第三章 ネコ勢力拡大中
第13話 傀儡の王様
カン、カン、と鋼と鋼がぶつかり合う音が響く。
割れんばかりの歓声に闘技場が大きく揺れた。
「「「「ミー! ミーミー!」」」」
興奮した四匹の子ネコ達が、私の周りをぴょんぴょんと跳ね回る。
ローマに残るコロッセウムのような円形劇場のアリーナでは今、二人の人物が剣を交えていた。
「ミケ……! メルさんっ……!」
ベルンハルト王子にして国軍元帥を務めるミケと、ヒバード男爵令嬢でありミットー公爵令嬢ロメリアさんの護衛を務める男装の麗人メルさんだ。
捕虜として半年間王宮に軟禁していたトラちゃんを引き渡しに、ラーガスト王国に出発する日まで残すところ三日となったこの日、王城の近くに立つ円形闘技場では、剣技大会が開かれていた。
これは、ラーガスト王国との戦争が始まる前までは毎年行われていた伝統的な催しで、今回は三年ぶりの開催となるらしい。
剣の腕に覚えのある者が、国王陛下の御前で名誉を懸けて競い合う。
前回優勝したのは、ミットー公爵の長男であり、ロメリアさんの兄でもある准将だったが……
「びえーん、チートぉ! 負けちゃったよぉ!」
『よーしよしよし! ここまでよく頑張ったにゃ、坊!』
先ほど行われた準決勝で敗退し、父から借りたチートをモフモフして慰められている。
なお、チートはロメリアさんのことは〝嬢〟と呼ぶ。
アリーナでは、准将を下して三年前の雪辱を果たしたミケが、別の組から勝ち上がってきたメルさんと、今まさに優勝をかけて戦っている最中だった。
『げへへへ……人間はまったく、血生臭いことが好きじゃなぁ。どっちかが死ぬまでやるのか?』
「そんなわけないでしょ。これは健全なスポーツです」
私の膝の上でおててナイナイして香箱座りしているネコが、相変わらず悪い笑みを浮かべて縁起でもないことを言う。
古代ローマ時代の剣闘士などは、それこそどちらかが死ぬまで戦ったらしいが、ミケとメルさんが打ち合っているのはもちろん模造刀だ。
アリーナ席の真ん中には、国王夫妻とミットー公爵夫妻の姿がある。
私の視線を追って彼らを見たネコが、不機嫌そうに鼻面に皺を寄せた。
『あやつめ、あれから王妃にベッタリじゃな』
「そうだね。王妃様が少しでも慰められているといいけど……」
レオナルド王子が亡くなった話を聞いた時に王妃様を慰めた子ネコは、あれ以来頻繁に彼女に寄り添うようになっている。
私はそんな王妃様と子ネコから少し離れた場所に、ネコと残り四匹の子ネコ達、チートを抱っこした准将、ロメリアさん、そして……
「ねえ、タマコはどっちが勝つと思う?」
「え? えっとね……」
ラーガスト王国の末王子であるトラちゃんと横並びに座っていた。
トラちゃんを、ネコを膝に乗せた私と、チートを抱えた准将で挟む形だ。
彼の無邪気な質問に、私は思わず目を泳がせる。
すると反対隣から、こほん、と上品な咳払いが聞こえてきた。
「わたくしに気を使う必要などございませんわ、おタマ。わたくしも、メルではなく殿下が勝つと思っておりますから」
「あれっ、そうなんですか?」
「身内贔屓で現実を見誤るような無様な真似はいたしません。メルは強いですが、殿下とは比べるまでもありませんわ」
「えっ……?」
わっ! と会場中から歓声が上がり、私は慌ててアリーナへと視線を戻す。
ちょうど、カラン、と音を立てて模造刀が一本、石造りの舞台に転がったタイミングだった。
続いて膝を突いたのは、メルさん。
その喉元に、模造刀の切先を突きつけていたのは、ミケだ。
勝負あり! と審判が叫び、ミケの勝利が確定した。
わああっ……! とさらに歓声が膨れ上がる。
メルさんに手を差し伸べ健闘を讃え合うミケに、人々はますます熱狂した。
それに同調するように手を叩きながら、准将が口を開く。
「殿下は三年前ももちろんお強かったですが、あの頃は競技としての剣術しかご存知ありませんでした。しかし……」
准将は、隣で居心地悪そうにしているトラちゃんを一瞥して続ける。
「実戦を経験なさって、さらにお強くなられましたね。戦争が殿下を育てたのかと思うと、さすがに複雑な思いではございますが」
しみじみとそう告げた准将を見ないまま、ねえ、とトラちゃんが口を開く。
「半年前のあの時……もしもタマコが間に入らなかったとしても、僕はあの人を殺せなかった?」
「左様でございますね。一撃で致命傷になっていたとすれば別ですが、あの程度のナイフと……僭越ながら、トライアン様の細腕では簡単なことではなかったかと存じます」
「……だってさ、タマコ。僕は無意味なことをして、あなたに痛い思いをさせただけだったんだ……ごめんね」
どこか投げやりに言うトラちゃんに、私は慌てて首を横に振った。
フンと鼻を鳴らして、ネコが彼から顔を背ける。
集まってきた子ネコ達は、同じように首を動かして私とトラちゃんを見比べていた。お馴染み、シンクロニャイズドである。
