第28話

 放課後になった。だけど、フィズは実家に帰ることもせず、かといってレオーネが待っている家に帰ることもせず、なんとなく図書室で過ごしている。

 横では、リュウホが勉強をしていて、カウンターではクレアが本を読んでいた。彼女は、図書委員らしい。

 学園の図書室には初めて来た。だけど、魔法が主題の小説や資料がたくさんあって新鮮で楽しかった。

 色んなものに目移りする中、「勇者と魔物」の関係が書いてある資料を見つけた。なんとなく興味を惹かれて、捲ってみる。なかなか面白そうだ。借りてじっくりと読んでみたい。

 貸し出しカウンターに持って行くと、クレアが申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんね……それは借りられないの」


「え、なんで?」


「図書室はネー、持ち出し禁止の本がいくつかあるんダヨ。それは禁止のやつダネー」


 上手く説明出来ないクレアの代わりに、いつの間にか近くに来たリュウホが教えてくれる。

 彼の指摘通りに表紙を捲ると、確かにそこには、持ち出し禁止だと書かれてあった。


「…………」


 思わず眉を顰める。口を一文字に引き伸ばして考え込んでいると、クレアが不安そうにしているのが見えたので、慌てて笑顔を作った。


「ごめん。そんなのがあるんだって、びっくりしちゃった」


「確かにネー」


 横でリュウホがへらっと笑う。間延びしたしたリュウホの声に安心したのか、クレアも微笑んでくれた。


「借りるってことは、フィズちゃん帰るノ?」


 どきっと心臓が跳ねる。一日を終えると、なんだか実家に行くのも億劫になって、かと言って家に帰るのも嫌で、迷っていたところだった。


「借りるだけ借りとこうと思って……」


「結局どうするか、決まったノ?」


 リュウホがこうして突っ込んで聞いてくるのは珍しい。リュウホは後ろ頭をかく。


「決まってないなら、ボクはお家に帰ったほうがいいと思うヨ」


 少し言いにくそうに、だがハッキリと言われて、フィズは視線を下げた。


「帰り辛いのも分かるケド、今日を逃すと帰り辛くなっちゃうヨ」


「そうかなぁ……」


 自身に問いかけるように呟いて、フィズはつま先を丸めた。

 本当は分かっている。今日帰らないと、たぶん週明けからも、なんだかんだ理由をつけて帰らないだろう。


「是」


 その呟きに、リュウホは大きく頷くと、隣のクレアに話しかける。


「ネ、クレアちゃん」


「えっ!? あ、う、うん!」


 いや、クレアは分かってないのでは、と思ったが、先に補足してくれた。


「お家の人と喧嘩して、帰るのが嫌なんだってサ」


「た……大変ですね……」


 そのクレアの表情が、本当に大変そうで、なんだかほっとした。


「でも、帰らないと、お家の人が心配するよ」


 だが、次の言葉で、吐き出そうとした息を飲み込んだ。

 それも、分かっている。なんか、レオーネは真っ青になりそうだし。


「私、双子の片割れとよく喧嘩しますけど……いなかったらやっぱり心配しますし」


「何も言わずに出てきちゃったんだってサー」


「ええっ」


「…………」


 その慌てっぷりを見ていると、少しだけ落ち着いて、でもその分気持ちが下がっていくような、そんな気分になった。


「うん、分かった。帰ろうかな」


 これ以上この場にいたくもなくて、そう言うと、リュウホがゆっくりと微笑んだ。

 安心する彼に、唇をぎゅっと結ぶ。ふと浮かんだのは、コニーの顔だった。

 もうなんでもいいから、投げ出して彼女のところに行こうか。そう思ったのを、読んだかのように、オリヴィアが顔を出した。


「フィズ──ああ、いた。良かったわ」


 彼女は、フィズの顔を見ると、顔を綻ばせた。近づいてくると、怒ったような顔をした。


「あなた家から黙って出てきたんだって? 家の人から電話がかかってきたわよ」


「うえっ」


 衝撃に思わず肩を揺らす。オリヴィアは腰に手を当てて、びしっと指を突きつけた。


「伝言よ。『迎えに行くから校門前から動かないで』って。伝えたからね。ちゃんと行きなさいよ」


 それだけ言うと、彼女はさっさと図書室を出て行った。

 逃げ場がなくなってしまった。息が詰まって苦しくて、ゆっくりと深呼吸をする。

 まずは、教室に置きっぱなしにしている荷物を取りにいかなければ。

 重い足を踏み出したところで、クレアが引き止めるように声を出した。

 視線を向けると、彼女は、フィズに顔を向ける。初めて正面から見たクレアの瞳は、綺麗な緑色で、少し気圧された。


「あ、あの」


「?」


「良かったら、なんで喧嘩をしたのか聞いてもいいかな」


 ちらりとリュウホを見る。少し口角を上げたのが、いいんじゃないと言っているようだった。

 リュウホが止めないなら、じゃあいいか。そう思って話し出した。

 話が終わると、クレアはただでさえ丸い瞳をさらに丸くした。


「優しいんだね」


「……そうかな」


「そうデショ。絶対二人が悪いヨ」


 横槍を入れてくるリュウホに、苦笑を浮かべる。クレアはフィズの顔を覗き込んだ。


「……『でも、ちょっと言い過ぎたなぁ』って思ってる?」


 図星を突かれて、ぴくりと指先を動かすと、その手を掴まれた。


「大丈夫だよ。二人ともたぶん怒ってないと思うよ」


 胃に詰まっていたものが溶けていくような、すっとした気分に、フィズは瞠目した。クレアはカウンターの下から、スマホを出す。


「あ、あのね。連絡先教えてくれる?」


 突然どうしたのだろうか。戸惑ったけれど、歓迎だ。アプリの連絡先を交換した。

 思わぬところでかわいい子の連絡先をゲットしてしまった。クレアの名前が表示されているのを見つめていると、彼女が顔を寄せてくる。


「えっとね。帰り辛いの、ちょっと分かるんだ」


 顔を上げると、至近距離で目が合った。目尻を赤らめると、クレアは言い訳するかのように早口で話し出す。


「あ、もちろん、フィズちゃんの気持ちはフィズちゃんにしか分からないから、私にこんな風に言われるのは嫌かもしれないけど……」


「ううん。そんなことないよ」


 即座に否定する。

 だって、なんだか楽になった。肩の力が抜けて、ようやく強ばっていたことに気づく。クレアははにかむとスマホの画面を見せてきた。そこには、フィズの名前が表示されている。


「えっと、だからね。もしまた何かあったら、私で良ければ話を聞くから、連絡してきてよ。お泊まりも歓迎だから」


「うん」


 素直に感心した。人見知りだと言っていたのに、まだ出会ったばっかの人に優しくできて、なんかモヤモヤしていたものを晴らしてくれた。


「ありがとう。クレア」


 反対の手で握ると、クレアは目を瞬かせて、へにゃりと笑う。


「リュウホも、ありがとう。へへ、そうだね。あたし悪くないもんね」


 隣で見ていたリュウホに向かってガッツポーズを作る。リュウホは、すっかり見慣れた意地悪な笑顔で、フィズのほっぺたを突いた。

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