第34話

 えらい大変なことになってしまった。繋がらない電話を握りしめ、フィズは玄関を開けた。

 リビングに入ろうとして、聞こえてきた話し声に、フィズは足を止めた。


「どうしたノ、フィズちゃん?」


 付き添ってくれたリュウホが背中にぶつかった。フィズは人差し指を立てて、静かにとジェスチャーした。


「……なにか話してる」


 ドアは磨りガラスになっていて、中が見える。そこには、やはりレオーネとコニーがいて、だが、フィズの予想とは違い、彼はをしている最中だった。



「俺だって努力はしたよ。ずっと君のこと考えてた」


 レオーネがコニーに何かされるんじゃないかと思って急いで駆けつけたけど、これは、邪魔をしないほうがいいだろう。


「君がご両親を上手くいってないのも知ってたし、精一杯、君の支えになれるように頑張った」


 そうだよ、と声には出さずに呟く。レオーネは、何年経っても彼女を支えられなかった自分を責めて、それくらいにコニーのことをずっと心配していたのだ。ずっと隣に居て疲れて、少し、見えなくなっていたかもしれないけど。たぶん本当に、最初はそれだけだったのだ。

 頑張れ、とエールを送る。レオーネの気持ちがコニーに伝わってほしい。


「頼む。出て行ってほしい。もう来ないで」


 レオーネが言い終わって、フィズはそろりと目を開けた。コニーが顔を上げて、ガラス越しに目が合う。


(あ、)


 彼女がレオーネに近付いて、フィズは、その後ろにいるリュウホに目を塞がれた。真っ暗で見えなかったけど、なんとなく状況が分かって、フィズは、唇を噛みしめた。


「アイツ……」


 リュウホのイラついた声が聞こえる。フィズは、彼の手を剥がそうとして、つい握ってしまった。いつもなら怒られるけど、今日は握り返してくれる。

 ほっとするけど、それ以上に胸がざわめいて、フィズは苦しい息を吐き出した。


「行くヨ」


「へ」


 ぐいっと手を引かれて、部屋に突入する。コニーとレオーネが顔を上げて、フィズは思わず顔を逸らした。

 そんなフィズを見て、コニーはにっこりと笑う。


「……あら。フィズちゃん、こんにちは」


「う、うん……」


 あまりに彼女が堂々とするので、フィズは何だか困ってしまった。

 なんて言えばいいのだろう。思わずリュウホの手を強く握ると、彼は叫んだ。


「レオくん、顔色悪いヨ」


「え」


 顔を上げて確認すると、レオーネと目が合ってぎょっとする。

 確かに彼は真っ青で、僅かに震えていた。


「レオくん、どうしたの? 大丈夫?」


 慌てて駆け寄る。レオーネは、唇を押さえて歯切れの悪い返事をした。目線をきょろきょろと動かし、ある場所を見て動きを止める。


「……あ」


 そういえば、リュウホと手を繋いでいたのだ。何となく見られるのが嫌で、握っていたのをやめる。リュウホはフィズを一瞥すると、手を離してくれた。

 それから彼の顔を触って、悲鳴をあげた。


「レオくん、どうしたの、これ、凄く冷たい……!」


 まるで氷を触っているようだ。さっきの接触は、まさか。


「バレちゃった」


 笑う気配を感じて、フィズはコニーに目を向ける。血が沸騰するように熱い。

 無意識に彼女に腕を伸ばしたのを、レオーネが掴んだ。


「フィズ」


 冷たい手に制されて、フィズは動きを止める。

 なんで止めるんだ。レオーネを見ると、彼は少し笑って、それから耳打ちしてきた。


「それより暖めてよ」


 ハッとして、彼の手を握る。隣ではリュウホも同じようにレオーネの首筋に手を置いて暖めていた。

 慌てて魔力を流すと、コニーが呟く。


「……なによ」


 ぽつんと響いたその声が、案外寂しそうで、フィズは魔力を止めて彼女を見た。


「なんで、誰も見てくれないの」


 その目は、どこか遠くを見ているようだった。こっちを向いているのに、まるで別の誰かに語りかけているような。


「普通見ないデショ。危害加えてくるヤツなんて」


 リュウホが怒りを吐き捨てて、コニーの瞳から涙が溢れ出す。


「いつもそうよ、みんな私のこと嫌って」


「そんなことない」


 堪らずに遮る。

 この人は一体、どこに目ん玉つけて、どこを見て歩いているんだろうか。


「誰も見てないなんて、そんなことない。なんでそんなことも分かんないの」


 レオーネは、ずっと、ずっとずっと彼女を見ていたのに。きっと別れる瞬間まで、さっきだってコニーのことを見て考えて話していたのに。


「っていうか、みんなって誰? 嫌いだって、会う人全員に言われたの?」


 コニーがびくりと肩を震わせて、驚いたような顔を浮かべる。


「誰って」


 唇がはく、と動く。まるで今初めて考えたようだった。


「……ママが、私は、嫌われるって」


「なにそれ」


「パパが浮気して出てって、あんたは私に似て顔が良くないしウジウジしてるから、かわいそうだって……」


 呆れた。親に直接言われたら、世界に否定されてると、そんな風に思うだろう。


「それは呆れた妈妈まーまダネー。親と子供は別の人ダヨ」


 リュウホも同じように思ったらしい。二人で顔を見合わせると、肩をすくめ合う。


「で、でも」


 コニーが声をあげて、二人は彼女を見る。彼女は喉を引き攣らせて僅かに身を逸らした。


「私の話とか、誰も聞かないし」


「喫茶店であたしと話したの覚えてないの?」


 だとしたら残念だ。肩を落とすと、それでもと伝える。


「わりと楽しかったよ。落ち込んでる時に優しくしてもらって嬉しかったし」


 そりゃ、疑いもしてたし、本当は別のところに目的があったかもしれないけど。でも。

 優しくしてくれた時に、本当は何を思っていたとかは関係ない。優しくしてくれたことも、言葉をもらって嬉しかったことも、全部本当のことだ。


「っていうか、今話してるケド、これは違うノ?」


「え、え」


 首を傾げるリュウホに、コニーはずいぶん混乱しているようだった。彼女が頭を抱えて、下から咳払いが響く。レオーネだ。


「君逹、人が言うの躊躇ってたことをずいぶんとまあサクサク言うね」


 ごほごほと咳払いで必死に誤魔化しているが、震えている肩と、引き攣る頬で、笑いを堪えているのが丸わかりだ。


「だめだった?」


「いや……ねえ、アリス」


 首をゆっくり振ると、レオーネは彼女を呼ぶ。優しい声音に肩を跳ね上がらせると、コニーは視線を上げた。


「今まで見てたものなんて、外から見たらこんなものなんだってさ。悔しいよねなんか」


 くくっと喉で笑うと、レオーネは目を細めて、それから首を傾げた。


「今まで見てたものと、この子逹が見てるものとさ、君はどっちがいい?」


 ぱちりと目を瞬かせる。それからコニーは、目線をさ迷わせて、小さく呟いた。


「分かんない……」


 その答えに、フィズはちょっとだけがっかりした。気持ちが伝わらなかったのかなと。


「そっか。うん。ゆっくり考えてみなよ」


 けど、その答えを、レオーネは嬉しそうに受け入れて、彼女に笑いかける。

 きっと、彼には別の世界が見えていて、コニーの答えは、嬉しいものだったのだ。

 そう思うと、少し。少しだけ、羨ましくなって、フィズはレオーネの手をそろりと握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る