第6話 共に冒険を



「いやぁびっくりしたよ。リリエリを背負った血みどろの大男が急にギルドに駆け込んできたんだもん」

「あの、その節はどうもご迷惑を……」


 翌日、冒険者ギルドエルナト支部にて。

 昼下がりのギルド支部は閑散としている。この時間帯の冒険者の大半は壁の外だ。もう半分は酒を飲んでいるか、身体を休めているか、あるいはその辺の市井の人に交じって遊び歩いているか。


 言葉の割に随分と楽しそうだ。マドはどうも居心地の悪そうに受付机に向かうリリエリを気遣うように、闊達に笑い飛ばしてみせた。


「あの男の人にはギルドの休憩室を貸し出してるよ。血や汚れは酷かったけど、申告通り怪我はなし。丈夫だねー」

「回復魔法、得意みたいで。……ヨシュアさんの衣食住に対応していただいて、本当にありがとうございます」

「いいのいいの! ギルドはそういう場所なんだから」


 あれから。

 リリエリごとギルドに駆け込んだヨシュアは、門扉をくぐった瞬間にバタリと倒れ伏した。

 薄暗い森の中でも死を確信するほどに血に塗れた格好である。その日の依頼を終え、報酬の受取に明日の依頼にと活気に満ちていたはずのギルドは一時騒然だ。


 とはいえそれも一時のこと。ヨシュアは目に見える怪我は一つとしてなく、倒れた理由は恐らく空腹。今夜はギルドで面倒を見ます、というギルドマスターの一声で事態はすぐさま収束した。


 ギルドはただ冒険者の所属や依頼、報酬を管理するだけの施設ではない。余所から流れてきた冒険者や行く宛のない者を一時保護する施設としても機能する。今回はまさにその機能を果たしたという形であった。


「それより昨日リリエリが持ち込んだグレイサーペントに関してだけどね。あの……ヨシュアって言ったっけ、彼と山分けって話だったと思うけど」

「はい、等分で」

「肉は日持ちしないので換金。牙と皮はとりあえず保管しているけど、皮も早いとこ処遇を決めないとねー。悪くなる前に目を覚ますと良いけどね、彼。リリエリ分はどうする?」

「皮は換金。牙は、……持ち帰、いややっぱり換金で」

「りょーかい、全部換金ね。杖、壊れちゃったんだよね。それに当てるの?」

「そのつもりですが、元々使ってた物と同グレードの物を買うにはもうちょっとお金がいりますねぇ」


 ギルドでは冒険者の持ち込む素材の換金も請け負っている。そうして連携している紋章魔術師の連合や鍛冶師の組合に卸していくのだ。


 パチパチ。マドの指が木製の計算機を手早く操作していく。枠組みと珠がぶつかる音が心地いい。……算出された数値はやはり、パッとしない値だが。


「前の杖は白桜鉄に刃を仕込んだものだったっけ? C級の依頼だったら、十件はこなさないと手が届かないな」


 もちろん、代わりの杖ではリリエリの冒険者としてのスペックも落ちることだろう。

 マドはリリエリの手に握られた木製の杖――安価だが強度の低い羽椿で作られた、都市の中での生活に特化した杖を見て、心配そうに眉を寄せた。


「ああ、それなんですが」


 予想以上に明るい声色に、マドは視線を杖からリリエリに向けた。……リリエリがにんまりと笑っている。あまり見ない顔だな、とマドは思った。本当に嬉しいときにだけ見せる顔だ。


「ヨシュアさんと私、パーティを組むことになったんです」



□ ■ □



「……もし。もし、ヨシュアさんさえ良ければ――」


 向かう方向にぼんやりとした明かりが見える。小都市エルナトはもうすぐそこだ。唐突に始まった二人の冒険が、もう幾ばくもせずに終わってしまう。そんな折であった。


 次の言葉を告げるには沢山の勇気が必要だった。戦えない自分が言っていい言葉なのか。人の優しさにつけこんでいるだけなんじゃないか。


 でもそれ以上に期待をしてしまっている。

 戦い以外は何もできないとヨシュアは言う。その言葉が本当なら、リリエリだって役に立てるかもしれない。


 B級冒険者であるヨシュアがパーティを組んでくれるのなら。そうしたら今まで行けなかった遠い土地の依頼もこなせる。知らない植物や鉱石にも出会える。もっと遠いところまで冒険に行ける。


