Ep.297 勇者の特訓

 空を見上げると、その有様に私は溜息をつく。

 前線からほど近い場所で、私は敵の別働隊を警戒して、本隊から離れての哨戒任務に就いていた。


 案の定魔物の一団が潜んでいるのを発見し、それを殲滅した。


 そして見上げた空はいつまでも薄暗く、まるで黒い何かの膜で大空が覆われているような、陰湿な空だ。

 魔族領に近ければ近いほど空の黒さは濃くなっていく。きっと魔族領は陽の光が通らない漆黒の大地と化しているのだろう。

 そんなものが世界中に広がってしまえば、人の住む場所が失われてしまう。


 ……そんなことはさせない。

 クサビはきっと、神剣に力を取り戻した姿で帰ってきてくれる。その時が人類にとっての反撃の時なんだ。

 それまでは、これ以上奪われないように守り続ける。



「イナリ剣少尉! 斥候のニュクサール剣曹長から報告が入りました! ここから東で魔物の群れを発見とのこと。その数30!」

「まだ潜んでいたのね……。わかったわ! その一団の殲滅に向かうわよ!」

「了解です!」


 私は率いていた3小隊の冒険者達と共に次の戦地へと駆け出した。

 絶え間なく勃発する小競り合いの連続で、希望の黎明の仲間達も一時的にそれぞれ部隊を率いて別働隊として動いている。そのせいもあって、私の心中には僅かな寂寞感が蠢いていた。


 ……いいえ。自分に嘘をつくのは辞めよう。

 この寂しさはクサビが居ないからだ。


 ……声が聞きたい。あの笑顔が見たい。

 クサビが居てくれるだけで、私はなんだってできるのだから。


 私はその想いをぐっと内に秘めて、戦地を駆けた――――





 …………目を覚ます。


「…………今の夢は……」


 僕は自分ではない、別人の視界として、あたかもそこにいるような、不思議な夢を見た。

 そしてその口から発せられた、明朗快活な声は僕にとって馴染み深く、愛おしい声だった。


 僕がその声を聞き間違えるはずは無い。あれはサヤの声だ。

 ……僕の愛する人の、胸を焦がす程の想いを抱く人だ。


 夢であっても、声を聞いたら突然逢いたい気持ちが湧き上がる……。


 さっきの夢でサヤは部隊を率いて戦っているようだった。

 それは僕の中で勝手に生まれた想像なのか、なんなのかは分からない。だけどサヤも僕を待ち焦がれてくれていた。


 ……これが夢だとしてもその気持ちに応えないといけないな。その為にもっと強くなってどんな相手も打ち破る力を身につけねば!


 僕は決意を固め直してテントの外に出る。すると空は僅かに白んで夜明けの始まりを告げていた。


「よし、やるぞ!」


 僕は剣を持って、拠点の少し外れた場所で日課の素振りを始めるのだった。



 静かな朝に、空を斬る音だけがする。

 僕は額に玉の汗を流して同じ動作を繰り返していた。

 どれだけこうしていただろう、心頭滅却して剣を振っていて時間を忘れていた。


 ふと、いつの間にそこに居たのか、僕をじっと見つめる視線に気付いて振り向いた。


 そこにはただ無表情のウルグラムが腕を組んで立っていた。


「あ、おはようございます。ウルグラム」

「……まだまだ脇が甘え」


 そう言うと踵を返して去っていってしまった。


 先日、雑魚には教えん、と言っていたウルグラムだけど、今のはアドバイスと受け取っていいのかな……?


「……認められるように、頑張らないとね!」


 僕は前向きに捉えることにして、鍛錬を再開させたのだった。

 ――と、思ったその時だ。


「クサ……あ、いけない。……ハクサ!」


 そこにサリアの声。振り向くとサリアが困り顔で僕のところまで駆け寄ってくる。


「さっきウルが来なかったかしら? ハクサに朝食の知らせを頼んだんだけど……」

「ウルグラムなら来ましたよ。……素振りしてたら、脇が甘いってだけ言って何処か行っちゃいましたけど」


 僕は苦笑しながら言う。

 するとサリアは顔を赤らめて頬を膨らませた。


「……もうっ! ウルったらちゃんと伝えてって言ったのにっ! ……でも、良い事じゃない。ちゃんと見てもらえてるみたいよ?」

「……そ、そうですかね……?」


 僕は苦笑しながら返事を返すしか出来なかった……。


「さ、ハクサ? 朝ご飯用意したから食べましょうっ。皆待っているから」

「あ、ありがとうございます!」




 その後朝食を済ませた僕達は、今日一日を自由な時間に当てた。

 と言っても援軍要請がなければ、だが。


 僕は剣を持ってアズマのところへ赴いた。


「あの、アズマ。今日はどう過ごすか決まってたり……しますか?」


 僕の声にアズマは涼やかに微笑んで僕を見て、わざとらしい調子で言った。


「そうだな……。誰かさんがきっと稽古を付けてくれって頼んでくる気がするから、予定を空けているけれども、ね」

「……あははは…………その通りです…………」


 僕が苦笑いしていると、アズマが笑いながら僕の肩を叩いた。

 その手には既に彼の解放の神剣が握られていた。


 僕は表情を引き締め直して、改めてお願いを申し出る。

 

