第30話
それからカミラは、アパートまでフィズを送って、さっさと車で帰って行った。
夕飯くらいは一緒に食べて行けばいいのに。そう誘ったけれど、すでに父親と約束しているらしい。
なら仕方ないかと見送って、フィズは、玄関ドアを開ける。
「おかえり」
ぱたぱたと足音がして、レオーネが顔を出す。微笑んだ彼を見て、フィズも頬を緩ませた。
「……ただいま」
やっぱり、帰って来て出迎えてくれる人がいると嬉しい。実家で家族を出迎えると笑顔になっていたけど、こんな気分だったのだろうか。
直ぐにキッチンに消えたので夕飯かと思ったが、リビングに戻ってきたレオーネが持ってきたのは、ホットミルクだった。
マグカップは熱くて、かじかんだ手にはちょうど良かった。ちびちび飲むと、胃に温かい物が入っていって、なんだか満たされる。
一息吐いたところで名前を呼ばれて、フィズは彼に目を向けた。
「ごめんね」
俯いていた彼が顔を上げて、視線が交わる。不安そうに陰る表情に、口を出しそうになるのを堪えて、レオーネの言葉を待った。
「あの、カミラは、ちゃんとお断りしたから、出て行って。もう来ないって」
「うん。さっき聞いたよ」
「……ごめん」
再び俯いてしまうレオーネに、フィズはちょっと困ってしまった。
レオーネが申し訳ないと思っているのは、充分伝わってくる。でも、それは、一体なんに対しての「ごめんなさい」なんだろう。
カミラとのことなら、彼女とちゃんと仲直りした。いや、親兄弟でもないレオーネに、カミラのことで謝られても困るし、というか、カミラがいて困ってたのは、レオーネの方じゃないのか。いや、フィズが怒ってたから、それで謝っているのか。
フィズが怒っていたのは、レオーネが相談してくれないとか、ハッキリ言わないこととか、そういう歯痒さからきたものだった。だからこうしてフィズに謝られても困るし、どうどう巡りだ。
「あ、あの、レオくんさ」
あれ。と疑問が首をもたげる。こういうのって、どうやって仲直りするのが良いんだろう。
フィズが謝るべきだろうか。いや、今それをすると、なんかマズい気がする。
「……えっと、あたしがなんで怒ってたか、分かってる?」
マズい理由は分からなかったが、勘のままに質問する。レオーネはびくっと体を揺らした。
視線が宙をさまよい、彼は後ろ頭をかいた。
「分かんないのに、謝ってたの?」
返事は返ってこなかったが、答えは分かっていた。思わず天を仰ぐ。抑えきれないものがため息として出て、レオーネはもう一度ごめんと言いかけて、ハッと口を手で塞いだ。
「……レオくんって、誰かと喧嘩したことある?」
堪らず問いかけると、レオーネは急に変わった質問に驚きつつ、頷いた。
「誰と?」
矢継ぎ早に質問すると、レオーネは視線を泳がせた。言いにくそうだが、容赦してやらないと決めたので、わざと目を眇めると、レオーネはしぶしぶ答えた。
「……元カノ」
「ふうん。どんな感じで?」
なんだかそんな気はしていたので、大して驚きもしなかった。だが、何となく、面白くはない。
突っ込んだ質問に、レオーネは口ごもったが、びくびくしながら返答する。
「アリスが……ええと、元カノが、俺が悪いことして、怒るから」
「レオくんが謝るだけだったんだね」
「……うん」
それは喧嘩じゃなくて、ただ怒られているだけだ。状況が目に浮かぶようで、フィズは渋い顔を浮かべる。この感じだと、レオーネが悪くないことも謝っていたに違いない。
「レオくんは怒らなかったの?」
「まあ……」
「なんで?」
レオーネが、ぐ、と口を一文字に引き結ぶ。眉根が寄って、イラついているのを感じたけれど、フィズは譲らなかった。
「……泣かれたくないから、かな。たぶん。最初は、そうだった気がする」
優しいなぁと、前までなら思っていたと思う。いや、今もそう思うけれど、たぶん、それだけじゃないのだ。
