怪来怪去 一

４－３

　　　　　　　　　３

「マキさんの馬鹿！」

　朝の時間に似つかわしくない大きな声が教室に響いた。

　教室中の生徒たちがその様子を見守る中、声の主である溜井戸都が涙ながらに教室を飛び出し、眉間に皺を寄せた本影七尾がそれを追う。最後に残った境井マキはしばらくその場から動かなかったが、いたたまれなくなったのか、やがて教室から出ていった。

　三人が去った後の教室は、彼女たちの話題で持ちきりになった。仲良し三人組で通っていたグループの異変に様々な憶測が並べられる。

　境井マキが妙ないたずらでもしたんじゃないか。本影七尾が男子みたいな無神経な対応をしたんじゃないか。案外好きな相手でも被ったんじゃないか。等々…………。

　そんな下世話な好奇心に満ちた話題に溢れる教室でひとり、誰とも話をすることなく机に突っ伏して眠ったふりをする生徒がいた。

　坂田美麗。成績は下の上、体育は中の下。授業中の居眠りを咎められる以外、素行に問題はなし。占い好きなことで有名で、友達関係も比較的良好。

　出席番号は七番。席は六番である境井マキの真後ろ。

「わらわちゃん、ね」

　そう、美麗は全てを聞いていた。

　都の言葉を、七尾の焦りを、マキの動揺を。都が話し始めた時から、ずっと。

　不思議に思ってはいたのだ。最近の境井マキの変化と、それと同時に、彼女らのグループが何らかの秘密を持ち始めたということに。

　その秘密がなんなのか、初めは分からなかった。だが、マキの態度は非常に分かりやすかった。なんせ後ろの席に座っているのだ。授業中、休み時間に関わらず、彼女の周辺には常に何者かの気配があった。美麗自身は、実際にその何者かを目にしたことはないのだが、マキの反応や仕草を見る限り、そうとしか思えなかった。

　そしてどうやら、その何者かを感知しているのはマキだけでなく、マキのグループ全員であり、またそれを自分たちだけの秘密にしているらしかった。

　そしてその秘密は今、空眠りをする美麗のすぐ前で、マキたち自身によって暴かれたのだった。

　どうして？

　私が占いをしているのを知らない人なんていないのに。マキちゃんだって知っているはずなのに。知らないはずがないのに。それなのにこういう話を私にしないなんてありえない。どうして私に教えないの？　私が占いに秀でているから？　私が特別だから？　特別な私に嫉妬して、だから自分たちだけで一人占めしようとしてるの？　そんなの、

　そんなの、許せない。

　美麗は静かに席から立ち上がり、マキの席に向かう。机の上には影よりも濃い黒色の本が『わらわちゃん』と題されたページを無機質に広げていた。

　周囲の目がこちらに向いていないことを確認した美麗は、本を手に取ると素早く自分の鞄に仕舞い込み、再び自分の席で空寝入りを始めた。

　やがて戻ってきたマキは、机の上から消えてしまった本を探しているようだったが、美麗にその疑いを向けることは無かった。

　それから数日間は、ひたすらに黒い本を読んだ。

　読んだ、と言ってもあの本は難しい漢字や古い言い回しが多く、実際に読めたのは事前に知っていた『わらわちゃん』と、ほんの少しの小噺だけだった。それらの小噺も要領を得ない話や、意味の分からない内容ばかりで、結局、美麗が理解できたのは『わらわちゃん』だけだった。

　そして、いくつかの話をピックアップした美麗が、最終的に実行しようと決めたのは『わらわちゃん』だった。

「本当は別のやつがいいんだけどなあ」

　これだけ選択肢がある中で、マキと同じ『わらわちゃん』を選ぶのはオリジナリティに欠けるという不満もあったが、やっぱりよく分からないものよりは実際に効果が実証されている『わらわちゃん』にすることにした。

　決行日は『とうかさん』の夜に決めた。

　夜に子供が出歩いても不審に思われない日だ。融通の利く友達数人に「お祭りの夜に肝試しをしよう」と連絡を入れ、入念に準備をした。お祭りの後に集まって、いつものように学校に忍び込み、そしてみんなが見ている前で『わらわちゃん』を実行したのだ。

　その賞賛は凄まじかった。元々占いによってある程度の立ち位置を確立していた美麗だったが、わらわを呼び出したことにより一気に特別視されるまでになった。

　今までに感じたことのない優越感に、美麗は頬が上向くのを抑えられなかった。

　見た！？　みんな見て、これが私なの！　私は特別なのよ！　ほら、特別な私をもっと称えて！

　自分の力を実感した後は、類似者への優位性を示さずにはいられなかった。

　当てつける形でマキにわらわを紹介し、自身の特異性を誇示すると、更なる段階への一歩を宣言した。

「今夜もやることにしたの。みんなでわらわちゃんの本当の『おともだち』になるためにね」

　焦ったのか、マキは取り巻きを引きつれて「私たちも一緒に参加する」と言い出した。

　何が目的だ。もしかして私を恐れて『おまじない』を邪魔する気か？

「心配するな、わらわがついておる」

　そう、そうね。わらわちゃんがいるなら大丈夫。望むところよ。その子たちも、あなたも、まとめて私の虜にしてあげる。みんな、特別な私にひれ伏すのよ。わらわちゃんも私を手伝ってくれる。誰も私を止められない。怖いものなんて何もない。さあみんな、わらわちゃんとおともだちになろう。本当のおともだちになって、みんなでわらわちゃんを受け入れよう。

　だってこれは、わらわちゃんのための『おまじない』なんだから。