Ep.314 獣人の誇り

 そして翌朝、僕らは再び歩き始める。

 シュミートブルクへの道のりは長い。


 ここ一帯は広大な森林地帯だ。今日も一日中同じような景色を歩くことになるだろう。


 僕は歩を進める度に自分の右腕に視線を向ける。


 無くなってしまった右腕をもう一度取り戻すために今は歩いているんだ……。

 アズマ達も僕の為に時間を使ってくれている。この先で成果があると信じなければ。


 僕は皆に感謝の念を抱きながら、シュミートブルクに期待を馳せていた……。




 それから3日後のことだった。

 シュミートブルクまでの道のりはようやく半ばを越えたところだ。


 変わらず森の中を進んでいると、ある物音が聞こえた。


 ……これは人の声? 争いの声のような…………。


 耳を澄ますと微かに聞こえる。人の叫び声と金属がぶつかり合う音だ。


「部族同士の抗争のようだね。この森林地帯は獣人部族が多くいて、常日頃縄張り争いが起きているんだ」


 アズマが小声でそう言った。


「邪魔くせえな。おい、このまま行くと巻き込まれるぞ」


 ウルグラムは煩わしそうに舌打ちをすると、その方向に目をやる。


「部族同士の諍いに首を突っ込むと厄介なことになり兼ねんぞ。遠回りになるが迂回すべきではないか?」


 シェーデがその様子を見て眉を顰めつつ進言する。

 その言葉にデインは無言で頷き、サリアは僕に眼差しを送っている。どうやら僕はどう思うのかと視線で訴えているようだ……。


「そうですね、シェーデの意見に賛成です」

「……よし。それじゃ大きく迂回して進もう」


 アズマは頷くと僕達を促して歩みを進めようとするが――。



「――何人か来やがるぞ」


 ウルグラムがそう言うと、森から数名の男女が飛び出してきた……!


 兎のような長い耳の獣人の男性が2人と、女性が1人。


 彼らは僕達の姿を驚いた様子を見せ、獣人の女性を守るように男性2人が立ちはだかり、僕達に槍先を向けた。

 その目には恐怖心と、決死の色が込められていて、まるで手負いの獣を前にしているかのようだった。


「お嬢ッ! 下がれ!」

「ウオオオオーッ!」


 そして2人の男性が雄叫びを上げながら襲い掛かってきた! 2人は先頭のウルグラムに矛先を向けて突撃してくる。


「っ! ウル! 無力化するんだ!」

「んあ? ……ったく」


 アズマの声にウルグラムは小さく呟いてから、雄叫びを上げる獣人の攻撃を軽くいなすと、2人の顔面に裏拳を放った!


 鈍い音と共に2人の男性の顔面に直撃すると、2人とも仰け反りながらその場に倒れる……!


「…………っっ! うわあああーっ!」


 残った獣人の女性が決死の覚悟で槍を向けて僕達に向かってくる!


 その目には涙を溜めている。命を繋ぐ一縷の望みを槍に込めているように感じられた。


 彼女の槍がウルグラムに突き出される。

 ウルグラムは軽く体を捻って避けると、そのまま彼女の腹部に拳を叩き込んだ!


「――くは……っ!」

 彼女の体がくの字に折れ曲がり、そのまま地面に崩れ落ちる。



「彼らは兎人族か……」


 気を失っている兎人族の男女を前にシェーデはそう呟いた。


 兎人族は、比較的好戦的ではなく穏和な性格で、争いを好まない部族らしい。


 その兎人族が死に物狂いで襲いかかってきたことには何か理由があるんだろう。



 そう思案を巡らせていた時、彼らがやってきた方向から雄叫びと共に新たな集団が飛び出してきた!


「なんだテメェらはよォ!」


 飛び出してきた犬のような耳の男性は、僕達を見てそう叫んだ。


 彼らの目は血走っており、その手には斧や剣、ナイフなど凶器が握られていた。

 彼らは獣のような目で僕達を睨みつけていて、その数6人。


「狼牙族か」


 シェーデは剣に手を掛けて彼らを見据える。


「旅人かァ? ……そこに転がってる兎共を大人しく渡すんなら見逃してやってもいいぜェ?」


 リーダー格の狼牙族と思しき人物がニヤリと笑ってそう言った。


「あ? コイツらをどうすんだ?」


 ウルグラムは武器も抜かず、鋭い眼光でそう問いかける。


「そのメス兎を使って集落を奪うのさ! ……まァ上玉だし存分に楽しませて貰うがなァ……ヒャヒャヒャヒャッ!」


 リーダー格の男が高らかに笑うと、その取り巻き達が下劣に笑う。下衆な歓声に反吐が出そうだっ!