「……剣の鍛錬、お願いできますか?」

「もちろんさ」

「――それなら念の為私も居た方がいいかしらっ?」


 僕とアズマのやり取りを聞いていたサリアが、そう口を挟んできた。

 確かにサリアが居てくれれば、万が一怪我をしてもすぐに治療して貰える。僕としては有難い。


「そうだね、サリアに用事が特にないのなら、頼めるかな?」

「はいっ。任せてちょうだいね」


 アズマとサリアは爽やかに頷き合うのだった。



 僕達は早速場所を移し、少し開けた場所で鍛錬を開始した。


 僕とアズマは互いに距離を取り、剣を構える。


「思えば、ハクサと打ち合うのは初めてだね。遠慮は要らない。思い切り打ち込んで来るんだ!」

「はいっ! では、行きますッ!」


 僕は走りながら牽制に火球を2発放った!

 そして一気に距離を詰め、右斜めに剣を振るった!


「へぇ! 攻撃魔術も使えるのかい? 器用だな」


 アズマは関心した様子で微笑を浮かべながら、火球を最小限の動きで回避し、右手に持った解放の神剣で、僕の斬撃を難なく防御して受け止める!


 ――――ギィン!


 世界に二つとないはずの、解放の神剣同士がぶつかり合う。

 まったく同じ性能の剣だ。押し勝つかは己の力量と技術にかかっていた。

 僕は更に力を籠めて押し込もうとするが、アズマは一歩も退かない。その彼の表情も涼しいままだ。


 僕は飛び退きながら右手を突き出して、今度は水の下級魔術の水弾を撃って追撃への牽制として、一度距離を取る。

 そして足に溜め込んでいた強化魔術を、着地と同時に解放してバネのように飛び出した!


 初撃よりも格段に速度を上げた斬撃を、僕は上段斬りから横薙ぎへと繋げる!


 しかしそれをアズマは難なく防ぐ。涼しい余裕の表情のまま、体幹も一切のブレもなく僕の斬撃を受け止めた。

 そして反撃とばかりに僕の懐に飛び込んできた!


 ――僕はそれに反応し、後退するより一歩前に出ることを選んだ!

 そして剣を横に一閃し、その軌跡は弧を描いてアズマを狙い撃つ!


「……なるほど」


 だがアズマは体を捻り、僕の斬撃を躱すと、僕の懐に入った状態から剣を大きく振って逆袈裟に斬り上げた!

 僕は咄嗟に剣を斜め後ろに回してそれを防ぐが、衝撃で体勢を大きく崩してしまう!


 すかさずアズマの追撃の剣が僕の首元に迫った。


「――…………ッ」


 ……僕は息を呑み、目の前に突きつけられた剣先を凝視した。

 僕の視界には、刃先が僅かに僕の喉元に触れる直前で止まっていた。


「いい動きだったよ。……続けるかい?」

「…………お願いします……っ!」


 僕達は再び距離を取って互いに見合った。

 アズマは何処か楽しそうな様子だった。


「いやいや、火の魔術だけじゃなく、水の魔術も織り交ぜてくるなんて驚きだよ。剣士は強化魔術しか使わないのが基本だからね。ハクサはそうじゃないみたいだね」


 アズマが関心したように笑う。その声色には嬉々としたものが感じられた。


「私も驚いたわ……。興味深い戦い方ね。デインの戦い方に近いのかしら」


 どうやらこの時代では、剣士は攻撃魔術を行使しないようだ。といっても攻撃魔術は強力なものは出せないし、さっき撃った水魔術はイメージした威力よりも弱体化していた。


 ……向こうの時代で契約した水の中位精霊のシズクとの繋がりが遠いせいかもしれない。密かに試してみたが、こっちにシズクは召喚出来なかったし……。

 水の適正が残ったままだから、完全に切れたわけではないと思うけど…………。



「クサビの戦い方は面白いな! 僕の剣技に近いけどそこに攻撃魔術を取り入れてくるなんてね!」

「ア、アズマ? ハクサよ、ハクサっ!」


 僕の偽名を忘れるくらい興奮したアズマは初めてでなんだか新鮮だ。

 勇者といってもただの人間と変わらないんだ。それは当然だけどそれがなんだか珍しく思えて親近感が増してくる。


「……おっと、すまないハクサ。よし、じゃあもう一度!」

「はいっ! 行きますッ――――」



 こうしてこの日は日が暮れるまで打ち合いを続け、体が悲鳴を上げてヨボヨボになりながら帰路につくであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る