怪来怪去 一

三章 とうかさん

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　ひと月が過ぎた。

　桜並木のある大通りの側溝に溜まっていた花びらが日ごとに少なくなり、これから訪れる夏の気配を感じさせる季節となってきた。

　わらわとは上手くやっている。周囲に知られないように会話をすることにも慣れ、生活の中にわらわがいる事も当たり前になった。

　事情を知っている友人の都や七尾も、それに合わせてくれている。

　あれ以来、奇妙な出来事に出くわしたり、怖い夢を見ることもなかった。

　ただ時折、お赤飯が食べたいだの、油揚げを食べさせろだのといった要求が、わらわから唐突に寄せられた。その度に祖母にお願いをしていたのだが、祖母はそれを成長期からくる空腹だと解釈したのか、その内こちらから言わずともちょっとした料理を用意するようになってしまった。

　おかげで母にも「太るよ〜」などと謂れのない揶揄いを受ける始末であり、それがマキの頭を悩ませていた。

　それ以外はこれといって変わりのない、いつも通りの生活が続いていた。

　学校内では仲のいいグループが固まりつつあり、マキもクラス内での評価を確立しつつあった。とは言えその評価も、『平々凡々な女の子』といったものではあったが。

　ただそういうタイプは、他人と関わる際に警戒されにくいという特性がある。マキ自身、特別それを意識しているわけではなかったが、感覚的にその特性を活かして複数のグループで人間関係を構築していった。

　そういった人間はグループの橋渡し的な存在になりやすく、マキは面子が固定化していたグループ同士を繋ぎ合わせたり、やり取りを仲介したりと、いつの間にかクラスの潤滑油的な役割を担っていたのだった。

　マキとしてもそれが苦ではなく、自分がいることでクラスの雰囲気が良くなるのであれば、それは素敵なことだと感じていたし、その中で新しい友達が出来たり思いもしない関係が生まれたりすることも素直に嬉しかった。

　ただ、わらわについては都と七尾以外の誰にも話さなかった。

　特に理由があったわけではない。とは言え、わらわのことは吹聴すべきものではないというのはなんとなく感じていたし、そのことで騒ぎになるのもマキの望むところではなかったので、わざわざ誰かに言うことはしなかった。

　結果として、わらわのことはマキと都と七尾、三人だけの秘密となった。

「今年の『とうかさん』はどうするの？」

　その問いはマキの口から出たものだった。

　お昼休み。三人はいつものように机を合わせて、雑談を交えながら給食を食べていた。

　日常の話から苦手な教師の愚痴、お気に入りの動画配信者のお笑いネタと言った他愛のない雑談。わらわが時たま茶々を入れるのも見慣れた光景となっていた。

　そんな折、箸から逃げる煮豆を懸命につついていたマキが、ふと思い出したように二人に尋ねたのだった。

「そう言えばふたりとも、今年の『とうかさん』はどうするの？」

「流石に行くでしょ」

　当然、と笑う七尾。

　都はキョトンとした表情だ。

「なんですか？　『とうかさん』って」

「あれ、ミヤは今年が初めてなんだっけ」

「察するに、何かのお祭りだとは思いますが」

「うん、そうだよ。『とうかさん』っていうのはね─────」

『とうかさん』

　それは原綿市周辺に伝わる稲荷祭りのことだった。

　紡績が盛んになる以前に稲作が栄えていたこの土地は、日本各地にある農村地方の例に漏れず、五穀豊穣を司る稲荷信仰があった。

　時期は六月上旬、第一金曜日から三日間。この間、お稲荷様を祀る稲荷神社では豊穣をお祈りする神事が行われ、神社近辺でも屋台や出店などが催される。

　『とうかさん』というのは、狐を表す“稲荷”の音読みである“とうか”に親しみを込めた呼び名なのだそうだ。

　それなりに歴史のある催し事でもあるため、『とうかさん』は地域の住民に限らず全国から人が集まる大きな祭りとなっていた。

「大体こんなところかな」

　説明を終えたマキが、牛乳パックのストローを咥える。

「どうりで最近、赤い提灯が目立っていたわけですね」

　都は天井のタイルを見上げながら、下校中に見た街中の記憶を辿る。

「私がこっちに越してきたのは去年の秋頃なので、お祭りのことはよく知りませんでした」

「楽しいよ。屋台もいっぱいあってね───」

「屋台！　わらわイカ焼きが食べたい！」

　わらわが家から持ってきたおにぎりを口いっぱいに頬張りながら、祭りで食べたいものを指折り数え始める。

「浴衣の時期にはまだ早いけど、みんなで一緒に遊びに行こうよ」

「いいね」

　マキの誘いに七尾も乗った。

「ウチも道場の前に屋台を出すんだよ」

「へえ～、七尾ちゃんの家もなにかやるの？」

「父さんがね、瓦割りの実演するんだって息巻いてたよ」

「な、なんだかすごそうだね」

　焼きそばや水風船の屋台が並ぶ中、筋骨隆々な七尾の父が積み重ねられた瓦を叩き割る姿は想像以上にシュールな光景だ。

「まあよかったら見に来てやってよ。あの人きっと喜ぶから」

　茶化した笑いが広がる中、マキは先ほどから口元に手を当てて黙り込む都に声をかけた。

「ね、都ちゃんも一緒に行こ」

「…………」

「？」

　都は黙ったまま動かない。瞼を半分閉じたまま人差し指を食む姿は、心ここにあらずといった様子だ。

　堪りかねた七尾が呼びかける。

「ミヤ？　おい、ミヤ」

「……あ、はい。なんですか」

　はっ、と瞳に光を取り戻した都が視線を上げる。

「だからさ、一緒にお祭り行こうってマキが」

「お祭り……ええ、行きます。もちろん行きます」

　妙に鈍く、どこか虚ろな反応だった。

「都ちゃん大丈夫？」

「大丈夫ですよ。ちょっと考え事です」

「あんまぼーっとしすぎて階段から落ちんなよ」

「しませんよ、失礼な」

　軽口への対応を見るに、本当に考え事をしていただけのようだ。

「それじゃあ『とうかさん』は二週間後だから、また週明けに予定をまとめようね」

　ぱん、と手を合わせて立ち上がったマキと共に給食を終えた各人は、それぞれいつも通りのお昼休みを過ごし始めた。

「わらわまだ食べてる～」

　慌てて残りのおにぎりを口に詰め込むわらわを残して。