 彼の言葉は、あるいは罪悪感や義務感によって生まれたものなのかもしれない。だとしても、リリエリにとってはずっと待ち望んでいた千載一遇の好機に変わりはないのだ。


 冷え始めた夜の空気を大きく吸い込んで、身体を内側から冷やし、……リリエリは、自身の勇気を固めた。


「私と一緒に冒険をしてくれませんか」

「わかった」


 さらり。

 織りたての絹織物のようにあっさりと。真水のように手応えなく。おはようとおやすみの挨拶のように気負いなく。

 リリエリとヨシュアは、めでたくパーティ結成へと至ったのである。


「……あの、私C級冒険者で。戦闘は一切できないし、魔法も使えないですよ」

「うん」

「魔力が切れたら動けなくなるし、こうして背負ってもらわないといけない場面もあるかも」

「うん」

「あの、つまり、……いいんですか?」

「構わない」


 ……知らない対応だった。戦えないことを伝えた相手は、いつも大なり小なり嫌そうな、あるいは不安そうな顔をするというのに。


「アンタは野草に詳しい。スープも美味かった。魔物の解体もできる。戦えないとは言うが、一人で活動しているC級冒険者を俺は他に知らない」


 独り言に似た、静かな声だった。

 ただ前を見据えて走るヨシュアの声は、何に邪魔されることもなく真っ直ぐにリリエリの耳に入ってくる。


「……俺は戦うことしかできない。すぐに道に迷うし、食べていい野草と駄目な野草の区別もつかない。さっきの森で三回は朝を迎えたし、その辺の木の実を食べて吐いたりもした」

「……それじゃ、本当に一人で冒険できないじゃないですか」

「できないんだ。誰かの助けがいる。……アンタに会えたのは、僥倖だった」


 もしかしたら。

 ヨシュアにも、冒険者でい続けたい強い理由かあるのかもしれない。一人で冒険できないと言いながら、ずっとずっと向こうの都市から傷付きながらもやってくるほどの、強い意志が。


 ――自分と同じだ、と思った。


「だから、アンタさえ良ければ。……俺とパーティを、組んでくれないか」

「……喜んで。これから、よろしくお願いしますね」


 リリエリは、ヨシュアの骨張った背中に小さく小さく返事をした。その声が震えていることに、ヨシュアが気づいてしまったかどうかは、わからない。



□ ■ □



「――と、いうわけなんですよ」 

「おめでとう! ああ、めでたい! リリエリがまた誰かと冒険できるなんて、自分のことみたいに嬉しいよ! お祝い、お祝いしないと」

「あはは、マドは大げさですね」


 昼の日の差し込むギルドは相変わらず人がまばらだ。カウンターからやや身を乗り出すようにしてがっつりとリリエリの話を聞いていたマドは、大いに安心したような様子で椅子から立ち上がった。


「そういうことなら新しい依頼を見繕わないとね。B級かな、それともA級? 気合が入っちゃうな」


 向いてそうな依頼いくつかあったんだよねと言いながら、跳ねるような足取りで受付奥に向かうマド。と、不意にその足が止まった。


「そういえばまだヨシュアの冒険者等級を確認してないな。リリエリ、何か聞いてる?」

「そういえば、ヨシュアさんの冒険者証を預かっていました。こちらで確認してもらえますか? B級の方だと思うのですが」

「ああー助かる。彼まだ目を覚まさないからさ、確認できなかったんだよね。どれどれ」


 リリエリは鞄の中から預かったままの冒険者証を取り出した。薄汚れているが、それも当然だろう。持っていた本人も酷い有り様だったのだから。受け取ったマドもまた、えらい汚れてるねーと苦笑いをしている。


「錆に汚れ……うーん、これは酷いな。一回綺麗にしないと何もわからない」


 マドは引き出しから布切れを取り出した。手のひらより少し大きいくらいの布が、角に通された紐に結ばれて束になっている。


 様々な素材の布にはそれぞれ異なる装飾――紋章魔術があしらわれていた。紋章に応じて水や弱酸の力が発現する、掃除に特化した魔道具である。どこの家庭にも一揃いはある、ありふれたアイテムだ。


「駄目だ、汚れが酷くてこのレベルの魔道具じゃ落とせないね。もっと強いものじゃないと」


 ありふれたアイテムというのは往々にして廉価であり、能力もまたほどほどである。例に漏れず、ギルド引き出しで眠っていたその布束の力もまたほどほど。冒険者証にこびりついた汚れは一向に落ちる様子がない。


「こりゃもっと強い魔道具がいるね。しょうがないなー。リリエリ、ちょっとお使い頼んでもいい?」

「もちろんいいですよ。今日は壁外に出る気はなかったですし」

「オーケー、じゃあアトリエ・リデルの布地七番をよろしく! 対価は今日の晩御飯でどう?」

「契約成立ですね。夜までには戻ります」


 マドは引き出しから小さなポーチを取り出し、リリエリに差し出した。中からはチャリ、と硬貨が擦れる音がする。コレで買ってこい、ということだろう。


「いってらっしゃーい!」


 やたらとテンションの高いマドの声を背後に、リリエリはギルドを後にした。

 本日も晴天。お使いクエストにはうってつけの天気である。


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