第40話 珠子のお母さんはネコ

「──あなた、お待ちなさい」


 ふいに飛んできた高慢そうな声に、私は足を止める。

 ちょうど、軍の施設と王宮の間に作られた庭園にある、バラのトンネルを抜けた時のことだ。

 西の山際に太陽がかかり、ベルンハルト城も茜色を帯び始めていた。

 ミーミーと愛らしい鳴き声を上げる五匹の子ネコを抱え直し、私は首を傾げる。


「えっと、何か御用でしょうか?」


 声をかけてきたのは、以前もこの場所で私に絡んできた、三人組の若い令嬢達だった。

 身内に武官がいないこともあり、先のラーガスト王国との戦争にも無関心な者達ばかりだ。

 前回と同じく噴水近くの東屋にたむろしていた彼女達は、終戦とともにベルンハルト城に住み始めた私をいまだ警戒していた。


「あなた、いまだに殿下のお隣の部屋で寝起きしているのですって?」

「貴族でもないそうですのに、烏滸がましいのではありませんこと?」

「そもそもあなた、いったいいつまでベルンハルトにいるつもりですの?」


 日が沈み始めて解散しようとしていたところに、私が子ネコ達を連れて一人で現れたのをこれ幸いと、絡んできたようだ。

 しかし、私が彼女達の質問に答える機会はなかった。

 私に続いて、バラのトンネルから現れたものが先に口を開いたからだ。


『タマコ姉さんをいじめるにゃ』

「「「ひいっ……!?」」」


 ラーガスト王国の森から付いてきたライガーサイズのレーヴェで、なぜか私の弟ポジションに収まってしまった元祖チートである。

 巨大な肉食獣の登場に引き攣った悲鳴を上げた令嬢達が、ズサササッと後退った。

 すると、元祖チートの背に乗っていたネコが舌舐めずりをして言う。


『ぐっふっふっ、懲りない小娘達じゃな。おい、お前達。うちの珠子をいじめようとする性悪女どもを成敗しにゆくぞ。この母について参れ』

『はいにゃ、かーちゃん!』

『腕が鳴りますわね』


 さらに、後ろにいたらしい小さい方のチートとソマリも顔を出す。

 三匹は、いつぞやネコがそうしたように、ガサガサと音を立て、東屋の手前にある茂みに分け入った。

 そうして、にゃあん、猫撫で声を上げながら近づいてきた彼らに、令嬢達はたちまちメロメロになった。


「まあまあまあ! なんて可愛らしいのかしら!」

「見てごらんなさい! 毛がふわふわだわ! 抱っこしたい!」

「三匹ともまとめて抱っこしたいですわ!」


 ネコ一家に夢中の令嬢達は、もはや私の存在なんか忘れてしまったようだ。

 ただし、もちろんネコの方は、今回もただ彼女達の負の感情を摘みにいっただけではなかった。


「「「キャーッ!!」」」


 案の定、令嬢達が絹を裂くよう悲鳴を上げる。

 ネコが、チートやソマリと一緒にひっつき虫ビッシリの刑を執行したようだ。

 涙目の令嬢達はネコ達を東屋に残したまま、肩を怒らせてズンズンとこちらに近づいてくる。

 その際、件の茂みを踏み荒らしたせいで、彼女達のドレスの裾にはさらにひっつき虫が増えた。


「「「あ、あなた! 一度ならず二度までも! なんてことをしてくれたのっ!」」」

「いや、私は何もしていないんですけど……やっぱり、私に怒ってるんです?」

「「「だって、ネコちゃん達に怒れるわけがないでしょう!!」」」

「アッハイ……ごもっともで……」

『こわい……怖いお姉さん達だにゃ!』


 令嬢達の形相に、元祖チートがイカ耳になる。

 しかしここで、バラのトンネルからは、私の新たな援軍が現れた。


「まあ、おタマ? 急に立ち止まったかと思いましたら……何ですの。有象無象の相手をしている暇などございませんでしょう。おタマは、陛下から重要な使命を賜っているのですから」

