第15話 戦争の犠牲と責任
「──王子よ、お覚悟をっ!!」
その騒動が起こったのは、王都を出発して二日目の午後のことだった。
昨夜の宿営地からさらにいくつもの荘園を通り過ぎ、丘を越え森を抜け、今夜宿泊する予定の国軍施設まで山を越えればすぐというところまで来て、一行は休憩を取った。
「人間のためではなく、馬達を休ませるための休憩ですわ。山越えは骨が折れますから」
そう説明してくれたロメリアさんに促され、私とトラちゃんも一旦馬車を降りる。
誂えたみたいに転がっていた倒木に腰を下ろすと、准将が焚き火でお茶を沸かしてくれた。
ミケは、ミットー公爵やメルさんと一緒に、すぐ側の木立の陰で愛馬を労りつつ談笑している。
お馴染みの中将や少将達は、それぞれ別々の場所で末端の武官達を労っていた。
ネコや子ネコ達は、思い思いに休憩する人間達の間を練り歩き、愛想を振りまきつつ食事に勤しむ。
戦いに向かっているわけではないので、人々の表情も穏やかだった。
しかし、ふとした瞬間こちらに──隣に座るトラちゃんに向けられる視線は、私でさえ感じ取れるほどの殺気を孕んでいる。
「まあ、しょうがないよね……僕は憎っくきラーガストの、曲がりなりにも王子だから」
「トラちゃん……」
自嘲するように言うトラちゃんに、私は何と言葉をかければいいのかわからなかった。
私は両国の戦争に関してはまったくの部外者で、ベルンハルト側に立ってトラちゃんを糾弾するつもりはないが、安易に彼を擁護するわけにもいかないだろう。
(中立と名乗るのも烏滸がましい、ただただ無力な傍観者でしかない……)
私はそんな自分を歯痒く思った。
ロメリアさんは、私とトラちゃんのやりとりを口を挟まずに見つめている。
その強い眼差しから逃れるように、トラちゃんは目を伏せて続けた。
「この国の王子を殺そうとしたんだし……その結果、タマコのことを刺しちゃった。この事実は、なかったことにはできない。僕がこれから一生背負っていく、罪だ……」
「ト、トラちゃん、あのね? ミケのことはともかく、私のことはもう……」
その時、ふいに頭上が陰る。
太陽が雲に隠れたのかと思い、何気なしに顔を上げようとして──
「えっ……?」
誰かが、私達の背後に立っていることに気づいた。
背が高くて体格のいい男性だ。
他の武官達と同じ黒い軍服に身を包んでいるので、今回の旅のメンバーだろう。
逆光でその表情はよく見えないものの、眼光鋭くこちらを──トラちゃんを見下ろしているのだけはわかった。
「ト、トラちゃん! こっちへ……」
本能的に危険を感じた私は、トラちゃんを自分の方へ引き寄せようとした。
ところがそれよりも早く、私がロメリアさんに腕を掴まれ引っ張られてしまう。
時を同じくして、トラちゃんが小さく声を上げた。
「わっ……」
男の左手が彼を倒木のベンチから引き摺り下ろし、地面に押さえつける。
さらに、右手には……
「──王子よ、お覚悟をっ!!」
「や、やめて! トラちゃん──!」
ナイフが握られていた。
男は、地面に仰向けに倒れたトラちゃんの上に跨り、その切先を突き立てようとする。
とっさに飛び出そうとした私の腕を、ロメリアさんが強く握って止めた。
そんな中で響いたのは、慌てて駆け寄ってきたミケの声だ。
「──やめろ!」
さすがに王子の声は無視できないのか、男がビクリとして動きを止めた。
ミケは彼を刺激しないようにか、少し離れたところで立ち止まって、落ち着いた声で語りかける。
「どうか、頼む。そのナイフをしまってくれ」
「しかし、殿下! ラーガストの……こいつのせいで! 俺の父は、兄はっ……!!」
「今一度冷静になって、自分が押さえ込んでいる相手をよく見てほしい。──お前から父や兄を奪ったのは、本当に彼か? お前よりずっと幼いその子が、元凶か?」
「あ……」
ミケに言われた通り、自分が押さえ込んだ相手を見た男は、急に真っ青になった。
そうしてブルブル震え出す彼に、ミケは静かな声で続ける。
