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         4


「きゃあああああああああああああああ!!」

 少女たちの悲鳴が夜の校舎に響く。

 凄まじい絶叫に、先ほどまで張り詰めていた静寂が引き裂くように掻き消され、薄い膜に似た真夜中の空気を破壊的に塗り替えた。

 美麗を始めとする少女たちから迸るその声は、異常な高音と声量を響かせ、もはや人の喉から出ていることが信じられないほどだった。

「──────っ!!」

 その惨状に、マキは身を縮めてただ震えることしか出来ない。その隣では地面に膝をつく都と七尾が、マキと同じく青ざめた表情で戦慄しており、それ以外の者は全て、聞く者の正気を削り取る狂気のスピーカーと化していた。

 夜を、影を、闇を従えながら佇むわらわの表情が、異様なまでに捻じ曲がり、冒涜的な笑みを浮かべていた。


 それは美麗のカウントダウンに合わせ、少女たちが『おまじない』の言葉を紡いだ直後のことだった。

 ぞ、と周囲の空気が変質し、冷厳な夜気に満ちていた空気が突如として、腐ったまま放置された肉のような生暖かい腐臭に汚染された。その直後、鏡の中に映る自分たちの背後にいくつもの黒い影が現れたのだ。そして、不定形な形をしたその影が少女たちの背中に、ぴたりと張り付いたその瞬間。影は爆発的に膨張し、鏡の中の少女たちの体を覆いつくした。

 そしてそれと同時に、こちら側にいる少女たちが千切れそうなほどに顎を開き、恐ろしい金切り声を上げ始めたのだ。

「!?」

 突如として引き起こされた異常事態に、マキは反射的に耳を塞ぐ。だが、本能的恐怖を呼び起こすその絶叫は、鼓膜を容易く突き抜けて頭蓋骨を揺さぶり、恐怖と混乱が入り混じる脳内をぐちゃぐちゃに攪拌した。

 その衝撃に耐え切れなかったのか、都が両耳を押さえたままその場にうずくまり、それを庇うように跪いた七尾が都の体を抱き寄せた。

 声とも音ともつかない絶叫を撒き散らす少女たちは、一様に白目を剥き、限界を超えて開かれた口からは血が滲み、背骨が折れるのではないかと思うほど背中を反らしたまま、がくがくと痙攣していた。

 やがて少女たちは立ち姿を維持出来ずにその場に倒れると、口から赤みの混じった泡を吐き出し、しかしそれでもなお痙攣を続けたまま壊れた機械のように絶叫を撒き散らしていた。

 今やこの踊り場は日常から隔絶された地獄となっていた。

「~~~~~~っ!!」

 叫び出したかった。この恐怖に今すぐ身を任せてしまいたかった。だが緊張で掠れた喉からは、ヒューヒューと短い笛のような音しか出てこない。必死に空気を取り込もうと、涙交じりの呼吸を何度も繰り返す。

 そんな中、


 ふ、


 と視線を感じた。

 顔を上げると、自分たちと黒い影に取り込まれた少女たちの映る鏡。こちらとあちらの境界すら曖昧になった、のっぺりとした鏡から、じっ、とこちらを見つめるわらわと目が合った。

「………!」

 マキは鏡から目を離し、ぎぎ、と音を立てて隣に視線を向ける。

 黒いわらわがこちらを見つめていた。異様なほど大きな黒目に縦筋の瞳孔。その瞳はいつかマキが見たものと同じ狐の目。だが、

「なんだ、お前ら」

 わらわの声ではなかった。それは喉奥に血の絡んだ獣の声。どろりとした声色で獲物を縛る怪物の声だった。

 わらわが腕を上げ、ゆっくりと近付いてくる。痙攣したまま地面に横たわる美麗を無感動に踏みつけながら、マキに向かって手を伸ばす。そして、わらわの手がマキに触れようとしたその瞬間、