レオーネの喉が上下する。ごくりと喉を鳴らす音がやけに鮮明に響いた。
「……アリスは、大人しくて、すごく優しい子だったんだ。魔法の話で盛り上がることが多くて、告白されてそのまま付き合い始めたんだけど、俺が他の人に告白されるようになってきてから、なんか、だんだん束縛が酷くなってきてさ」
「…………」
「他の子と話さないでとか、魔法と私どっちが大事なのとか……そのうち勉強するよりも俺といたいって言うようになって」
それは、なかなかにしんどそうだ。魔法と人間なんて、ベクトルが別なんだから、比べようがなくて、レオーネもさぞかし困っただろう。
「誘いを断ると泣くし、魔法の話も出来なくなっちゃったし、夜中に家を訪ねて来たり……だんだん誰とも目を合わさないでとか、女の先生に質問するのもだめだって言い始めて」
「ひえ……」
「最後はちょっと……監禁されて、目の前で自殺されそうになって……フェリオとか、他のみんなが助けてくれて、彼女は自主退学したから、それから会ってないんだよな」
怖すぎる。思わず身を抱いた。
そんな経験があるなら、ハッキリ断るとか、そういう行為は難しかっただろう。
「ごめんね」
眉を下げると、レオーネはもう一度謝る。
「……はっきりしなくて。カミラにも、悪いことしちゃったな」
また自分が悪いと結論を出すらしい。貼り付けたような笑顔を浮かべるレオーネに、フィズは落胆した。
「レオくんは、いっつも全部自分が悪いって言うね」
どうやったら伝わるんだろう。首筋を擦って考える。フィズの感想に、レオーネは戸惑いつつも肯いた。
「アリスさんにも、同じこと思ってるの?」
レオーネの指先がぴくっと動く。彼は鼻に皺を寄せると、なんだか言い聞かせるように呟いた。
「だって俺が悪いだろ。大事にしなくて」
きっと、今日のフィズもこんな具合だったんだろう。リュウホの反応を思い出して、フィズはみぞおちの辺りを押さえる。
フィズはリュウホがいたけど、でも、レオーネはそういう人が──いや、フェリオがいたはずだ。でも、受け取れなかった。
「レオくん、充分大事にしてあげてたんじゃないかなぁ……」
「いや……」
今回もそうらしい。否定の声をあげたのに、レオーネはフィズと目が合うと口を閉じた。
「あ、いや、ごめん」
「レオくん」
ピンときて、彼に声をかける。
「ゆっくりでいいよ。言ってみて」
レオーネが瞠目した。ぽかんとする彼にフィズもゆっくりと声をかける。
「
きっとこれは、レオーネが言ってほしかった言葉なのだ。彼はずっと正解を言っていたのに、自分でも気付いていなかったのだ。
「……アリスは、両親とあんまり上手くいってなかったらしくて、頼れるのは俺だけだったんだ。だから、ちゃんと俺が大事にしてあげなきゃいけなかったのに」
そんなことないと叫びたかった。でもきっと、誰にそう慰められても、思うことは変わらなかったのだ。口に出すのを飲み込んできたのだ。
それなら、せめて黙って聞いてあげよう。そう決めた。レオーネが大事にしていた、していたかった言葉を、今度は飲み込んだりしないように。
「大事だとか、好きだとか、ちゃんと言わないと伝わんないんだなと思ったんだ。そんなこと、アリスには一度も言ったことなくて」
声が途切れる。視線をそろりと上げるレオーネに相槌を打つと、レオーネは胸を撫で下ろした。
「言葉がなくても伝わるなんて、よっぽど気が合うか、普段から態度でちゃんと伝えてるからなんだよね。『好きだ』とかは恥ずかしくても、せめてなにかあったらお礼を言うとか、目を見て話すとかさ。俺は、その伝える努力をサボりまくってたんだなって」
初めて魔法を習った時のことが頭を過ぎる。
あの時、彼は、どういう気持ちでこれを言っているのだろうと思っていた。素敵な考え方だけど、口に出すのはちょっと恥ずかしくて、でもレオーネが大事にしてるならと受け止めたことだ。
