第14話 予想を裏切らない展開
──きゃああっ!
若い女性の、絹を裂くような悲鳴が夜の屋敷に響き渡った。
──きゃああっ!!
時を同じくして、男性達の野太い悲鳴も上がる。
それらを少し離れた部屋の中で聞いていた私とミケは……
「やはりこうなったか……」
「予想を裏切らない展開ですね」
顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
この日の早朝、ミケ率いるベルンハルト王国軍の一行は、ラーガスト王国を目指して王城を出発した。
総督府の交代人員も含め、総勢二百人余りの中隊規模だ。
ミットー公爵や准将といったお馴染みの将官達に加え、軍医としてロメリアさんとその護衛のメルさんも同行する。
ミケや将官達、メルさんは、戦時中も苦楽を共にした愛馬に跨った。
一方、私はネコ達と一緒に、トラちゃんを護送する馬車に乗る。
ミケは当初これに難色を示したが……
「わたくしが同乗すると申しているではありませんか。護送用のこの馬車が最も頑丈ですし、庇護対象は一台にまとまっていた方が警備もしやすいでしょう」
「それはまあ、そうなのだが……」
「ご安心くださいませ。道中、わたくしが殿下の分までおタマを愛でまくっておきますので」
「……私は挑発されているのか?」
ロメリアさんを恨めしそうな目で睨みつつ、最終的には首を縦に振った。
天気にも恵まれて旅は順調に進み、日が落ちる前に最初の宿営地に到着する。
王都から馬車で一日の距離にあるのは、豊かな小麦畑を有する大きな荘園だ。
収穫を目前に控え、辺り一面黄金色に輝いていた。
広々とした草原に天幕を張った軍隊は地元住民の歓迎を受け、温かい食事を振る舞われる。
そんな中、ミケは荘園を管理する領主の屋敷に招き入れられた。
領主からすれば、王子に野宿などさせられるはずがない。
なにしろミケは、先の戦を勝利に導いた英雄としても、国民の間で絶大な人気を誇っているのだ。
将官達、ロメリアさんとメルさん、そして私とトラちゃんも相伴に与ることになり、数人の護衛とともに客室へと案内されたのだが……
『ぐへへへ……王子に夜這いをかけようとは、領主の娘とやらは随分とアグレッシブじゃなあ』
ネコがニヤニヤして言う通り、年頃の領主の娘がミケの充てがわれた客室に合鍵を使って忍び込んだようだ。
ちょうど日付を跨ぐ頃のことである。
「どうして、自国民にまで警戒しないといけないんだ……」
危うく夜這いされるところだったミケが、うんざりとした顔でため息を吐く。
戦勝の英雄で独身、加えてこの美貌である。
夕食の席でミケと顔を合わせた瞬間から目がハートになっていた領主の娘は、彼との間に無理矢理にでも既成事実を作ろうと目論んだのだろう。
しかし、彼女の絡みつくような視線を察していたミケは、領主サイドに知られないようあらかじめ部屋を移動していた。
その避難先がここ──私とロメリアさんとメルさんの女子部屋である。
「殿下は、わたくしに襲われるとは思いませんでしたの?」
「ロメリアはそもそも、私に微塵も興味がないだろうが」
「ええ、殿下の外側には。けれど、内側……特に、骨は興味深いと思っておりますわ。殿下が死んだら骨格標本にしてもよろしくて?」
「普通に嫌だが?」
冗談か本気かわからないロメリアさんの話に、ミケはますます顔を顰める。
膝の上で丸くなったネコを撫でながらそんな二人を眺めていると、ロメリアさんがくるりと私に顔を向けた。
そして、それはそれは麗しく微笑んで言うのだ。
「わたくし、タマにもとても興味がありますの。刺し傷を縫う前にもう少しお腹の中を観察しておけばよかったと後悔しておりますわ」
「もう少しって何ですか? ちょっとは観察したんですか!?」
「だ、大丈夫ですよ、タマコ嬢! あの、ちょっと、ほんのちらっと、臓腑が見えたくらいで……」
「内臓見られるとか、はずかしいいいいっ!!」
相変わらず、メルさんのフォローはフォローになっていない。
わっ、と両手で顔を覆った私の頭を、隣に座った相手──トラちゃんが撫でた。
彼は戦々恐々とした様子で呟く。
「やっぱり、この公爵令嬢こわいよ……」
彼の見張り兼護衛を務めるはずだったミットー公爵と准将は、現在ミケの代わりに領主の娘への対応をしている。
先ほどの野太い悲鳴はこの二人のものだが……しかし、屈強な軍人親子が悲鳴を上げるなんて、いったい何があったのだろうか。
「私が領主の娘を取り押さえるのは、訳ないんだがな」
「殿下は何もなさらないでくださいませ。事を大きくして旅の予定が狂うのはごめんですわ」
肩を竦めるミケに、ロメリアさんがぴしゃりと言う。
そんなわけで、今夜はこの広い客室で、私とロメリアさんとメルさんに加え、ミケとトラちゃんも眠ることになり、代わりにミットー公爵と准将が囮としてミケの部屋に泊まることになった。
もともと置かれていたゆったりサイズのベッドを三つくっつけて、思い思いに寛ぐ。
私以外は生粋の王侯貴族だが……
『まあ、戦場を経験したやつらなら、男女入り乱れて雑魚寝するくらい、平気じゃろうなぁ』
そう呟いたネコが、私の膝から立ち上がって伸びをすると、ベッドの上を悠々と歩き始めた。
