Ep.315 兎人族の娘
サリアによって兎人族の3人の治療をした後、程なくして彼らが目を覚ました。
目覚めた直後は僕達を警戒していたが、施された治療と敵意がないことから、少しずつ落ち着いてきたようだった。
「……狼牙族に追われ、退路を絶たれたと思い込んで襲いかかってしまった。本当にすまなかった……!」
兎人族の男性の一人がそう謝罪を口にし、頭を下げた。彼ら男性の兎人族は護衛の衛士だという。
「狼牙族よりお救い下さった事、深く感謝します…………!」
女性も涙ぐみながら僕達に礼を述べた。
彼女はこの付近を縄張りとする兎人族の部族の族長の娘だそうだ。
「申し遅れました。私は『リップル部族』族長ダリスが娘『ユア・リップル』と申します」
真っ白で艶のある毛並みが美しく、特徴的なのはやはり長い兎の耳と尻尾だ。顔立ちは人間寄りで、何処かあどけなさが残る。
ユアさんは深々と頭を下げる。護衛の人達が続いて名乗り、改めて謝意を示していた。彼らの名前は、黒毛のイーアスさんと、灰色の毛の男性はエノケさんというそうだ。
僕達も自己紹介をし、ここに至った訳を簡単に説明した。
兎人族の3人はアズマ達の名前を聞いて驚く。
「あ、あなた方がかのご高名な勇者様……っ! まさかお会い出来るとは……!」
ユアさん達が恐縮しながら畏まって僕達を見つめた。
「まあ、そんな畏まらないでくれ、ははは」
アズマは困ったように笑ったが、ユアさん達は平伏してしまう。
「いいえ! 狼牙族から救って頂いたばかりか、奴らを遠ざけて下さった事……っ! 私ども一族を代表して感謝申し上げます……!」
ユアさんは僕達に向けて地に伏せる。
「か、顔を上げてくださいっ! それに私達はただ偶然居合わせただけですから……。それより、ユアさん達の集落の方は大丈夫なのですか?」
サリアが慌てて兎人族の3人に語りかける。
「……はい。予め避難はさせていましたからそちらは大丈夫のはずです。……ですが、狼牙族との抗争に出向いた者達の多くが命を落としました……」
「……そうですか……」
ユアさんの言葉にサリアは目を伏せ、僕は思わず俯いてしまう。
「……ともかく、是非何かお礼をさせて下さい……。万一に備え避難先の集落がありますので、勇者様方にご同行頂ければと……」
ユアさんが気丈にそう言って頭を下げる。――が……。
「寄り道してる暇はねぇんじゃねえのか?」
ウルグラムは腕組みをしながら眉を顰めた。その言葉にユアさんは、ウルグラムに真っ直ぐ見つめて首を振る。
「お礼と致しまして、シュミートブルクへの近道をご案内したく思っております、ウルグラム様。……兎人族は本来争いを好まぬ種族。隠れ里や抜け道を熟知しているのです。きっとお役に立てますっ」
「おお、それは助かる。……そうだろう? ウル?」
「……ふん。ならとっとと行くぞ」
シェーデの言葉にウルグラムはぶっきら棒に返した。
確かにこの先にシュミートブルクへと続く道はあったが、その道に沿って行けばまだ数日掛かる計算だった。
シュミートブルクへの最短ルートを知っているのなら、それに越したことはないだろう。
兎人族は争いを好まないが、その代わりに地理に長けている。安全な道も知っているはずだ。
そう考えればユアさんの提案は魅力的で、これは思わぬ幸運だった。
僕達の方針の結果はユアさんに頷くことで示された。
その様子に兎人族の3人は安堵したような表情で僅かに笑みを零していた。
「それでは皆様、こちらへご案内しますっ!」
こうして僕達はユアさん達の案内のもと、兎人族の隠れ里を目指すことになったのだった。
兎人族の隠れ里までの道中、彼らの事について教えてもらった。
彼らの部族は『リップル部族』という、種として数少ない兎人族の中の一部族だ。
獣人ながら争いを好まないが、危険が迫れば勇敢に戦う一面を持ち合わせる種族なのだ。
それ故に普段は他の部族と衝突しないよう、定期的に森林地帯を移動するのだそうだ。
リップル部族は、毛並みが白い者が部族を率いる風習があるらしく、親譲りである純白の毛並みを持つユアさんが、次期族長として里の者にも認められていた。
そんな獣人族がいた事を始めて知った。