「ふふ……〝なんかいい感じのワイン〟を譲っていただけるよう、侍従長様におねだりに行くだけなんですけどね」


 立ち止まっていた元祖チートのお尻をぺちんと叩いて前に出たのは、私に絡んできた令嬢達よりずっと身分の高いミットー公爵令嬢ロメリアさんと、その護衛役のメルさんだ。


「「「ロ、ロメリア様……メルさん……」」」


 令嬢達は、とたんにオロオロし始める。

 ラーガスト王国への道中に私を攫ったメルさんと、彼女に私の暗殺を命じていたその父ヒバート男爵は処罰を受けた。

 ヒバート男爵は奪爵の上、汚職にも手を染めていたことが判明して王都から追放され、ヒバート家は実質お家取り潰しとなった。

 メルさんは姓を取り上げられ王家に隷属することとなり、現在は出向という形でロメリアさんに付いているが、その表情に以前のような憂いはない。

 そんなメルさんに笑顔で牽制され、ロメリアさんに至っては視線さえ向けられなかった令嬢達が、今度は涙ぐんで言い募った。


「ロメリア様は、本当にこのままでよろしいのですかっ!」

「こんな、どこの馬の骨ともわからぬ女に、殿下の隣を許してしまわれるなんて……私達は納得いきませんわ!」

「やはり、ネコ達だけ残して、この女は即刻城から……いいえ、ベルンハルトからも摘み出してしまいましょう!」


 私に対する負の感情を爆発させた彼女達が、一斉に手を伸ばしてこようとした。

 その鬼気迫る表情に、子ネコ達が毛を膨らませて威嚇する。

 しかしながら、令嬢達の手から私を守ってくれたのは、前回そうしてくれたメルさんでも、巨大な肉食獣である元祖チートでもなかった。


「随分と勝手なことを言ってくれるな」

「「「で、殿下……っ!?」」」


 最後にバラのトンネルを潜ってきたのは、ベルンハルト王子ミケランゼロ──ミケだ。

 ミケは、ロメリアさんとメルさん、元祖チートも追い抜いて先頭までやってくると、当たり前のように私の頭をなでなでしながら言った。


「タマに部屋を与えたのも私ならば、ベルンハルトで保護すると決めたのも私だ。それに文句があるというならば、そちらが出ていけばいいのでは?」

「「「そ、それは……」」」


 王子にじろりと睨まれた令嬢達は、腰を抜かしたみたいにその場にへたり込んでしまう。

 そんな彼女達を容赦なく踏み越えて、ネコ達が澄ました顔をして戻ってきた。


『はー、どっこいしょー。やれやれ、今日もいい仕事をしたわい』

『かーちゃん! おれのしっぽに付いてるオナモミ、とってほしいにゃ!』

『ねえ、メル。わたくしの額にも何か付いておりませんこと?』


 チートのしっぽに付いていたオナモミは元祖チートが、ソマリの額のはメルさんが取り除く。

 ミケは飛びついてきたネコを抱えると、顔を見合わせてにやりと笑った。


「なかなか容赦がない。実に、結構なことだ」

『げっへっへっ、お褒めに与り光栄ですじゃ』


 このすごく悪役っぽい一人と一匹──私のモンペである。





 トラちゃんをラーガスト王国にある総督府に送り届けてからもうすぐ半年。

 ベルンハルト王国とラーガスト王国の戦争が終わり、そして私がこの世界に来てからも、間もなく一年になろうとしていた。


「かぁわいいなぁ、おタマちゃんは! そろそろ、おじさんちの子になってもいい頃合いではないかな?」

「うーん……じょりじょりする……ほっぺがすりおろされる……」

「おタマ! わたくしの妹の座も、まだ空いておりましてよ!」

「わ……いいにおい……ロメリアさんのいもうとに、なりゅ……」


 今日も今日とて、私は王妃様の部屋で催された飲み会にて、やんごとなき酔っ払い達に挟まれていた。国王様とロメリアさんだ。


『うにゃあ……タマコ姉さんは、モテモテだにゃあ』

『ですが、珠子姉様は母様の一の娘で、わたくし達のお姉様。国王にもロメリアにも、差し上げられませんわ』


 元祖チートは国王様の肘置きを務め、ロメリアさんの後ろで苦笑いを浮かべているメルさんの肩の上からは、ソマリがツンと澄ました顔で二人を見下ろしている。


「「「「「ミー! ミーミー!」」」」」


 テーブルの上をこちら向かって駆けてくる子ネコは、全部で五匹。

 このうち二匹は、総督府より戻ってきてから生まれた子達だった。

 そんなモフモフの弟妹達が、国王様とロメリアさんに揉みくちゃにされる私を心配そうに見上げる。

 結局、今回も見かねたミケが私の両脇の下に手を突っ込んで、やんごとなき酔っ払い達の間から引っこ抜いてくれた。

 

「タマの保護者は私だぞ。父上とロメリアはすっこんでいてもらおうか」

「ミケは……おかあさん……?」

『こぉらあ、珠子ぉ! お前は母はこの我じゃろうが! お前はお母さんは、ネ! コ! ちゃんっ!!』

「うん……わたしのおかあさんは、ネコちゃん……」


 ミケの肩にいたネコが、赤くなった私の頬をピンク色の肉球でペチペチする。

 猫の平均体温は人間のそれより高いため、肉球に触れると温かく感じるのが普通だが、今は私の頬の方が温度が高そうだ。


「あらあら、おネコさんもミケランゼロも、おタマちゃんが可愛くて仕方がないのねぇ」


 向かいのソファからは、王妃様がくすくす笑いながら私達を眺めている。

 その膝には、アッシュグレーの毛並みと青い瞳をしたロシアンブルーっぽい子がいた。

 国王様の──そして、今は亡き第一王子レオナルドの髪や瞳の色を映したその子に、王妃様はレオと名付けた。

 レオは王妃様に撫でられてゴロゴロと喉を鳴らしながら、私達を見て穏やかに微笑む。


『ふふふ……ちゃんと年下の子の面倒を見てえらいねぇ、ミケランゼロ』

「……どうも」


 王妃様の負の感情──長男を亡くした悲しみや寂しさ、それを気に病む次男を心配する気持ちなどを食らって進化した彼は、レオナルドの概念を引き継いでいるせいか、ミケに対して初対面からお兄ちゃんムーブをかました。


