第16話 うそつき娘

『おおーい、珠子ぉ。拗ねるなー。まぁーたく、面倒くさい子じゃな!』

「……面倒くさくて悪かったね」


 トラちゃんがベルンハルト王国軍の武官に襲われそうになったのは、実は事前に示し合わされていたことだった。

 それを知った私は食事を切り上げ、早々に充てがわれた客室に戻ってきた。

 六畳ほどのスペースに、質素なベッドと小さな木造りの机と椅子があるだけのこぢんまりとした部屋は、元の世界の一人暮らしの部屋を思い起こさせる。


『靴も脱がずにベッドに突っ伏しとるんじゃないわ、まったく……』

「「「「ミー……」」」」


 ネコは小言を言いつつ、さっきから私の背中をふみふみしていた。

 子ネコ達も心配そうに、私の周りに集まってきている。

 はあ、とネコがこれ見よがしにため息をついて続けた。


『今回の部隊には、先の戦争で死線を彷徨ったやつも、家族や友を失ったやつも大勢おるんじゃろ? 仇敵の王子がのうのうと生きとることに、そやつらが不満を抱くのも当然じゃわい』


 それは、トラちゃんに向けられる視線から、私でさえ感じ取れたことだった。

 

『小さな火種も集まれば大火事じゃ。放置すれば、やがて戦火となろう。そうなる前に、全ての火種を掘り起こして一気に消火することにしたんじゃなぁ』

「それはわかるよ。私だって、そうするって教えておいてもらえたなら……」

『秘密を知る者は、少なければ少ないほどいい。公爵家の娘やその下僕さえ、知らんかったと言うとったろ?』

「うん……」


 実際情報を共有していたのは、ミケとミットー公爵、そして襲撃役の男とトラちゃんだけだったという。

 つまり、他の将官達や、ロメリアさんとメルさんといった、さっきの上官クラス用の食堂にいた人達さえ知らされていなかったのだ。

 しかし、彼らは男が動いたとたんに瞬時に事情を察し、それぞれが適切な働きをした。


「あの時……とっさにトラちゃんを引き寄せようとした私を、ロメリアさんが止めたんだった」

『他にも、小僧を助けようと、あるいは便乗して恨みを晴らそうと動いた連中がおったが、将官達が盾になっとったわ』


 ネコは私の背中の上で、フンと鼻を鳴らして続ける。


『なにしろあれは、何人たりとも乱入が許されん、王子のために用意された舞台じゃったからな』


 戦争が終結した今、自分達がすべきことは復讐ではなく、平和で安全な世を取り戻すことなのだ、と。

 そのために、自分達も、犠牲となった者達も懸命に戦い、勝利を掴み取ったのだ、と。

 そう、今一度武官達に思い起こさせるために、ミケはあの舞台を用意したのだろう。

 ではなぜ、事情を知らされていなかったロメリアさん達がとっさに動けたのかというと……


『あの襲撃者役の男が、国王お抱えの隠密だと知っていたから、とはなぁ』

「そんなの、知らないよ……」


 私以外の者には、暗黙の了解があった。

 その礎石となっているのは、彼らに対するミケの信頼だ。


「私には……それが、なかった」


 ベッドに顔を押し付けたまま唇を噛む私の頭を、ネコがクリームパンみたいな前足でポンポンと叩いた。


『まだ半年の付き合いじゃし、あの王子はお前を民間人と言っとったくらいじゃ。軍の事情にあまり深入りさせたくないんじゃろうよ』

「……わかってるよ」

『別に、意地悪でお前に伝えてなかったわけじゃなかろう』

「わかってるってば」


 わかっている。

 私が傷つくこと自体、お門違いだということも。

 ただ、自分だけが何も知らなかったと気づいた私に向けられた、人々の気まずそうな顔を見て、思い出してしまったのだ。 

 猫カフェで同じシフトに入っていた子達が、私を除いたライングループを作っていたり、終業後に私以外のメンバーで遊んでいた、と知った時の気持ちを。


「わかってるけど……しんどい」

『はー、やれやれ……』


 学生時代も友達がいなかったため、修学旅行の部屋割を決める時なんて苦痛だった。

 余った私は、人数が半端だったグループの部屋を間借りさせてもらうしかなく、疎外感と孤独にいっそう苦しめられた。


(だから昨日の夜、一つの部屋に集まってミケ達と雑魚寝したのが、とても楽しかったんだ……)