僕がいた時代では兎人族を見かけた事は無かったけれど、もしかしたら森の奥深くで、今も密やかに暮らしているのかもしれない。
――そんなリップル族は、転々としながらひっそりと暮らしていたそうだが、この地で運悪く狼牙族に目をつけられてしまった。
元々争い好きな部族で、好戦的かつ強靭な体と牙を持つ狼牙族にとっては恰好の獲物だったのだろう……。
リップル部族を襲った悲劇はここから始まった。
常に包囲監視された兎人族は、他の地へ逃げる事も阻まれ、一方的に略奪を受ける事態になったのだ。
そんな兎人族に対し狼牙族は取引を持ちかけた。
その内容は、定期的に食料を贈与する事。
それが出来るならば安全を保障するというものだった。
食料を提供し続ける限り、集落の存続は約束される。
兎人族はその提案に乗るしかなかった。
「……最初はやむなくそれを受け入れていたのです。……束の間の安全の為にも私達は、日々狩りに励みました。……しかし……っ」
ユアさんの顔は次第に悲痛なものになる。
そして続きを口にした瞬間、ユアさんは唇を噛み締めた。
「要求の数は日に日に増加していきました。やがてそれを満たせなくなり、奴らはその補填と称して里の女性を求め始めたのです……ッ」
「っ! ……そっ、それは!?」
「……はい。皆、里を守る為に応じざるを得なかったのです……」
ユアさんは顔を伏せながら、震える声でそう言った。
酷い話だ……。
食糧が提供出来ないとなれば、次に求められるのは女性だなんて……。
あの狼牙族のリーダー格の男が言っていたように、その彼女らがどんな目に遭ったかなんて、考えるまでもないだろう……。
ユアさんは狼牙族に憎悪を滾らせながら更に言葉を続けていった。
増長した狼牙族は、取引の約束を反古にし始めたのだ。
食料贈与の期日を待たずして突然里に押し入り、数人の女性達を攫っていったのだ。
約束を反古にされて同胞を連れ去られ、兎人族の里の皆が激昂した。
そして狼牙族からの支配からの脱却と、攫われた彼女らを取り戻す為に立ち上がり、武器を取って反旗を翻したという。
……その戦いがつい今しがた行われていたのだ。
だがその戦力差は天と地程の差があった。
狼牙族相手では数の差が圧倒的で、多くの者達が命を散らしたのだという。
「戦える者は皆勇敢に戦いましたが力及ばず……。私達は方々に散って隠れ里を目指して落ち延びました。……しかし私には狼牙族の追跡が……。そうして皆様に出会った次第です……」
「連れ去られた里の女達は辱められた挙句……既に……」
「獣以下の所業だッ……!」
ユアさんの怒りと悲しみが入り交じる声色に、僕は胸が締め付けられる思いだった。
イーアスさんやエノケさんも拳を振るわせていた……。
「生かして帰すべきではなかったな」
ウルグラムは静かに怒り、拳を強く握る。
「……いえ、奴らの蛮行は止められずとも……それでも救って下さった皆様には感謝しかございません……! 本当にありがとうございます……!」
ユアさんは儚げに微笑むと、僕達に頭を下げたのだった……。
それから数時間後、ユアさんの案内で辿り着いたのが、兎人族の隠れ里だ。
一見、鬱蒼と生い茂る木々が立ち並んでいるようにしか見えない。
だが、よく見ると巧妙に葉っぱや蔦で偽装された建物があることがわかる。見落としてしまっても不思議じゃない程の隠蔽技術だった。
これが兎人族の生きるための術の一端なのだと、僕は感嘆の息を漏らした。
「――止まれ!」
僕達が進むと、木の上から兎人族の男性が飛び降りてきて、槍を突き付けた!
おそらく彼は番兵なのだろう。
「槍を下ろしなさい。彼らは恩人です!」
「――ユア様! よくぞご無事でッ!」
番兵はユアさんの姿を見ると安堵してその場に膝を着いた。
「ありがとう。彼らを客人としてもてなします。族長はいる?」
「はい。ダリス様は負傷しており、自室でお休みになられております」
「……そう、分かりました。……皆様、どうぞこちらへっ」
ユアさんに促されて、僕達は兎人族部族、リップルの隠れ里の中へと足を踏み入れるのだった。
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