「な! なんですって……っ!」


 サリアはその様子に眉をひそめていた。



 この状況になってさすがの僕にも分かってきた。


 おそらく兎人族と狼牙族との抗争が起きたのだ。


 そして追い詰められて逃げてきた兎人族が僕達と遭遇し、敵と勘違いして襲いかかってきたんだ。


 そして今、目の前で笑う狼牙族は兎人族を捕えるべく追ってきたのだろう。


 倒れている兎人族の女性はお嬢と呼ばれていた。

 なんらかの高い地位にいる人だとすれば、捕まった場合人質としての価値があるということだ。

 奴らの口振りから、人質を素直に返すかも信用し難い。


 ……僕達がその場から去れば兎人族は捕らわれてしまうだろう。



「……なるほどね」


 同じく事情を理解したアズマが静かにそう呟く。


「俺達狼牙族に逆らわねェ方が身のためだぜェ?」


 リーダー格の男が笑いながらそう言い放つと、取り巻き達はまた下品な笑い声を上げた。


「……アズマ、僕……っ!」


 僕は剣の柄に手を掛けながらアズマに視線で訴える。


 兎人族の人達を昏倒させてしまったのは僕達だ。こうなったらもう無関係ではいられない。

 それに、放っておけば酷い目に遭うのを分かっていて、僕は見過ごすことなんて出来ないッ!


「……ふふふ。そうだクサビ。それでいいんだ」


 アズマはそう言うと腰の剣を引き抜いて静かに構えた。


「はい! ――助けますっ!」

「承知した!」

「ええっ!」

「…………」


 皆が武器を構え、僕達の行動は決した。


「……死にてェらしいなァ、アァ!?」

「いや、死ぬ気はないよ。……むしろ君達、今すぐ逃げないと危ないよ?」

「アァ?」


 リーダー格の男にアズマが言い放つと、男達の顔色が変わる!


「舐めんじゃねぇぞ! 俺らに勝てるはずがねぇッ!」

「……っ!」


 ――来るっ!


 僕は左手の剣で迎え討つ構えを取った。

 ……がしかし、アズマはそれを手で制した。


「クサビ、僕達の出る幕はなさそうだ」

「……え……?」


 アズマの意外な発言に呆気に取られていると、アズマは僕の視線をウルグラムに移るように促した。


「…………ッ!?」



 ……ウルグラムから寒気がするほどの殺気が満ちている。


 こちらに向けられているものではない。だが僕はその圧力に一歩も動けず、ただウルグラムの背中を刮目して固唾を呑む。


「……獣人族ともあろうものが人質取るだと? 力も示せねぇ雑魚が、恥を知れ!」

「……ッ!? ひッ!」


 ウルグラムの低い怒声が響くと同時、その姿が瞬く間に視界から消えた。


「――ギャァァァァ!」

「――ガァァァー!」


 消えると同時に狼牙族の取り巻き達の悲鳴が轟き、ウルグラムの姿を捉えた頃には既に、リーダー格の男の頭を片手で掴み、持ち上げていた!


 取り巻き達がいた場所には人数分の血溜まりが残されていた…………。


「――フガァ!?」


 頭を掴まれ藻掻くリーダー格の男に対して、ウルグラムは氷のように冷たい眼光を向ける。


 その視線に晒された男はやがて抵抗する力を失い、完全に萎縮して怯え、ひたすらに命乞いを繰り返して醜態をさらけ出していた。


「……獣人族ってのはな、強き者が全てを手にすんだよ……。人質なんざ取るテメェらは獣人の風上にも置けねぇ」

「……ひっ!?」


 ウルグラムはニヤリと冷たく笑うとそのまま地面にリーダー格の男の顔面を叩きつけた!

「……っ!」


 ――ドガッ、と鈍い音が響いた後にウルグラムは首根っこを掴み上げて、顔を上げる。


「――――ギャアアアアア!!!」


 男は顔面から血が流れるのも構わず悲鳴を上げる。


「おい。テメェだけは生かしてやる。さっさとテメェらんとこ戻ってここを捨て、どこへなりとも消えろ。……だが次に狼牙族を見かけようものなら…………分かるよなぁ?」


 そう言うとウルグラムは男を雑に投げ捨てる。


「……っ……! わ、わかりやしたァ……!」


 リーダー格の男はそのまま這う這うの体で森の奥に消えて行った。


「誇りも持てねえ奴に存在価値はねぇ」


 狼牙族の男が逃げ去っていった方に目をやったまま、ウルグラムは静かに呟いた。



「ウル、お疲れ様」

「……ふん」


 アズマの労いの言葉にウルグラムは鼻を鳴らし、そっぽを向く。どうやらいつものウルグラムに戻ったようで安心した。


 それにしても凄まじい迫力だった……。


 ウルグラムには、戦いに対する美学というか、誇りというものがあるのだろう。

 それは武人故か、獣人故かはわからないが、僕にも見習うべきところがあるのかもしれない。


 僕はそう思いながら、ウルグラムの背中に尊敬と畏怖の眼差しを向けるのだった…………。

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