 この世界に来て、少しは積極的に人と関われるようになって、もう疎外感を味わうことはないなんて勝手に思い込んでいた。


「気の置けない仲だって思っていたのは私だけで、みんなは……ミケは、違ったのかもしれない……」


 自分とミケの間に、突然分厚い壁が立ったように錯覚し、私の気持ちはどこまでも沈んでいく。

 はあー……と、背中の上でネコが一際盛大なため息を吐いた。

 それから、ベッドに突っ伏した私の後頭部に額を擦り付け、ゴロゴロと喉を鳴らして言う。


『あのなぁ、珠子よぉ。我もきょうだい達も、お前の負の感情を食ってやることはできんのじゃ。自力で振り払うか、消化せい』

「……なんでできないの?」

『珠子は同族じゃろ。共食いになってしまうからのぉ』

「……変な理屈。そもそも、同族じゃないし」


 その時、コンコンと扉を叩く音がした。

 続いて聞こえた声に、私はベッドから飛び起きる。



「──タマ、起きているか?」



 ミケだった。


『んぎゃ……! こらぁ、珠子ぉ! お前、何度この母を吹っ飛ばせば気が済むんじゃっ!』

「いたいいたいっ……ご、ごめんって!」

「──タマ、どうした? 大丈夫か?」

「あっ、はい! だいじょう、ぶ……」


 私がいきなり起き上がったせいで後ろに吹っ飛んだネコが、怒って猫パンチをしてくる。

 物音が聞こえたらしいミケの問いに、とっさに返事をしてしまったため、居留守も寝たふりも使えなくなってしまった。


「ロメリア達に話を聞いた。中に入れてくれないか。少し、話をしたい」


 ミケは、私がトラちゃん襲撃事件の真相を知ってしまったと聞いて訪ねてきたようだ。

 扉越しに話せないということは、廊下に配置されている守衛には真相を聞かせられないということだろう。

 私は扉に駆け寄り、鍵を開けようとして──手を止めた。


「……私のことは、気にしていただかなくても大丈夫です。事情は理解しましたし……言いふらしたりはしません」

「そんなことを心配しているんじゃない。私が心配なのは、タマ自身の……」

「私は、大丈夫です。でも、今日は疲れたので、もう眠っていいですか……」

「タマ……」


 今顔を合わせてしまうと、ミケを詰ってしまいそうで怖かった。

 私は、ミケにとって信用に足る人間ではないのか。

 まだ他に、私にだけ黙っていることがあるんじゃないのか、と。

 自分のそんな姿を想像すると惨めで堪らないし……


(ミケを、困らせたくない……)


 ミケの役に立ちたいと思っていたはずの自分が、彼を煩わせてしまうなんて許せなかった。

 私は声が震えそうになるのを必死に堪え、扉を隔てた相手に向かって明るく装う。


「本当に、大丈夫なんです! 明日の朝には、絶対元気な顔を見せますので! ミケも疲れたでしょう? 早く休んでください!」

「……明日、朝一番に訪ねる。その時は、顔を見せてくれるんだな?」

「はい、約束します──おやすみなさい、ミケ」

「ああ……おやすみ、タマ」


 やがて、扉の向こうで足音が遠のいたのを確認し、私は鍵から手を離した。

 いつのまにか足下に来ていたネコが、そんな私を半眼で見上げて吐き捨てる。

 

『この、うそつき娘がっ』

「何よ……」

『その顔のどこが大丈夫なんじゃ』

「うるさいな……」


 私はネコの視線から逃れるようにベッドに駆け戻った。

 勢いよく突っ伏すと、ベッドに乗っていた子ネコ達が反動で跳ねる。

 ネコもため息を吐きながら戻ってきて、私の靴を咥えて脱がし、床に落とした。

 

『やれやれ……珠子とて、あの王子に言えんことがあるんじゃぞ?』

「ないよ、別に。……まさか、陰キャだったってこと?」

『だったも何も、お前は今でも十分陰キャだろーが。まさか、陽キャになったつもりでおったんか? 片腹痛いな』

「ひどくない?」


 ベッドから少しだけ顔を上げて睨む私に、ネコはまた悪役さながらの笑みで応えた。


『ぐふふふふ……我らをただの可愛いモフモフ扱いする人間どもは、我らがこれまで数多の世界を滅ぼしてきたとは思いも寄るまいなぁ』

「世界を、滅した? あなた達がって……何の話をしている、の……?」


 それこそ思いも寄らない話題に、私は慌ててベッドの上に起き上がる。

 にちゃあ、とネコが不穏な笑いを浮かべて続けた。


『元来の我らは本能に従い、人間の負の感情を際限なく食らう生き物よ。しかも、爆発的に増える。数が増えれば糧となる負の感情が足りなくなるじゃろ。すると、どうすると思う?』

「新天地を求めて世界を渡るんでしょ? あなたが、私のところに来たみたいに……」

『その前段階の話をしとるんじゃい。糧が少なくなれば、普通は増やそうとするじゃろ? 人間なら、作物を育てたり、家畜を養ったりしてな。我らも育てるんじゃ。人間の負の感情をな』

「ど、どうやって……?」


 ゴクリ、と自分の唾を飲み込む音がいやに大きく響いた。

 ネコがさらに牙を剥き出しにして笑う。金色の目は、爛々と輝いていた。


『人間の心理に干渉し、戦争を引き起こす。世界は負の感情に溢れ、我らはさらに数を増やし──世界が滅べば、ここでようやく新天地を求めて旅立つ』

「そ、そんな……」

『この世界は、いったいどれほど保つのか……楽しみじゃなぁ、珠子ぉ?』

「ひっ……」


 私は、ぞっとした。

 ネコが冗談を言っているわけではないと、本能的に確信してしまったからだ。

 きっと、ネコの細胞の一部が私の中に溶け込んでしまっているせいだろう。

 ネコは真っ青になった私を面白そうに眺めると、ベッドから木造りの机へと飛び移る。

 そうして、空気を入れ替えようとわずかに開いていた窓の隙間をするりと抜けて、外へ出てしまった。


「ちょっ、ちょっと! どこへ……」

『夜食を馳走になってくる。お前の辛気臭い顔は腹の足しにもならんからな。心配せんでも、今すぐこの世界が滅びたりはせんわ』

「そ、そう……なの……?」

『では、母はもう行くぞ。ちゃんと戸締りしてから寝ろよ』


 そう言い残し、ネコの白い体が闇に溶ける。

 私はただ呆然とそれを見送ることしかできなかった。

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