Ep.310 Side.M 出陣の時、来たる

 早朝。小鳥のさえずりだけが聞こえる中、朝日が徐々に差し込んでくる。

 そんな中、私は訓練所で一人鍛錬に勤しんでいた。


「…………ふぅ」


 軽く汗を流し朝日を浴びて一息つく。


 その心地良さを噛み締めていると、よたよたとした足取りで歩いていく人影を見かけた。

 私はそのよく知る人影に声を掛ける。


「おはようございます、ラシード。……どうしてそんなにへろへろなんですか?」

「ふぇ!? お、おはようマルシェっ……! ……なんでもねぇよ……」

「……本当ですか?」


 明らかに挙動不審のラシードを訝しげに観察する。

 頬はげっそりとして、足なんて産まれたての小鹿のよう。


「ちょ、ちょっとな……ははは」

「…………」


 私のジト目を無視するように笑い誤魔化すラシードに、私はため息をついた。


「はぁ……。まったく。いつ出撃命令が掛かるか分からないのですから、体調管理は万全にしておいて下さいねっ」

「……ああ、ありがとうよマルシェ」


 ラシードは素直に私の注意を受け止めてくれたみたいなので、私はそれ以上追及しなかった。


 そしてラシードを自室に戻っていくのを見届けたあと、私は鍛錬を再開することにしたのだった。




 朝の鍛錬で流した汗を拭いて戻ろうとしていると、ぞろぞろと起き始めたようで黎明軍の宿舎が活気立つ。


 これから皆朝ご飯を食べて、各自訓練に勤しんでいくのだろう。


 私は着替えの為に食堂に寄らず部屋に戻った。



 私に宛てがわれた部屋に戻ると同時に中から声を掛けられた。

 私以外の存在に驚き掛けたが、その人物を見て納得する。


「おはようマルシェ! 起こそうと思って来たのに、どこに行ってたの?」

「姉様、おはようございます。朝の鍛錬に行ってたんですよ」


 私の部屋に訪れたのは、昨日再会したフェッティ姉様だった。姉様は私を見るや、私を抱きしめて頭を撫でる。


「あぁ愛しの妹よ、相変わらず頑張り屋さんなのね! よしよし〜!」

「もうっ。私ももう子供ではないんですから……。ふふっ」


 などと窘めるが、懐かしい感覚に目を細める。幼少の頃は、こうして姉様に可愛がられてきたのだ。


「マルシェも今は20歳かしら……。あんなに小さかったマルシェがこんなに成長しちゃって……!」

「……もうっ、恥ずかしいですから」


 私は照れ隠しに顔を背けるけど、姉様は更に強く抱きしめてくれる。


「……マルシェも自分の心に従ったのね。ちっちゃい時から私の後ろをいつも着いてくる子だったもの。きっと貴女も世界に出てくると思ってたわ」


 姉様が突然真面目な様子でそう語られるので、私は思わず息を呑む。

 そして姉様の手を取って、力強く答えるのだった。


「はい。姉様の言葉を片時も忘れた頃はありませんから」

「私の言葉?」


 きょとんとする姉様に、私は声色を姉様に似せて、姉様らしい身振りをして言い放ってみせる。


「旅立つ時姉様は、泣きじゃくる私に言ったんですよ? ――マルシェ、笑いなさい! あなたが幸せじゃないと誰も幸せにしてあげれないじゃない。あなたの幸せをたくさんの人に分けてあげるの! 私はそれを世界中でやってくるわ! ――と」

「……そっか。そうだったわね……。ふふっ、よく覚えてたわねマルシェっ」


 私が言うと姉様は思い出したのか嬉しそうに微笑んだ後、もう一度私を抱きしめて頭を撫でる。


「……姉様は、誰かを幸せに出来ましたか?」


 私は少しだけ寂しさを含ませて訊ねる。

 姉様と過ごした誰かに嫉妬したのかもしれない。


「……ふふふっ。当たり前じゃない! だから私は笑っていられるのよ! でもまだまだ足りない。もっともっと幸せにしてやらないと満足なんてできないわ! だから魔王には退場してもらわなくっちゃね!」