 ぐいっ、と、腕を横から引っ張られた。


「!」

「走れ!」


 振り返ったマキに七尾が叫ぶ。

 七尾はそのままマキの腕を引くと、都を小脇に抱えて階段を勢いよく駆け上がり、廊下の向こうへと消えた。

 踊り場には、空を掴んだ状態のまま動かないわらわと、けたたましい声を上げ続ける少女たちが残された。

 わらわは上げていた腕を下ろし、しばし自分の手のひらを見つめる。そして首を巡らせると、痙攣する少女たちに向けて、

「黙れ」

 ぴたり、と声が消え、少女たちが動きを止めた。やがて少女たちは四つん這いの姿勢で動き出し、猟犬がそうするようにわらわの足元に体を伏せた。

「追え」

 少女たちは、四つん這いの姿のまま、唸り声を上げて踊り場から飛び出した。

 主の下から逃げ出した獲物を追って……。


         *


 本影七尾は後悔していた。

 あの異常な空間を脱した後、マキと都を連れて、七尾は当てもなく真っ暗な廊下を走っていた。

 自分でもどこに向かっているのか分からない。それでも走るしかなかった。まだあの絶叫が耳にこびりついて離れないのだから。


 ────何もできなかった。


 ぎり、と七尾は奥歯を噛み締める。

 なんとかなるんじゃないかと思っていた。わらわを初めて見た時も、都が危険を訴えた時も、マキが青ざめていた時も、致命的なことは何もなかったのだ。

 だから今回も大丈夫なんじゃないかという楽観があった。それにもし、何かが起きたとしても自分ならどうにかできる、みんなを助けられる。そう過信していた。

 だが現実はどうだ。

 あの瞬間、自分はなにも出来なかった。美麗たちの叫び声と恐慌に呑み込まれ、まともに動くことすら出来なかった。ただマキに迫るわらわを見た瞬間、体が勝手に反応したのだ。

 そのまま二階への上り階段を駆け上がった後は、この当てのない逃走と焦燥。下り階段にするべきだったか? しかしあの狂気に乱れる集団と、わらわの横をすり抜けていくなど考えられなかった。

 状況を甘く見ていた自分が腹立たしい。馬鹿な自分を殴りつけたかった。

 止めるべきだった。マキが責任を感じてあの女子に関わろうとするのを。

 マキのせいじゃないよ。マキは悪くないよ。だからもういいだろ。

 あの時どうしてそう言わなかったのか、七尾はただただ後悔していた。

「な、七尾ちゃん! ま、待って……!」

 七尾に腕を掴まれたまま、息を切らしたマキが声を上げた。

「わた……も……おろし、て……さい…………」

 同じく脇に抱えられた都が苦しそうに訴える。

 はっ、と気が付いて七尾は立ち止まる。勢いに任せて走りすぎた。慌ててマキの腕を離し、都を壁にもたれさせる。

「ご、ごめん二人とも。大丈夫か」

「私は大丈夫だけど、都ちゃんが……」

「うう…………」

 うなだれる都の顔は血の気を失い、虚ろな瞳で虚空を見つめている。

「大丈夫か、ミヤ」

「もしかして都ちゃん、どこか怪我したんじゃ……」

「いや、怪我はなさそうだ。多分、一時的なショックだと思う」

 七尾は都の体を改めると、意識のはっきりしない都の目の前で指を弾いてみせる。

「無理そうだ、どこかで休ませないと」

 辺りを見回し、手近な教室の引き戸に指をかけると、がらがらと音を立てて扉が開いた。

 七尾とマキは都を連れて教室に入ると、出入り口の鍵を閉めた。

 いくつもの机と椅子が並ぶ教室には、うっすらと人の匂いがあり、日常的な使用感が感じられる。窓から差し込む白い月明かりを頼りに壁を見ると、掲示された習字の課題から、四年生の教室であることが窺えた。

「ごめんな、床で」

 七尾はそう言って、都を床に横たえる。

「都ちゃん、大丈夫……?」

「…………すみ、ません……」

「いいよ。とにかく、なんとかして逃げるしかない」

 立ち向かおうなどという気は更々なかった。得体の知れない相手というのは何をしてくるか分からない。それが怪異ともなれば尚更だ。いざとなれば覚悟を決めるしかないが、どちらにせよまずは、

