第33話
道具に魔法を込めるのは、ただ魔法を使うのと違って細かい技術がいる。最近ずっとカミラが隣にいたので、家に一人でいるのは、久しぶりで、だからこの仕事をするのも久々だ。
ノートを開くと、研究途中の、ベビー用品と病院でも扱うことができるスマホが出てきたので、その続きをやることにした。マニア受けするほうが高く売れるだろうが、実用性があるものを作って、魔法が普及するほうが、レオーネにとっては嬉しい。
気合いを入れて作業に取りかかる。だが、そのやる気は、ものの数分で底をついてしまった。
(やっぱり俺、機械音痴なのかな……)
頭を抱える。天敵である四角い機械を睨みつけ、精密機器達に牙を向けられたことを思い出し──レオーネは首を振った。
人類皆兄弟なんだから(スマホだけど)、頑張れば仲良くなれるはずだ。
それに、こちらにはなんと取り扱い説明書がある。三回くらい目を通してもこのザマだが、きっと読み込みが足らないのだ。
分厚い説明書を、並べてある棚から取りだそうとして、隣りにある本が目に入った。教員免許を取るための参考書だ。
「…………」
何気なく手にして表紙を眺める。
実は、ずっと憧れていた職業。ぼんやりとしか思い描いていなかったが、魔法学園に入って、色んな友人に教えるようになってからハッキリし始めた。だが、アリスが、嫌がるからと、捨てたふりをしていたのだ。
(まあそれに俺、生徒全員の相手して倒れそうだしな……)
容易い想像に苦笑を浮かべて、でもと目を落とす。ページを捲るといくつか問題を解いた後があり、懐かしさに目を細めた。
もう一度、やってみようか。ふとそんなことを思って、机に持って行こうとして──インターホンが鳴った。
慌てて玄関に向かう。机の上にあるスマホが光って、着信が入ったが、直ぐに切れた為、レオーネには見えなかった。
「はーい」
焦れるようにもう一度鳴ったので、返事をしてドアを開ける。そこにいた人物に、レオーネは驚いて固まった。
そこで笑っていたのは、レオーネの元彼女だった女。コニー・アイリスだった。
「アリス……」
呆然と名を呼ぶと、彼女は、わあっと歓声をあげる。
「そのあだ名で呼ばれるの、久しぶりね。懐かしいな」
嬉しそうな声に、レオーネはくらりと目眩のする頭を押さえる。
よく、こうやって、突然の訪問に文句を飲み込み、泣くアリスを慰めたり、一晩中話を聞いたりした。その時のことを思い出すとなんだかどっと疲れて、口の中が苦くなるような、そんな錯覚がする。
「どうしたの?」
アリスは、きょとんと瞳を瞬かせると、黙り込むレオーネの顔を覗き込んだ。思わず仰け反って、そのまま蹌踉けた。たたらを踏むレオーネに、アリスは手を伸ばすが、それをやんわりと拒否する。
「あ、」
アリスの顔が傷ついたように歪む。後悔した。空気が、変わった。
「ど、どうしたんだよ急に。今まで連絡してこなかったのに」
「あら。連絡したら取り合ってくれたの?」
急いで取り繕うも、彼女はそれが分かっているのか、急に冷たい態度を取り始める。鼓動が早く脈打って、胸が締めつけられるような、そんな気分になった。
「ええと……」
「引っ越しまでしちゃって。捜すの大変だったのよ」
自分の靴が目に入って、上からアリスの声が聞こえてくる。学生の頃と同じ構図に気分が悪くなっていくのを感じた。込み上げてくるものを押さえるように口元を覆った。
彼女といるとレオーネはいつも、下ばかり向いている。仕方ない。だって、自分が──。
「…………」
無理矢理作った唾液を飲み込む。ごめんと言いかけた口を閉じ、レオーネは代わりに鼻からゆっくり息を吐き出した。
つい昨日、フィズが教えてくれたばかりなのに、また同じことを繰り返しかけた。
「……っていうか、どうやって見つけたんだよ」
だめだな。そう思って、レオーネはとりあえずの疑問をぶつける。コニーは片眉を上げると、なんでもないことのように答えた。
「あら、簡単よ。カミラちゃんだって、この家に着けたんでしょ?」
「……どこまで知ってるんだか」
はーっと深いため息を吐く。アリスは目を眇めたが、何かを振り払うようににっこりと笑った。
「ね、とりあえず入れてもらってもいい? ここ寒いんだもの」
甘えるような声音にぞくりとして、小さく首を振る。
「……だめ」
心臓が痛い。昔、彼女を拒絶するのは、世界を捨てるようで怖かった。でも、そんなことはないのだ。
レオーネの傍でずっとそれを教えてくれていたフェリオも、気づかせてくれたフィズだっている。
「俺だけの家じゃないし、もう他人だろ」
拳を握って、拒絶の言葉を投げる。掠れた声だったけど、でも、やった。うるさい心臓を押さえて、レオーネはそっと口角を上げた。だけど。
「そんなにあのフィズって子が好きなの?」
冷水を浴びせられたかのように、浮上しかけた頭が冷える。
「フィズのこと知ってるの?」
何が起きているのか分からなくて、疑問のままに問いかける。コニーはスマホを取り出した。
「まあね。ちょっと知り合いなの。番号だって知ってるわよ。ほら」
そう言って見せられたスマホには、確かに彼女の番号が登録してあった。
「貴方、本当にああいう子が好きね。さすがフェリオくんの妹っていうか、同じようなところがあるわ」
息を吐くと、コニーは顔を顰めて、それから試すような視線をよこす。さすがに、何もしないとは、思う。思うが、それはレオーネの願望でしかないかもしれない。
