第5話 冒険者リリエリ
「お待たせしました。ではエルナトに戻りましょうか」
牙、皮、肉。グレイサーペントから取れるものを運べるだけ時間の限り取り尽くしたリリエリは、戦利品を地面に並べながらそう言った。
空はすっかりオレンジ色を呈しており、もう間もなく日が落ちるだろう。小都市エルナトまではそう遠くない。完全な暗闇になる前には安全な場所まで出られるだろう。
「申し訳ないんですが、私と、このサーペントの素材を運んでもらえると嬉しいです。……サーペント、どのくらい持てそうですか? 全部が無理なら、価値のあるものを優先します」
「全部持てる。荷造りしてくれ」
「わかりました。……その、取り分ですが」
「全部アンタのものだ。アンタの剣で切って、アンタが解体した」
「……ヨシュアさんが首を落として、ヨシュアさんが運びますけどね。半々で手を打っていただけると助かります」
今日の依頼がこなせなかったリリエリにとって、この臨時収入は大変嬉しい。グレイサーペントはリリエリ一人ではとても手が出せない強さの魔物で、得られる素材はどれも丈夫だ。爪は武具や筆記具に、皮は服飾品の用途としてそこそこの価値を有している。……肉は、強く味付けすれば食べられなくもない程度のものだが。
さっと手際良く解体した大蛇を、詰められるだけバックパックに詰めていく。そこそこ重さがあるが、さてどのように運んだものか。
「両手は空けておきたい。背中に乗れるか」
「ああ、ではバックパックを背負った私がヨシュアさんの背に乗る、という形で」
よいしょとバックパックを背負ったリリエリは、ヨシュアが静止の声を掛ける前によたよたと覚束ない足取りでヨシュアに向かって歩き出した。覚束ないとはいえ、歩いている。
「……アンタ、歩けるのか?」
「魔力で補っている間は、なんとか。長くは持ちませんし、緊急時にしか発動しませんが」
よく見ると、リリエリの右足を覆うように巻かれている革製のベルトから、ぼんやりと光が漏れ出ている。日の落ちつつある森の中だからこそ見えるような、淡く弱い光であった。
「紋章魔術か」
「はい。ベルトの内側に彫り込んでいます」
紋章魔術とは、魔法をより簡便に、誰でも使えることを目的として編み出された技術である。
魔法を行使する、というのは才能に依存するところが非常に大きい。無才のリリエリは一切の魔法が使えないし、先程の話によればヨシュアの回復魔法も自分だけという制限がある。
そんな選ばれし者しか使えない魔法を、誰でも使えるように改良したものが紋章魔術だ。
魔力さえ供給すれば、刻まれた紋様に従って奇跡の力が発現する。数多の冒険者にとって必須の技術であり、また人々の生活を大きく向上させた技術でもあった。
小都市エルナトを魔物の脅威から守り抜いている大壁には魔物避けの紋様がこれでもかとばかりに刻まれているし、ヨシュアに振る舞ったスープを温めたのも火を起こす紋章魔術の効果だ。もちろん、自力ではとうに動かせなくなったリリエリの右足を、歩行ができる程度まで回復させているのも紋章魔術の力。
C級とはいえど、リリエリが今日まで冒険者を続けてこられたのは、この紋章魔術の技術あってのことである。
「30分程度は持ちます。……緊急時の、とっておきですが。なのでここからの移動は」
「うん。任せてくれ」
ヨシュアはしゃがみ込みリリエリに背中を向けた。その背もまた血のような赤褐色に塗れている。喜ばしいことではないが、その程度で動揺するほどリリエリの冒険者の歴は浅くない。
……ただ、これ、この汚れ方。やっぱり致死量ではないか?