「ここから出ないとな」

「そうだね……」

 マキが都の頭にハンカチを敷いて頷く。

「窓から外に出られないかな?」

「私は行けるかもしれないけど……マキとミヤは無理だな」

 コンクリートの地面を見下ろして七尾は言う。

「ロープでもあれば行けるかもだけど……」

 もちろん身一つでここまで来た七尾がそんなものを持っているはずがない。冗談めかしてポケットをひっくり返すと、都に渡された御守りがポケットからぽろりと落ちた。

 それに気付いた七尾が御守りを拾い上げて、思わず眉を寄せた。


「なんだ、これ」

 御守りがズタズタに引き裂かれていた。


 先ほど都から受け取った時に見た、真っ赤な布地と細かな刺繍が施された御守りは見る影もなくなり、ほつれた糸が血管のようにうねるボソボソとした感触のズタ袋になっていた。

「ひっ……!」

 七尾の反応を見たマキが、自分の御守りを取り出して短い悲鳴を上げる。

 悲鳴と共に手から滑り落ちた御守りが、力なく地面に横たわった。

「あ……あ……」

 マキは浅い呼吸を繰り返してその場にへたり込むと、今にも泣き出しそうな顔になった。

「な、七尾、ちゃん……」

「マキ、落ち着け。余計なことは考えるな。こっち見て、私の目を見て。そう、合わせるんだ」

 七尾はゆっくりと深呼吸しながら、マキにも同じ呼吸を促す。

「ゆっくり吸って……そう、止めて……一気に吐いて……もう一度、吸って…………」

 何度か深呼吸を繰り返すと、次第に呼吸が安定し、決壊寸前だったマキの心も段々と落ち着きを取り戻した。七尾はそれを確認して口を開く。「マキ、私も怖い。さっきも今も、何が起きているか分からなくて不安だ。でもそういう時こそ落ち着いて自分を律するんだ。本当に怖いのは何も分からないことじゃない、恐怖に負けて自分が出来ることを見失ってしまうことだ」

 いつになく真剣な表情に、マキは驚いた顔をする。それからしばし七尾の言葉を反芻してから、ゆっくりと頷いた。

「うん。私、何も出来ないまま終わりたくない」

 そう言ってマキは立ち上がる。

「ありがとう、七尾ちゃん」

「ん……あー、今の全部、父さんの受け売りな」

 決まりが悪そうに頭をかく七尾に、マキはくすっと笑った。それを見て七尾も口角を上げる。

「あの、これいつまでやってるんですか?」

 振り返ると、都が呆れ混じりの目でこちらを見つめていた。

「都ちゃん!」

「ミヤ、大丈夫か」

 駆け寄る二人に、都は両手を上げてみせた。

「あー、はいはい。大丈夫ですから。もう動けますから」

 そのままうっとおしそうに二人を押し返す。

「なのでさっき七尾さんが言ったように、さっさとここから逃げましょう。今のところ、わらわへの対抗策はありませんし、他の子たちにも私たちが出来ることはありません」

 そう言って都はスマートフォンを取り出した。

「取りあえず、学校に電話しましょう」

「学校に?」

「学校の電話が鳴れば、あいつはそっちに気が向くでしょう。そうしたら私たちは電話のある職員室を避けて脱出しましょう」

 都の提案にマキは疑問を口にする。

「でも待って……玄関は職員室の前を通らないと行けないよ」

 一階に降りる階段はいくつかあるが、玄関は防犯上の理由で職員室の前を経由する構造になっている。例えわらわが職員室に向かったとしても必ず玄関前で気付かれてしまう。都は一体どうするつもりなのだろう。

 その疑問に七尾が答えた。

「いや、一階まで行ければ、後は適当な窓から出ればいいんだ」

「そういうことです。それにもしかすると、警備員さんが気付いて助けてくれるかもしれませんし」

 そっちは期待薄ですが、と都は付け足す。

 さっきの学校全体に響くほどの絶叫に、警備員が気付かないとは考えられない。となると警備員に何かあったか、あるいはこの状況を誰も感知できないような常識外の力が働いている可能性が……。