ごくりと唾を飲み込み、レオーネは、震える手を押さえて、彼女を部屋に招いた。
リビングに案内して、彼女が座ったのを確認すると、レオーネはキッチンに引っ込む。
飲み物を入れるなんて、魔法でやれば三秒くらいで出来るが、少し考える時間が欲しかった。
(どうしよう……)
誰もいないキッチンで、レオーネは痛む頭を押さえる。
どこかに出かけようと誘えば良かった。後から出てきた選択肢に、レオーネは堪らずしゃがみこむ。
どうやったら彼女は満足して帰ってくれるだろう。いや、満足させていいのか? また来るようになって、関係がずるずる続いたら。
でも、フィズに危害を加えることを考えると、それなら、まだ関係が続くほうがマシかもしれないとも思う。
あの時は、どうしてたんだっけ。昔を思い出して、それは嫌だなと考えを投げた。別の子と暮らしている場所で、そういうことをするのは、ちょっと。
「いやいや……」
そうやって、なあなあにしてたから、ああなったのに、何を考えているのか。そもそも求めてくるとも限らない。今のはさすがにアリスに悪かったなと反省して、ちゃんと彼女の話を聞いて、話し合おうと決意した。
温かい紅茶を入れ、彼女の待つリビングに戻る。
「はい」
「ありがとう」
紅茶を出すと、アリスは両手を温めるように持って、少し口に入れる。それから、顔を綻ばせた。
「…………」
こうしていると、昨日のことが夢で、こちらが現実なのではないかと思ってしまう。自分は、まだ彼女から抜け出してないのだ。レオーネは目を伏せた。確かに、依存されていたが、レオーネも彼女に依存していた。
「……それで、今日はどうしたの?」
少し待って問いかける。アリスは、目尻を赤らめると、距離を縮めてきた。
「えっ」
喉が引き攣った声をあげて、レオーネは身を揺らす。対面に座るべきだったと猛省して、レオーネは彼女と自分の間に手を差し込み、僅かに隙間を作った。
アリスは、眉を下げると、瞳を潤ませた。
「……分からない?」
さっき否定したばっかりなのに! さっき否定したばっかなのに!
自分の甘さを再認識して、レオーネは顔を覆う。パニックになっているレオーネに、アリスは首を傾げた。
「どうしたの?」
「……ごめん」
昨日までなら、断れなくて受け入れていたかもしれない。
でもそれは。「仕方ない」で応えるのは、アリスにも悪いし、自分にも良くないと分かった。
「俺は、君とはもう付き合えないよ」
アリスがの顔が泣きそうに歪んだ。手を伸ばしそうになるのを堪えて、レオーネは彼女の胸を押し返す。
「また学生の時みたいになると思う。上手くいかないよ」
アリスが、唇を動かす。紫色の瞳から涙がこぼれて、険しい顔になった。
「上手くいかないって何よ」
「……それは」
「あのね。もしそうなら、それは貴方が悪いのよ?」
ああ、変わってない。彼女から視線を外すと、レオーネは首を振る。
「そんなことない」
心臓がうるさい。静まれと唱えて、レオーネはあの時どうしても言えなかった言葉をそっと押し出した。
「俺は悪くない。昔は、君の言う通り全部俺が悪いんだと思ってたよ。でも、俺だけじゃないはずだ」
フィズが言ってくれた言葉を反芻しながら、精一杯伝える。
同じことをフェリオもずっと言ってくれていたのに、今さら気付いたのは恥ずかしいが、でも、気づけた。今度は、レオーネが頑張らないとだめだ。彼女にも、気付いてほしいから。
「……誰に言われたの、そんなこと」
レオーネの変化をハッキリ感じ取ったアリスが、鋭い目を向けてくる。
「昔と変わらないのね。他人のことばっかり考えて、肝心の私はちっとも見てくれない」
「……じゃあ、君は俺のこと考えてくれたことがあったの?」
熱いものが込み上げてくる。体が震えて、喉が痛くなった。
「俺だって、努力はしたよ。ずっと君のこと考えてた」
本当は、ただ自分が許されたかっただけかもしれない。こうやって責められないことばかり考えて、きっと彼女のことを考えているわけじゃなかった。
でも、最初からそんなことばかり考えていたわけでもない。
「君がご両親と上手くいってないのも知ってたし、精一杯、君の支えになれるように頑張ってた。でも君は?」
目の奥が熱くなった。でも、泣いてはだめだ。ぐっと堪えると、アリスを正面から見つめた。
「俺のこと、ただ利用してただけなんじゃないの?」
自分だけが伝え方を間違っていると思っていたけど、でも、レオーネだって、アリスが本当に自分が好きだったのか、よく分からない。
目を瞑ると、フィズの顔が浮かんで、なんだかほっとした。
(フィズが、いいよ)
彼女に言った言葉を繰り返し、自分の感情を噛み締めて、目を開ける。
そこは、別の世界のようだった。アリスの顔がスクリーン越しのように見えて、レオーネは、やっと彼女とお別れをした。
「頼む。出て行ってほしい。もう来ないで」
こうして頼むだけになってしまうのはなんだか頼りないが、でも、やっぱり傷つけたくもないし、警察沙汰にするのも嫌だ。
「レオーネ」
ふと顔を上げたアリスが、再び近寄ってきた。距離を取る暇もなく唇を塞がれる。ぞわりとした。
氷を飲んだのかと思うほど、冷たい魔力が入ってくる。それはあっという間にレオーネを支配して、目を開くと、アリスが笑ったような気配がした。
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