子ネコ達はスプリングを確認するみたいにぴょんぴょん飛び跳ねている。
なお、子ネコは五匹から四匹になっていた。
王妃様にベッタリだった一匹が、そのまま王都に残ったためだ。
ネコはそれが不服なようだが、その首の後ろには新たな毛玉もでき始めていた。
そんな中、私の顔を下から覗き込むように寝転んだミケが、笑い混じりに言う。
「しかし、タマ。絨毯に包まれて部屋を脱出するのは妙案だったな?」
ミケが別の部屋に避難するのが領主の娘にバレないよう、私達は一計を案じた。
まず、ミケの客室を覗いたロメリアさんが、そこにあった絨毯を自分の客室にほしいと大袈裟に騒いだ。
公爵令嬢であり王子の婚約者候補とも噂される彼女の要求を、地方領主ごときが跳ね除けられるはずがない。
領主はしぶしぶ絨毯の移動を使用人に命じようとしたが、こちらのわがままだから自分の部下にさせる、とミケが申し出た。
夕食後、くるくるに巻かれた絨毯が運び出されるのを見た領主サイドの者達は、まさかその中に王子が包まっていたとは思ってもみまい。
今回、女優を演じたロメリアさんが、私の頬を指先でツンと突いてため息を吐く。
「おかげでわたくしは、ここの家人に絨毯にこだわりを持つわがままな女という印象を刻んでしまいましたけれど? まあ、殿下が簀巻きにされる光景が面白かったので、許して差し上げますが」
「あはは……ありがとうございます、ロメリアさん。私の元いた世界で、ああして警備の目をくぐり抜けた女王様の逸話があるんです。二千年以上前の、外国の人ですけど」
言わずと知れた、古代エジプト女王クレオパトラ七世のことだ。
私は、メルさんの膝の上に落ち着いたネコを見て、そういえば、と続ける。
「その国が最初に猫を飼い始めたって言われていて、猫の神様もいましたよ。はじめは人を罰する怖い神様だったけれど、後にファラオ……王の守護者とか、子孫繁栄とか、病気や悪霊から守ってくれるとか、あるいは家を守ってくれる穏やかな女神様として描かれるようになったそうです」
「ネコが守護神、か。ネコに似たレーヴェは丈夫で、作物を食い荒らす害獣も狩ってくれるそうだが、それに通ずるものがあるな?」
「猫が好き過ぎて戦争に負けたっていう、有名な話もあります」
「ほう、詳しく聞こうか」
興味深そうな顔をして先を促すミケに倣い、私もベッドに寝転び頬杖を突く。
トラちゃんとロメリアさんも同じ体勢になった。
猫が好き過ぎて戦争に負けたというのは、クレオパトラ七世よりも後の古代エジプトに、ペルシャ帝国が侵攻した時のことである。
古代エジプト人達が大の猫好きだという情報を得たペルシャは、猫を前線に置いて盾にしたというのだ。
「結局、猫を攻撃できなくて降伏……そのまま、国は滅んだそうです」
『ぐぬぬぬ……猫ちゃんを盾にするとは、何たる非道……血も涙もない奴らじゃな!』
メルさんの膝の上に陣取ったネコは、憤慨やる方ないといった風に低く鳴いたが……
「それではまるで、ネコに国を滅ぼされたようなものではないか」
「案外、ネコも共犯だったりしてね」
「冷静な判断ができる人間が一人もおりませんでしたの? それならば、滅びて当然ですわね」
「ネコさんがかわいそうです……」
メルさん以外の三人は、猫を盾にされても攻撃しそうだった。
それにしても、複数人で同じ場所に寝転がり、頭を突き合わせて夜遅くまで話に花を咲かせるなんて……
(何だか、修学旅行みたい)
私はくすりと笑う。
元の世界では、人見知りし過ぎて全然友達ができなかった自分が、異世界に来てこんなに打ち解け合える相手に恵まれるなんて不思議な気分だった。
廊下はまだバタバタと人が行き交う音で騒がしいが、朝まで領主サイドの前に姿を現す気のないミケがこの場を仕切る。
「さて、明日も一日移動だ。もう寝るぞ」
「はーい」
「タマは素直でいいな。どうか、そのままでいてくれ」
「ふふ……」
唯一返事をした私の、以前とは正反対の色になってしまった髪を、ミケが褒めるみたいに撫でてくれる。
面白がったロメリアさんと、ミケに妙に対抗心を燃やすトラちゃんがそれを真似ると、メルさんはネコの毛並みを撫でながらくすくすと笑った。
一緒に寝ようと集まってきた子ネコ達に頬を寄せ、私は幸せな気分のまま瞼を閉じる。
『珠子よ、他人に心を預けるのも、ほどほどにしろよ……』
そんな私に、ネコはいやに冷静な目をして忠告してきた。
それが気にならなかったわけではない。
だが、この時の私は、明らかに舞い上がっていた。
後々、冷や水を浴びせられることなるとも知らずに──。
なお、ミケだと思って夜這いをかけた領主の娘はというと……
『おれ、ミットーさんと坊を、守ったにゃ!!』
チートに、散々顔面を引っ掻かれてしまったらしい。
ミットー公爵と准将が悲鳴を上げたのは、目の前で思いも寄らない制裁が下されたせいだった。
もちろん、娘の顔面が傷だらけにされようと、合鍵まで使って彼女を客室に侵入させた領主側に文句を言う権利などない。
朝食の席に、領主の娘の姿はなかった。
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