短編 カナリアの洞窟

カナリアの洞窟①



「本当にすまない」


 リリエリは困惑していた。目の前でヨシュアが深々と頭を下げている。


 つい先日、二人はレッサーレッドの収穫依頼を終えたばかりであった。確かに道中は色々なことがあったが、なにか謝られるようなことなんてあっただろうか。

 S級冒険者であるヨシュアに頼り切っていたのは、むしろこちらの方である。


 リリエリにはさっぱり心当たりがなかった。おまけに、上背のあるヨシュアが人一倍小柄なリリエリに謝罪している様は非常に居心地が悪かった。

 幸いにして、ここはヨシュアの仮住まい。往来を行く人々によってヒソヒソと噂をされる事態は避けられたわけだが。


「あの、私、謝られるようなことされてないと思いますけど……」

「……これを」


 ヨシュアはおもむろにいくつかの木の破片を取り出し、二人の間に据えられた簡素なテーブルの上に置いた。

 部分的に焼け焦げたような跡のある、暗い色をした木の破片だった。軽量で比較的強度があり、家具などの日用品としてよく使われる木材に似ている。

 

 リリエリはこの木材に見覚えがあった。つい最近、この木材を幾度となく見たはず。家の中、ギルドの中、……森の中。


「……これ、もしかして私の杖、だったものですか?」


 ヨシュアは小さく頷いた。そうして、再び本当に済まないと口にした。心なしか彼が一回り小さくなっているように見えた。


 ヨシュアによって訥々と語られたことをまとめるとこうだ。


 先日のレッサーレッド収穫依頼の際、食人カズラによってリリエリの杖が失われたことをずっと気に病んでいた。

 そもそも杖を壊してしまったことを負い目に感じていたので、二本目の杖までも失わせてしまうのは本当に心苦しい。

 リリエリが転移結晶で帰ったあと、一縷の望みをかけて食人カズラと戦った場所まで引き返したが、取り戻せたのはこの一欠片だけだった。


「本当に、申開きのしようもない」

「……はぁ」


 S級冒険者ヨシュア。

 邪龍を屠り、邪龍に呪われた化物……という噂の張本人。


 その膂力が如何に人間離れしていようと、不死の身体を持っていようと。前回の冒険を経て彼の人となりの一部に触れたリリエリは、彼は化物なんかではないと確信した。そうして晴れてヨシュアとパーティを組むに至ったわけだが。


 ……わりと皮一枚だな、この人。


 先日の冒険、リリエリの主観では這々の体でようやく帰還を成し遂げたように感じられたのだが、ヨシュアはあの後、もう一度ナナイ山岳を登り、食人カズラを何とかし(……素手で?)、杖の一部を取り返してきたと言う。


 ヨシュアという人物を知れば知るほど、彼の印象が人間から離れていくような気がする。フィジカルはもとより、思考回路の面でも。


「……ええと、ヨシュアさんが謝る必要なんて一欠片もないですよ。私も一冒険者です、自分の冒険の中で失われた装備は、自分の実力不足のせいです」

「しかし、杖がないと困るだろう」

「すぐに新しいものを用意しますよ。ヨシュアさんのおかげで沢山素材も回収できましたから」


 前回の依頼はレッサーレッドの収穫だけが目的であったが、興が乗った二人はさらに深入りし様々な素材を採取していた。もちろん危険な目にあったし、ギルドからもそこそこ強めに釘を刺されることになったが、得られたものはとても大きい。主に金銭面で。

 リリエリは人差し指と親指で輪っかを作った。リリエリは割と浮かれていた。


「月光鉄にカーシャライト。そして亜毒竜のアレコレ。ヨシュアさんと半分こしても、優に二ヶ月分の生活費になります。杖だって作り放題ですよ」

「生活費は、生活に使ったほうがいいと思うが……」


 古今稀に見るヨシュアの大正論は聞こえないふりをした。

 杖は生活必需品だ。リリエリは右足が悪いのだから。だからどれだけお金を注ぎ込んでもいいのである。


「ともかく。ヨシュアさんは謝る必要ないですから、気に病まないでください」

「……そうか」


 ヨシュアは未だ納得のいっていない風であったが、これ以上追求することはなかった。


 ふと会話に空白が生まれる。ほとんど家具のない部屋は、沈黙の中ではとても寒々しい。


 ……家具、本当にないな。

 申し訳程度のテーブル、椅子、ベッド。ここにあるのは、予め備え付けられていた家具だけのようだ。


「……その、新しい杖はいつごろ用意できるんだ」

「早くて一日、遅くて三ヶ月くらいですかね」

「えらく期間に差があるな」

「既製品を買うなら今すぐにでも。一からオーダーするなら数ヶ月かかる、という感じです」

「……オーダーしたいのか?」


 沈黙。


 リリエリの目ががらんどうの部屋の中を泳ぐ。ヨシュアの視線をひしひしと感じるが、ヨシュアは何も言わない。ただじっとリリエリの次の言葉を待つだけだ。


 彼が受動的な人間であることは知っている。だから今ここで言葉を発さないことに特段の意図はないはず……ではあるが、リリエリにとっては大きなプレッシャーをかけられている心地であった。

 空白の時間は長くは続かなかった。折れたのは当然、リリエリである。


「オーダーしたい気持ちがないと言うと嘘になるといいますか、どうせならお金の限り限界までスペック盛りたいって思っている節もないこともないというか、職人の方が色々魅力的な紋章魔術を紹介してくれていてですね」

「うん」

「わかってはいるんですよ、さっさと既製品でそこそこの杖を買うべきだって。でもこう、ロマンと言いますか、もしかしたら? みたいな。人生でこんなにお金持ってる瞬間ないですし。一日二日夢を見ても罰は当たらないのではと」

「うん」


 誰がどう見ても、それこそヨシュアから見てもわかりやすいほどに溢れる気持ちが長文となってリリエリの口から流れ出ていく。対するヨシュアの反応は恐ろしく淡白である。


 杖の買い替えはリリエリにとっての一大イベントだ。折角の機会、おざなりにはしたくないという気持ちがあった。

 とはいえ、杖のないリリエリがヨシュアと共に壁外に出るわけにはいかない。パーティを組んだ手前、ヨシュアの行動を少しでも阻害しないようにさっさと既製品の杖を買って動けるようになっておくべきだ。

 そのくらい、リリエリにだってわかっている。わかってはいるのだ。その上で少しの間夢を見ているのだ。


「ならオーダーにするといい」

「ありがたい申し出ですけど、オーダーだと時間がかかりすぎますから」

「生活に支障がでるのか」

「いえ、生活自体はなんとでもなります。ただ、紋章魔術の一切刻まれていない杖なので、それで壁外に出るわけには」


 紋章魔術による歩行補助がない状態で魔物の跋扈する壁外に飛び出すのは自殺行為だ。自分はおろかパーティメンバーをも危険に晒しうる。

 常識的に考えたらそんなリリエリと共に依頼をこなそうだなんて思わないだろう。


 ヨシュアはリリエリの言わんとしていることを察したのか、少し考えるような素振りを見せた。そして、


「まぁ、なんとかなるんじゃないか」


 常識的に考えたら、杖のないリリエリと共に依頼をこなそうとは思わない。

 ……常識的に考えたら、の話である。

 

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