『レオナルドは、ミケランゼロをとても愛していたからね。僕も、兄としてミケランゼロを愛するよ』

「そうだったな……兄上は、私をとても慈しんでくださった……」


 うにゃっと笑い顔を作ったレオの言葉に、ミケがぽつりと小さく呟く。

 レオナルドが自分を庇って亡くなったため、ミケにとって彼の記憶は罪悪感を呼び起こすものとなっていた。

 しかし、レオがかつての兄のように振る舞うことで、彼に与えられてきた愛情や、一緒に過ごした穏やかな日々を思い出すことができるようになってきたらしい。


『ミケランゼロがこんな立派な男になって、レオナルドはきっと喜んでいるよ。間違いない。だって、彼の心を引き継いだ僕が、こんなに誇らしいんだもの』

「もったいなきお言葉」


 兄ぶって褒めてくるモフモフに、ミケが苦笑いを返す。

 ほろ酔い気分の私は彼の金髪をよしよしと撫でながら、兄といえば、と口を開いた。


「ロメリアさん、もうすぐ准将がお戻りになるんですよね?」

「ええ、総督府の駐留隊員の交代に合わせて。あの兄の顔を見るのも半年ぶりですわね」


 ラーガスト王国の新国王に祭り上げられる予定のトラちゃんだが、後見人となったラーガスト革命軍の代表があまりに頼りない人物であったため、准将は心配して彼の側に残ったのだ。

 あれから、トラちゃんとは何度も手紙のやりとりをしたが、准将をそれこそ兄のように慕っている様子が窺えた。

 その准将がベルンハルト王国に戻ってきてしまうとなると……


「わああ……どうしよう! 心配になってきた! ミケ、トラちゃんは大丈夫でしょうか?」

「急に酔いが覚めたな、タマ。トライアンなら大丈夫だろう。ああ見えて、なかなか強かだしな」

『我の子も一匹ついておるから問題なかろう。きっと、あれがうまく立ち回っておるわい』


 ミケもネコも楽観的なことを言うが、私はトラちゃんが周りの大人達にまたいいようにされないか不安になる。

 伯父である革命軍の代表はいまいち信用できないし、手紙で知る限りではトラちゃんと母カタリナさんの関係が改善された様子もないのだ。


「トラちゃんがもう少し近くにいれば、安心できるんだけど……」


 すると、王妃様の隣に移動した国王様が、ロシアンブルーっぽいレオを両手で抱き上げ、頬擦りしながら口を挟んだ。


「よーし、よしよし! おじさんが、おタマちゃんの心配事を解決してあげようじゃないか!」

「えっ、ほ、本当ですか? どうやって!?」

『ふふふ……じょりじょりして実に不快ですね。やめてください』


 顔を輝かせる私と、前足で国王様の頬を押し退けるレオ。

 王妃様が、引ったくるようにしてレオを奪い返した。


「まあまあ、陛下。しつこく構うから嫌われるのですわ。おネコさんにも子ネコさん達にもレオにも──おタマちゃんにも」

「嫌われたくないよぅー」


 国王様はえーんと泣き真似をしてみせたものの、すぐに気を取り直す。

 そして、空いてしまった両手をミケに差し伸べて言った。

 

「そういうわけだから、ミケランゼロ。よろしく」

「どういうわけですか。何がよろしくなんですか。もう、いやな予感しかしない……」


 うんざりとした顔をしたミケが、私を腕に抱き込んで国王様を睨む。

 私は、精神安定剤代わりらしい。

 宥めるようにミケの腕をポンポンすれば、黒い綿毛がまたわんさか飛び出し、ネコと子ネコ達がそれを食らい尽くした。

 国王様は、懲りずにレオにちょっかいを出しては猫パンチを食らいつつ言う。


「准将と一緒に、この城に戻ってくることになったんだよ」

「……誰が、ですか」

「トライアン君に決まっているだろう」

「──は!?」


 ミケは素っ頓狂な声を上げ、私は顔を輝かせる。

 国王様はそんな私達に向かい、眩いばかりの笑みを浮かべて言った。

 

「あの子、うちで預かることにしたんだ──ミケランゼロとおタマちゃんが、面倒を見てあげなさい」




 戦争終結からちょうど一年となったその日。

 ラーガスト国王となることが決まっているトライアン王子は、留学という名目で改めてベルンハルト王国の土を踏む。

 最後に見た時よりもぐっと背が伸びた彼の肩では……



「おひさしぶりです! お母さん、きょうだい──それから、珠子お姉ちゃんっ!!』



 真っ白い毛並みで耳の垂れた、スコティッシュフォールドっぽい子が目をキラキラと輝かせていた。

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