そんな私達の頭越しに、ロメリアさんが准将に冷ややかな視線を送った。
「まあ、お兄様ったら。決勝にも残れなかった方が、よくも恥ずかしげもなく偉そうに講釈を垂れられたものですわね?」
「うぐっ……」
「殿下が実戦を経験して三年前よりも強くなったとおっしゃるなら、同じだけ戦に出ていたはずのお兄様はどうして負けたのでしょうね?」
「びえーん、チートぉ! 妹が軽率に自尊心を粉砕してくるよぉ!」
『よーしよしよし! 泣くんじゃにゃいよ、坊! 男の子だろっ!』
妹から容赦ない口撃を受けて泣きついてきた准将の顔を、チートが猫科動物特有のザラザラの舌でザリザリ舐めて慰める。
小さなモフモフに甘えるマッチョな兄を鼻で笑い、ロメリアさんはアリーナに視線を戻した。
国王様が優勝者であるミケと、ここまで勝ち上がってきたメルさんを褒め称えているところだった。
闘技場は割れんばかりの拍手に包まれるとともに、国王陛下、万歳! ベルンハルトに栄光あれ! という叫び声が幾重にも上がる。
そんな光景を前に、トラちゃんは呆然とした様子で呟いた。
「ベルンハルトの国王陛下は、国民に慕われているんだね。それに、国王陛下の方も彼らを大切に思っているみたい……僕の父上とは、大違いだ」
私はロメリアさんと顔を見合わせ、准将はぴたりと泣くのを止める。
トラちゃんはぐっと俯いて続けた。
「僕は、自分と母様があの伏魔殿で生き残るのに精一杯で、国民に目を向けたこともなかった。そんな僕なんかが国王になって、はたして何ができるんだろう……」
とたん、ふふふっ、とロメリアさんが笑った。
珍しく彼女がデレたのかと思ったが──
「何もできませんわ」
その美しい唇から飛び出したのは、さっき実兄にぶつけたものの上を行く、容赦のない言葉だった。
「できるわけがありません。あなたは傀儡ですもの。むしろ、ご自分に何かができるなんて自惚れない方がよろしいんじゃありませんこと?」
「ロ、ロメリアさぁん……」
「──今は、のお話ですわよ?」
「えっ……?」
私は今度はトラちゃんと顔を見合わせる。
そうだった。
ロメリアさんは悪役令嬢っぽくてツンツンツンツンツンデレだが、本当は面倒見がよい姉御肌なのだ。
「殿下だって、三年を掛けて成長なさったのです。トライアン様も、これからたくさん学べばよろしい。そうしていつか、真の国王として立つ日が来るでしょう」
ベルンハルト王国とラーガスト王国は敵対してきたが、今後それぞれの国を担うミケとトラちゃんの働き如何で関係を改善することも不可能ではないはずだ。
もちろん、お互いへの敵愾心や恨み辛み払拭するのは簡単なことではないし、時間もかかるだろう。けれど……
「ベルンハルトとラーガストの人達が、今の私達みたいに隣に座ってお話ししたり、一緒に誰かを応援したりできる関係になれたらいいね? トラちゃん」
「うん……うん、そうだね」
そうこうしているうちに、剣術大会の優勝者と準優勝者が揃ってやってきた。
会場の熱気に煽られた子ネコ達が、再びぴょんぴょんと跳ね回る。
私も彼らに負けじと飛び上がって、ミケとメルさんに手を振った。
その拍子に膝から落ちたネコから向こう脛に猫パンチを食らったが、何のその。
「ミケ、優勝おめでとうございます! ──おかげさまで、賭けに勝ちました!」
「賭け!? こらっ、タマ! 賭けとはなんだ! いったい、誰がそんなことを始め……」
「元締めはあの人ですよ」
「──父上か!?」
賭けは国王様が言い出しっぺで、王妃様と侍従長と剣術大会に参加していない将官達、それからロメリアさんと私と……
「あーあ、僕はぼろ負けだよ。なにしろ、一回戦で負けると思っていた男が優勝しちゃったんだもん」
「ほう? それは期待外れで申し訳ないな」
トラちゃんの賭け金は、面白がった国王様が出した。
ベッと舌を出して挑発するトラちゃんに、ミケのこめかみに青筋が浮かぶ。
私は慌ててミケの袖を引いた。
「ミケは全試合一番人気だったので、結局あまり儲けられませんでしたけど……お祝いに、何か奢って差し上げます!」
「タマは……私に賭けたのか?」
「もちろんです。全試合、ミケにしか賭けてませんよ。だって、ミケに勝ってほしかったんです」
「んん……そうかそうか」
とたんに機嫌を直して私をよしよしするミケに、トラちゃんが面白くなさそうな顔をした。
なお、ロメリアさんは全試合メルさんに賭けていたそうだ。
最初からミケが勝つと確信していた様子だったのに、なぜだろう。
首を傾げる私に、ロメリアさんはツンと澄ました顔をして言った。
「わたくしは、メルを応援しておりましたの。勝敗など、瑣末なことですわ」
それを聞いたメルさんが、感激して涙ぐんでいたのと……
『こらぁ、珠子! 賭けをしておきながら、どこが健全なスポーツなんじゃい!』
ネコが珍しく真っ当なツッコミをしたのが印象的だった。
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