あれは、きっと、罪悪感からきていたのだ。
「俺が悪いんだ」
だから、どうしてもそこに行き着いてしまうらしい。
フィズは、彼の頭に手を伸ばし、撫でようとして──チョップをした。
「やっぱりレオくんって、誰かと喧嘩したことないでしょ」
目を白黒させているレオーネににやっと笑いかける。結構な力でやったからだいぶ痛いだろう。僅かにすっとした。
「全部自分が悪いって、そう思うのは簡単だよ。謝ったら誰とも話さなくてもいいもんね。でも、そうしといて、なんで聞いてくれないのって思ってたんでしょ」
「それは、」
責めるようなフィズに、レオーネはなにか言おうとしたが、目線を逸らす。
ああほら。そうやって、喧嘩をする機会を失ってきたのだ。
「……そうかも」
「でしょ」
「俺、昔から、先に謝ったら、『大人だね』って褒められてて」
「全然大人じゃないよ。逃げてるだけだもん」
誤魔化すように言い訳するのをぴしゃりとはね除ける。彼はまた言葉を飲み込んだ。
レオーネの言うことは、蚊帳の外のフィズからすると、何言ってんだこいつって感じだが……でも、ずっと悩んできたレオーネに、そんなことは言いたくない。
クレアはどんな風に言ってくれたんだっけ。寄り添ってくれた彼女を思い出して、フィズはレオーネの手を取った。
「前に喫茶店で言ったこと、覚えてる?」
肩を揺らすレオーネに、少し笑って、顔を覗き込む。
「レオくんがあたしのこと大事にしてくれてるの、ちゃんと知ってるよ。すっごく嬉しい」
あの時、フィズもレオーネのことを大事にしたいなと思って、それから大丈夫かなと不安になった。
「でも、レオくんがあたしのこと大事にし過ぎて、自分のこと大事にしないのは嫌なんだよ」
伝わりきらなかった事を、ゆっくり、噛み締めるように伝える。フィズが握った手が動いて、レオーネは拳を握った。
「あたしね、不安にさせちゃったレオくんも悪かったかもしれないけど、レオくんのことが好きって言いながら、レオくんの交友関係を切っちゃうのは、アリスさんがやり過ぎだなって思うんだ」
部屋は暖かいはずなのに、ひやりと冷たいその手に、魔力を流す。
「チェルシーとか、リュウホとか、ロイとかさ。誰かと友達になった時、レオくんはあたしに良かったねって言ってくれるじゃん。あたしもそう思いたい。大事にしてくれるのは嬉しいし……」
そこで言葉も魔力も切ると、フィズは、顔を下げて深呼吸をした。
「……レオくんに恋人が出来たら寂しいけどさ」
本当、想像以上に寂しかった。自分が蔑ろにされている感覚もあっただろうけど、あれがもう一度来たら耐えられないかもしれない。でも。
「でも、もしあたしだったら、自分のせいでレオくんが一人になっちゃうのは嫌だな」
レオーネが目を瞠る。力が抜けた拳の指を一本ずつ解くと、手を繋いだ。
「だから、レオくん一人が全部悪かったなんて、絶対にないと思うんだ。そこはアリスさんがだめだし、レオくんも譲っちゃだめだよ」
どっちが悪いの、なんて、誰かと喧嘩する度に言われてたことだ。だけど、最後は、二人の悪かったところをちゃんと明確にして、お互いに謝っていた。
この人は、そんな当たり前のことをしてこなかったのだ。
「あたしもレオくん大好きだし、大事だよ」
もう一度魔力を流す。ぽかぽかしてきて、フィズは顔を綻ばせた。
「レオくんは、あたしとアリスさんの『好き』と、どっちがいい?」
繋いだ手に指先を絡めると、放心したようにフィズを見ていたレオーネが、じわじわと顔を赤らめて、そっと呟く。
「フィズ……」
「ん?」
「……フィズがいい」
よく出来ましたとばかりに頭を撫でる。
レオーネは、冷めない熱を冷ますかのように、長い息を吐いた。
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