 滲んだ不安に、都は頭を振るう。

 考えても仕方ない、今はやれることをやろう。

「では、かけますね」

 そう言って、都が学校の番号を入力し、通話ボタンを押そうとした時だった。


「しっ」

「!」


 七尾が人差し指を立て、動きを制した。そのまま周囲に意識を張り巡らせて、警戒の糸を伸ばす。

 そしてそれは廊下側の窓で止まった。

「…………」

 じっ、と七尾は窓を見つめる。ざらついたすりガラスの先は、ぼやけた闇が漂っている。

 ひりついた空気に誰も声を上げることはしない。そして、


 ぬう、


 と、闇が蠢いた。

「!」

 それは影だった。すりガラス越しに教室を覗き込む人影だった。その頭の上には大きな耳が見える。わらわの影。更にその背後には、異様に低い姿勢をした何人もの姿があった。

 心臓が跳ねた。瞬時に全身に緊張が張り詰める。わらわの視線が、でこぼことしたモザイク模様のガラス越しに感じられる。

 マキは震える手で口を塞ぐ。息が漏れないように。気付かれないように。

 やがて影は窓から離れ、ゆっくりと廊下を歩いていくと、教室の扉の先に消えていった。

「…………」

 沈黙。無音。残された緊張に誰も口を開かない。しかしわらわが去ってその気配を感じられなくなった頃、三人は辺りを見回してお互いに視線を交わす。

 そして、誰ともなく安堵のため息をついた、その瞬間───、


 がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり!!


 教室の扉が凄まじい音を立て始めた。

「───ひっ!」

 まるで扉の開け方を知らない動物が、爪を立てて扉を引っ掻くようなその音に、全員が短い悲鳴を上げる。

 扉にはめ込まれたすりガラス越しに見える人影が、今にも扉を破らんと両手の爪を突き立てる。施錠された引き戸が壊れそうなほど振動し、軋んだ叫び声を上げながら徐々に歪みを生じさせた。

「やばい!」

 七尾が慌てて扉を押さえ、更に都が続く。

「うっ、ぐ…………」

 扉に密着したまま力を入れる七尾の顔に、ガラス越しに爪が立てられ、がりがりとガラスを掻く固い感触が伝わってくる。

 やがてガラスの硬度に耐え切れなくなった爪が割れ、赤い血が流れ出した。だが少女たちはそれを意に介することなく、爪が剥がれ落ちてもなお七尾に爪を立てようとガラスを引っ掻き続けた。