 姉様はそう言うと力強く笑う。

 どこまでも真っ直ぐな姉様。私の敬愛するあの頃の姉様のまま、何も変わっていなかった。大好きなお姉ちゃんのままだ。


 私の感じていた嫉妬は瑣末なものだったのだ。


「……姉様。私は笑うのは苦手です。でも、世界の人を幸せにしたい。それは私も同感ですよ」


 私はそう言いながら姉様の肩に額を当てる。もっと姉様に甘えたかったのかもしれない。

 そんな私の本心を見透かしているかのように、姉様は優しく頭を撫で続けてくれた。


「マルシェの笑顔はとびきり可愛いのに、勿体ないわね! ……でも逆にそれは私だけが見られるってことよね! ふふっ。なんだか特別な気分だわ!」

「お姉ちゃん……っ」


 私は嬉しくなって、つい子供の時のように姉様を呼んでしまうのだった。


「さて、マルシェ? 私お腹ペコペコ! 行きましょうっ!」

「――うんっ!」


 そうして私達は姉妹揃って食堂へと向かうのであった……。




 その後食事を終えてしばらくした時、私達希望の黎明はチギリ様が話があるとの事で、会議用の部屋に集合した。


 この会議室にはサヤ、ウィニ、ラシードに私と、チギリ様、アスカ様、ラムザッド様とナタク様の8名がいる。


 私達が席に着くと、真剣な表情でチギリ様が口を開く。


「諸君らの出陣の頃合がやってきた。明日より我々は帝国領東方の『亡者平原』へ向け進撃を開始する!」


 チギリ様の言葉に、私は緊張と不安で心臓が早鐘を打っていた。

 サヤ達パーティメンバーの顔色も、似たようなもの。


「……亡者平原。たしかに聞いたことがありますが……」


 私が恐る恐る尋ねると、アスカ様が説明をしてくれる。


「ええ。かつて精霊暦の時代……。魔王と勇者が死闘を繰り広げた時代で、人類と魔族が激しく激突した戦場の名ですわ」

「……クサビが行った……時代ですね」


 サヤがぽつりと呟く。


「そうですわ。あまりの激しい戦闘で、平原に夥しい数の人と魔物の遺骸で溢れたとされていますわ」


 アスカ様が言うと、サヤ達は息を飲み込み表情を強張らせた。


「気味わりい場所だぜ……」

「そうだな。……だが図らずも歴史は繰り返すようだ。……両軍の前線はその亡者平原でぶつかることになるだろう」


 ラシードの言葉に頷いたチギリ様はそう述べて続けた。

 過去の歴史に登場する戦場へ、私達は明日向かうことになるのだ。


「その場所を人類の屍で溢れさせる訳にはいかない。我々の囮としての役目はそこで果たすつもりだ。……皆、苛烈な戦になる。……死ぬんじゃないぞ」

「……はい」


 私達は力強く答える。


「尚、今回は複数の部隊も共に出る。亡者平原は従軍すればここから6日程の距離だ。各自支度を抜かりなく行うようにな」


「俺とナタクはァ斥候隊と先行して向かっとくぜ。途中の敵は消し炭にしといてやンぜッ!」

「うむ。では某らはこれにて失礼するでござる」


 そう言って席を立ったラムザッド様とナタク様は会議室を後にした。


「……わたくしも他の部隊の指揮と作戦の調整がありますので、これで失礼致しますわね」


 アスカ様も立ち上がり、一礼すると部屋を後にしていった。



 会議室にはチギリ様と私達が残った。


 部屋に流れる沈黙に、チギリ様は私達の緊張を察したようで、口角を上げて口を開いた。


「案ずるな。厄災ヨルムンガンドとの戦いの時も君達は生き延びた。不安に駆られることはないさ」

「……ん! がんばる」

「師匠も、どうかご無事で……!」


 ウィニとサヤの言葉に、チギリ様は笑みを深くする。


「ふふっ。……君達が居てくれるのは心強いな。……では明日の出撃まで英気を養ってくれ。……以上だ。解散!」

「「「はい!」」」


 そして私達は会議室を後にして、各々明日からの従軍の心構えを固めるのだった。

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