カナリアの洞窟②
「なんとなく想像はついていましたけどね」
エルナト森林深部。
小脇に抱えられたまま、人の出せる限界をちょっとだけ超えたくらいのスピードで森の中を走られるのも、リリエリにとってはもはや慣れたものだった。
人生とは想像のつかないことばかり起きるなぁ、と勢いよく後方に流れていく木々や草花を眺めつつ思う。万年C級の自分が、B級上位クラスのエリアにこうも頻繁に踏み入ることになろうとは。……いや、実はまだこの森に入ってから一度も地に足をつけていないが。
「それで、今回は何をすればいいんだ」
「どうも奥の方で未探索の洞窟が発見されていたそうで、そこの調査ですよ。安全性とか、魔物や有用資源の有無とか」
「……この方向であってるのか?」
「あってます。そのまま川沿いに進んでください」
行く手を阻む背の高い草や飛び出してくる魔物をバッサバッサと薙ぎ払いながら、二人は奥へと進んでいく。
ちなみにヨシュアは今回も武器なし、防具なし、道具なしのフリースタイルをとっている。ガチガチに準備を固めないと何もできないリリエリからしたら目眩のするような有り様だ。特に口出ししていないのは、それでもヨシュアならなんとでもなるということを知ってしまったからである。
……捨て身すぎる戦法は、なるべく控えて貰いたい気持ちもあるが。
「件の洞窟は谷の側面、南西……右手側にあるそうです。以前見つけた方々が、目印をつけてくださったようですよ。近くの枯れ木に赤い布を巻いた、と」
「……見える。遠い」
「ヨシュアさんは目も良いんですねぇ。私の視力ではさっぱり」
「もともと悪くはなかったが、ここまで良くなったのは邪龍を切ってからだ。あれから目も耳も調子が良い」
リリエリは返事に窮した。喜ぶべきか、悲しむべきか。取ってつけたように返した、そうなんですねという言葉は想像以上に空々しい音になった。
邪龍の首を落としたヨシュアは、それから死ねない身体になった。人々はそれを邪龍の呪いと噂する。周辺を腐敗させ、やがては自身が邪龍に成り果てるのだ、と。
呪いは実在する。この男が死の淵から蘇るのを、リリエリは実際に目の前で見た。
人の領分を二、三歩ほど飛び越えている膂力、脚力。加えて五感も良いときたら、身体が邪龍に近づいていると噂されるのもさもありなんというところだろう。
しかし邪龍ヒュドラを邪龍足らしめている最大の特徴、周囲の腐敗はその兆候すらも見られない。彼の着ている服も、住む家も家具も綺麗なものだった。
所詮噂は噂だ。人々の口に上るたび、少しずつ尾ひれを変えていったのだろう。もし全てが真実なら、こうして抱えられているリリエリが無事であるはずがない。
そもそも、リリエリはヨシュアのことを噂のような危険人物だとは思っていない。例え人々が彼を化物と謗ろうとも、彼自身がそのように認識していたとしても、だ。
そんなことよりヨシュアの異様なまでの主体性の無さと頓着の無さの方が恐ろしい。生来の気質なのか? よもやヒュドラがそんな性格だったわけでもあるまいに。
「そろそろ到着する。……俺は、洞窟の調査なんて一切できないが」
「その辺は任せてください。多少の覚えがあります」
「……あんた、なんでも出来るんだな」
「全部付け焼き刃ですよ。ある程度出来ないと誰も冒険に連れて行ってくれなかったんです」
「十分誇れることだと思う。俺は地図すら読めない」
「それはまた別の話な気がしますね……」
おもむろにヨシュアが足を止める。視線の先には、ひらひらとたなびく真っ赤な布。そのすぐ横には、まるで亀裂のように開いた洞窟の入口があった。
頼んだ、と言いながらヨシュアはリリエリを地面に降ろした。ここまでは全てヨシュアの仕事だった。ここからはリリエリが仕事をする番である。
「入口はとても狭いですが、奥は広くなっていそうですね。このままだと荷車は通らないなぁ」
「壊そうか」
「駄目です。崩れたら困ります」
リリエリは杖――とは名ばかりの、握りやすい棒を川縁の石の間に突き刺しながら洞窟に歩み寄った。ひゅうひゅうと風の音が聞こえる。どこかに続いているようだ。生き物の気配は感じられない。
「少し行った先が窪んでいますね。足跡もなし、フンもなし。魔物の住処というわけではなさそう」
「入らないのか?」
「まず安全確認からです。酸素がなかったり、危険なガスが溜まっていたら困りますから、これから――」
リリエリはいくつかの道具を取り出そうと持ってきた荷物を下ろし……はたと気づいた。ヨシュアがいない。いや、いる。洞窟に入っている!
「は? え、なんで?」
「……安全確認、を、」
言い切る前に、ヨシュアが窪みを覗き込む。あっと思ったときにはもう、窪みに上半身を突っ込む形で倒れこんだヨシュアの姿があった。
……言わんこっちゃない。
リリエリは頭を抱えて、深く深く絞り出すような溜息を吐いた。そうして、ヨシュアの奇行を溜息で済ませられる程に慣れてしまった自分に気がついて、酷く残念な気持ちになった。
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