「我々ベルンハルトは、ラーガストからの一方的な宣戦布告をきっかけに、多くの犠牲を強いられた。お前には──いや、全てのベルンハルトの民には、ラーガストを恨む権利がある。これは、決して否定しない」
しん、と辺りは静まり返った。
別々の場所にいたはずの将官達がいつの間にか集結しており、トラちゃんと襲撃者、そしてミケを取り囲んでいる。
その背後では全ての武官達が立ち上がり、ことの成り行きを見守っていた。
中には腰に提げた剣の柄に手をかけている者もいたが、彼らが誰に向かってそれを振るおうと考えたのか──暴挙に出た同胞なのか、それとも敵国の生き残りの王子なのか、判然としない。
ミケはそんな部下達の顔をゆっくりと見回してから、トラちゃんを押さえ込む男に視線を戻して、だが、と続けた。
「トライアン王子以外の王族や、戦争を押し進めた連中は革命軍や民の手によって処刑された。今のラーガストに残っているのは、ただ戦争に巻き込まれただけの、名もなき民ばかり。我らの敵は、もういないんだ」
「では、殿下。この憤りは、恨みは、悲しみは、いったいどこにぶつければいいのでしょう……俺は、父や兄のために、何ができるのでしょうか……」
「お前の父や兄を戦場に送り出したのは、軍の全権を任されていた私だ。お前の怒りも刃も、受けるべきはその少年ではなく──私だ」
「あ、で、殿下……」
震える声で言い募る男をまっすぐに見つめ、ミケはぐっと頭を下げた。
「──すまなかった」
「で、殿下! やめて……やめてくださいませ! 頭を上げてくださいっ! 俺は、そんなつもりではっ……」
男はついにトラちゃんを放り出すと、よろよろとミケの前に跪き、ナイフを地面に置いて深々と頭を垂れた。
そのまま嗚咽を上げ出した背を、ミケがそっと撫でる。
「私は神ではないから、お前の父や兄を──この戦争で犠牲になったベルンハルトの民を生き返らせることはできない。私にできるのは、彼らが守ってくれたベルンハルトを一刻も早く立て直し、彼らが守りたかった者達が幸せに生きられる世を作る努力をすること、それだけだ」
男からナイフを受け取ったミケは、彼を一度強く抱き締めると、その身柄を准将に預けた。
それから、地面に転がったままだったトラちゃんを助け起こし、背中に付いた土を払ってやる。
人々は再び静まり返り、元敵国の王子同士のやりとりを固唾を吞んで見守った。
「部下が無礼な真似をして、申し訳なかった」
「……彼の怒りはもっともなことです。僕は、死んで詫びるべきなのかもしれない」
「あなたは王子でありながら、たった一人で死地に向かわされたのだ。あなたもまた戦争の被害者だと、私は考えている」
「いいえ……父や兄を止められなかった時点で、僕もまた加害者です。ベルンハルトの皆様、僕が無力なばかりに、申し訳ありませんでした」
トラちゃんが地面に座り込んだまま頭を下げたことで、武官達の間に動揺が走る。
あまりにいじらしい姿に、一気に同情が広がった。
トラちゃんが、武官達の息子くらいの年齢であることも影響しているだろう。
ミケは彼を立たせると、その肩を抱き、声を明るくして言った。
「ラーガストが、いつかまた我らのよき隣人となる日がくると、私は信じている。そうなるようラーガストを導くのは、こちらのトライアン王子だ。我々は、いつかくるそのよき日のために、彼を確実に総督府までお送りしようではないか。──みな、よろしく頼むぞ!」
御意! と見事に声が揃うとともに、盛大な拍手が巻き起こる。
私も感動のあまり、夢中で手を叩いた。
そんな私の頭を、騒動の間も優雅にお茶を飲み続けていたロメリアさんが無言でなでなでする。
いつの間にか私の側に戻ってきていたネコは、盛り上がる人間達をどこか冷ややかに見つめていた。
*******
山越えは、予想外に難航した。
この地方は前日に雨が降ったらしく、土砂が道を塞いでしまっている場所が何箇所もあったためだ。
目的地に辿り着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
とはいえ本日の宿泊場所は、戦時中は王都からの中継地として活躍したという、大隊規模の人員も収容できる大きな要塞だ。