心臓がある位置についた服の損傷と、その周りの夥しい赤。傷こそないが。ないとはいえ。
……本人が無事だと言っているのなら、無事なんだろう。現にホラ、傷もないし。
リリエリは自分を十分に納得させてから、ヨシュアの肩に手を置いた。
じきに日が沈む。リリエリ・ヨシュアの両名は、グレイサーペントをただ一つの収穫として、小エルナト森林を後にした。
□ ■ □
ヨシュアは早かった。ほんの少し前まで空腹で動けなくなっていたとは思えないほどに。リリエリとグレイサーペントの一部を背負っていてもなお、風に似た速度で足場も視界も悪い森の中を駆けていく。
「そのまま真っ直ぐ進んでください。もう十分も行けば舗装された道が見えてくるはずです」
「わかった」
リリエリは冒険者の中でもとりわけ小柄である。冒険者としては不利な面も多いが、狭い道や洞窟に分け入ったり、咄嗟に身を隠す分には重宝している。どうせ戦闘はできない体だ、リリエリは自分自身の小ささは別に嫌いではない。
一方のヨシュアは大変恵まれた体躯をしていて、リリエリよりも頭二つ、いや三つ分は上背があった。しかし体格は細身であり、その長身のせいでどこか貧相な印象すら受ける。行倒れていた背景を思えば、十分奇跡的と言える体型ではあるが。
リリエリは普段よりもずっと高い視点で流れていく小エルナト森林を眺めていた。やはり小動物の姿は見えない。夜の淵、昼間と比べて様々な生き物が活発になるはずなのに。
今自分が負っているグレイサーペントのせいであれば、ほどなく元の様子に戻るのだろうが。……静かな森は、どこか不気味だ。
「……一つ確認したいんだが」
不意にヨシュアが口を開いた。ひゅうひゅうと風の切る音の中でも、その低音は耳によく届く。風に負けないようにと、リリエリは無意識に声量を上げてどうぞと答えた。
気軽な気持ちだった。ヨシュアの声が、なんら気負わぬものだったからだ。だからだろう、次に続いた言葉は、油断していたリリエリの心に鋭く突き刺さった。
「あんたは足が悪いんだろう。魔法で補えると言っても、30分程度では……」
ヨシュアはみなまでは言わなかった。それでも、言わんとすることは痛いくらいにリリエリに伝わった。
冒険者に向いていない。
嫌になるほどに聞いてきた言葉だ。そんなこと、誰よりもリリエリがわかっているのだ。今だってヨシュアに背負われながら都市へと戻っている最中だ。文字通りお荷物。足手まとい。反論の余地もない。
続きの言葉はリリエリが口にした。誰かに言われるくらいなら、自分で先に言ってしまいたかった。
「冒険者には向いてない、ですよね。でも、これでも結構長いこと冒険者をしてるんですよ。……ずっとC級ですけど、戦うことはできないけど、危ないところを避けていくのは得意ですし、採集技術だって自信があります。それに、それに」
「杖がないと、何かと不便だろう」
「……それは、まぁ。…………?」
……あれ?
なんだか話の流れが思っていたものと違うような気がする。降って湧いた杖という単語によって、リリエリのマイナス思考は霧散した。
「……あの、杖がなにか?」
「壊してしまったから、何か償いをしたい。でも金が無いんだ。エルナトで稼ごうと思っているが、その間はあんたが困るだろう」
「別に特別な杖じゃないですよ。代わりのものなんていくらでも見繕えますし、このサーペントだってそこそこの金になります」
嘘だった。少し見栄を張った。
代わりのものなんていくらでも、とリリエリは言ったが、リリエリだって裕福ではなかった。サーペントのもたらす利益は、普段のリリエリの仕事ぶりから見れば多いと言えるが、あくまで"そこそこ"だ。望ましいランクの杖を買うには、頭4つ分は必要だろう。
冒険者たるリリエリの歩行を支えてくれる仕込杖ともなると、材質にも気を使う必要があるし、可能であれば紋章魔術だって彫り込みたい。デメリットの多いリリエリにとって、文字通り命綱となり得る装備なのだから。
そもそも壊れた原因がヨシュアのせいとは思っていない。彼はするべきときにするべき動作をしただけだ。
あの時ヨシュアが仕込杖を振り抜いてくれなかったら、リリエリなんてグレイサーペントに丸呑みにされていたかもしれない。リリエリは、グレイサーペントが後ろまで迫っていたことについぞ気がつくことができなかった。
アンタのお陰で助かった、とヨシュアは言う。とんでもないと思う。リリエリこそ、ヨシュアのお陰で命拾いしたのだ。
「だから、杖のことはお気になさらず。移動するための杖なら、すぐに工面できます」
特殊な仕込みのない普通の杖であれば今のリリエリにも手が出せる。まずはそれを買い、安全性の高い仕事から順にこなしていけばいい。杖のグレードを上げるのは、それからで十分だろう。
ヨシュアは何も言わなかった。背負われていると顔が見えない。何を考えているのか、リリエリには何一つとしてわからない。
だが、それでいいのだろう。エルナトについたら、それぞれの冒険に戻るだけ。
「……そろそろ舗装路が見えてきます。右手方面に真っ直ぐ行くと、エルナトですよ」
「俺は、」
森はとっくに抜けていた。脛程度の高さの草に覆われた草原の空は深い深い瑠璃色をしている。天気の良い日であった。満ちつつある月が、揺れる草花を照らしていた。
「俺は何も持っていないが、戦う方法は知っている。今までそうやって生きてきた。たぶん、これからも」
「冒険者ですもんね」
「そうだ。……アンタも、冒険者だ」
…………私も?
どんな魔物にも負けない力。困難に立ち向かう勇気。未明を照らし出す知識。万人に手を差し伸べる博愛。そしてどこへでも行ける、自由な肉体。
持っていない。リリエリは何一つとして持っていない。少なくとも、リリエリ自身はそう信じているというのに、
「俺は冒険者のアンタの足を奪った。……俺にできることをくれないか」
ヨシュアは、リリエリのことを冒険者と呼ぶのだ。
天気の良い日であった。冒険を始めるには、うってつけの月夜である。
「……もし。もし、ヨシュアさんさえ良ければ――」
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