「うああああああああああっ!!」

 視界が赤に染まっていく。透明なガラスのキャンバスが、クレヨンの落書きのように滅茶苦茶な赤色に塗り潰される。

 それでもここから離れるわけにはいかないと、七尾は絶叫で恐怖を麻痺させながら扉を押さえ続けた。


 その様子を目の当たりにしながら、マキは動くことが出来ずにいた。

 今から助けに向かっても、扉は七尾と都が押さえているし、これ以上は人が多すぎて邪魔になる。かと言って何もせず立ち尽くしているわけにもいかない。

 この状況でどう行動するべきか迷いながら辺りを見回したマキは、不意に自分の荷物を広げ始めた。現状を打破できるものが入っているんじゃないかと考えたのだ。

「えと、えっと……」

 なにか使えるものはないか、この状況をどうにかできるものはないかと、マキは必死に荷物をかき回す。

 財布、懐中電灯、お供え物、御守り、手鏡……。

 駄目だ。どれも使えそうにない。

 それでも何かないかと、縋るようにスマートフォンを手にすると、


 ぽっ、


 小気味のいい音を立てて、画面にポップアップが表示された。


『坂田美麗、メッセージ一件』

「えっ?」


 それはチャットアプリからの通知だった。美麗の名前に一瞬、マキは放心する。そして半ば無意識的に通知タブを押してチャットを開くと、短いメッセージが表示された。


『あけて』


 マキがそれを見たのと同時に、再びスマートフォンが、ぽっ、と音を立てて新たなメッセージを受信した。


『あけて』


「あ……あ……」

 マキは美麗のメッセージと、七尾たちが押さえる扉を交互に見る。

 違う、美麗じゃない……。この画面の向こうにいるのは、あの扉の向こうにいるのは…………。


 ぽっ、


 スマートフォンが音を立てる。

 ごくり、と固くなった唾を飲んで画面を見る。


『あけて』


 冷や汗が頬を伝う。


 ぽっ、

『あけて』


 目が、画面から離れない。


 ぽっ、

『あけて』


 通知が、止まらない。


 ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、



『あけて』『あけて』『あけて』     『あけて』『あけて』『あけて』『あけて』

          『あけて』                 『あけて』『あけて』

          『あけて』『あけて』『あけて』     『あけて』『あけて』     『あけて』

『あけて』『あけて』     『あけて』          『あけて』『あけて』

          『あけて』            『あけて』                 『あけて』



「いやあああっ!!」

 鳥肌が全身を駆け上がった。スマートフォンを投げ捨ててしまいたい衝動に駆られたが、端末を持った手が、画面を見続ける目が、硬直したまま動かない。

 そして、


 ぽっ、


 かちり、と音を立てて施錠されていた扉の鍵が外れた。

「うわっ!」

 七尾が慌てて都を抱えて扉から飛び退く。そして、衝撃で薄く開いた扉の縁に白い指がかかり、ず、ず、と歪んだ引き戸が開かれる。そのまま、ぽっかりと口を開けた闇から伸びる手に引き摺られるように、


 ぬう、


 と、わらわが姿を現した。その後ろには四つ足で地面を這う少女たちと、鍵束を手にした美麗が幽鬼のような表情を浮かべていた。


 美麗は鍵束をポーチに戻すと、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、周りの少女たちと同じように獣の姿勢で動き始めた。

 涎を垂らして牙を剥く少女たちは、陣形を組みながら獲物に迫る。

 三人は逃げ場のない教室をじりじりと後退する。唸り声を上げる獣の群れが近付くにつれ、髪の毛を焦がしたような獣臭は密度を増し、生暖かい呼気が剥き出しの肌を舐め上げた。

 背中に触れた壁が、これ以上の逃げ場がないことを伝えてくる。それでもなんとか後ろに下がろうと背中を壁に押し付ける。

 もはやここから逃げ出すことなど出来はしない。恐怖で締め上げられた喉に、声を上げることすら許されない。

 四方に広がる獣の中心から、わらわがこちらに向かって足を踏み出す。

 病的に白いその顔から死人の表情を滲ませて、闇を吸い込んだ黒髪と夜色の和服が、喪服のように死を暗示した。

 マキは、都は、七尾は、互いの体を庇い合い、一塊になって身を寄せ合う。

 何も考えられなかった。ただ恐ろしかった。先ほどの決意など一瞬で吹き飛んだ。恐怖で摩耗した心が、諦めろと告げていた。


 ざり。


 わらわの足が目の前で止まる。

「…………」

 沈黙。圧力。どす黒い存在感に視線を上げることすらできない。体が震え、どうしようもなく涙が溢れた。

 これで終わりなんだ。

 そう、誰もが確信した瞬間、マキが絞り出すように叫んだ。


「助けて……っ!」


 無為の懇願。そんな願いが聞き入れられるはずもなく、わらわの手が無慈悲に伸ばされる。

 マキは、恐怖から逃れるように歯を食いしばって、目を閉じた。



「………………………………」



 空白。

 静寂。

 直後に感じるはずの苦痛はいつまで経っても訪れず、透明な時間だけが過ぎていった。


「マキ」


 自分の名前を呼ぶ声。

 聞き慣れているような、どこか懐かしいような声。

 マキは、おそるおそる瞼を開き、ゆっくりと顔を上げた。

「…………わ、」

 そこにあったのは、黒に支配された教室ではなく、


「また、困りごとか?」


 闇夜を払い、暗闇を切り裂く純白に包まれた、わらわの姿だった。


「わらわちゃん!」


 白いわらわは静かに笑って目を細めた。


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