばすことが可能だ。


 宮廷魔術師のような優れた魔法使いによる魔法の実演は、イメージの想起に強く役立つことだろう。

 彼らの魔法は、ただそこにあるだけで人々を導くことができるのだ。


「そろそろ時間だな」


 リデルはパチリと音を立てて手元の懐中時計を閉じた。と同時、遠くに聞こえていた人々のざわめきが急に静まり返る。

 リリエリは人々に向けていた視線をステージに戻した。ちょうど一人の男が歩み寄る場面であった。


 鮮やかに染められた布を惜しげもなく使用したローブを纏い、明らかに歩行用ではない豪奢に飾り立てられた杖を持った美丈夫が、優雅な動作で演壇に登る。


 彼こそが宮廷魔術師レダ。

 この世界において、疑いようもなく最高峰に位置する魔法使いである。


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