おかげで全員が、小さいながらも個室を用意されている。
時刻は午後九時を回った。
私は、ロメリアさんやメルさんと一緒に湯を浴びてさっぱりしてから、トラちゃんと准将を加え、上官クラス用の食堂で夕食をご馳走になる。
同席するのはいつもの将官達が中心のため、ネコ達も当たり前のように入室を許された。
そんな中、ミケはミットー公爵とともに、要塞の責任者と会談中らしい。
「先ほど越えてきた山もこの要塞の管轄なのです。山道の復旧に関する相談をなさっているのでしょう」
そう説明してくれた准将を、妹のロメリアさんがじろりと睨んだ。
「まあまあ、お兄様。随分とだらしないお顔ですこと」
「えへへへ……だってー、チートが可愛いんだもーん」
ミットー公爵から預かったチートに耳たぶをちゅぱちゅぱ吸われて、准将はさっきからデレデレしっぱなしである。
『坊! 今日も一日馬に乗ってえらかったにゃ! ミットーさんの代わりに、おれが褒めてやるにゃん!』
顔面崩壊中の兄に、ロメリアさんがゴミを見るような目を向けた。
メルさんと苦笑いを交わす私の膝の上では、要塞を一回りして食事を済ませてきたらしいネコが大欠伸をしている。
一方、子ネコ達のターゲットは将官達だ。
「子ネコちゃん、今夜おじさんのベッドに来なーい?」
「ニャフ! ニャフフーンッ!」
額に向こう傷のある強面中将が子ネコを口説いている横では、メガネをかけたインテリヤクザ風の中将が今夜も元気に人語を忘れている。
「子ネコちゃんが見ててくれるなら、頑張ってピーマン食べる!」
「じゃあ僕は、ニンジン食べる!」
黒髪オールバックとスキンヘッドの仲良し少将二人組は、子ネコを囲んで小学生みたいな会話をしていた。
「ねえ、タマコ……あの大人達、大丈夫? すごく疲れているとか?」
「あはは……あの人達は通常運転だよ」
隣に座るトラちゃんはドン引きしているが、昼間の騒動が嘘のような和気藹々とした雰囲気に、私は食事が進む。
馴染みのない声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「──トライアン殿下。昼間は、大変失礼しました」
私はひゅっと息を呑んだ。
馴染みはないが、その声には聞き覚えがあったからだ。
昼間……というか、山に入る直前の休憩中のことである。
トラちゃんを地面に押し付けてナイフを振り上げ、お覚悟を、と叫んだ──あの男の声だった。
「ど、どうしてここに……トラちゃんから、離れてっ!!」
私はフォークを握ったまま、無我夢中でトラちゃんと男の間に割り込んだ。
膝の上にいたネコが吹っ飛んだが、かまっていられなかった。
(准将に連行されて、王都へ送り返されたって聞いたのに! どうして、自由の身なのっ!?)
そもそも彼は、ミケに諭されて復讐を断念したはずだ。
それなのに、どういうつもりで再びトラちゃんに接触してきたのだろうか。
訳がわからないことばかりで、心臓がバクバクと激しく脈打ち、冷や汗がこめかみから伝い落ちる。
ところがである。
「……あれ?」
私のとっさの行動に驚いて、ロメリアさんもメルさんも将官達もこちらに注目している。
にもかかわらず、トラちゃんを害そうとした男が再び現れたことに、誰一人慌てる様子がないのだ。
そればかりか当の男さえ、邪魔をする私に苛立つわけでもなく、ぽかんとした顔をしている。
緊張しているのは、私ただ一人だった。
その理由を、私はトラちゃんの言葉によって知ることになる。
「ああ、そっか。タマは知らなかったんだね──あれは、彼が一芝居打っただけだってこと」
「どういう、こと、ですか……?」
呆然と呟く私を見て、ロメリアさんもメルさんも将官達も気まずそうな顔になった。
「にゃあ」
静まり返る食堂に、ネコの声が響いた。
飛びついてきたネコを、私は縋るみたいに両手で抱き締める。
足下がガラガラと音を立てて崩れていく──そんな感覚に襲われていたからだ。
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