第26話

 学校に行くだけなら到底必要のない大きな鞄をよいせと背負い、フィズは辺りを見回す。

 今日が学校で良かった。教育機関に初めて感謝しながら、フィズは音がしないように、玄関の戸を閉めた。

 さながら夜逃げのようなことをしている理由は簡単。

 恥ずかしいので、雲隠れしたいのだ。

 昨夜の号泣してしまった事を思い出すと、顔から火が出そうだ。穴があったら入りたい。

 そんなわけで、二人と顔を合わせないように早朝に荷物を纏めて出てきたのである。


「う、重いな……」


 二泊+学校の用意は、ちょっとした荷物だ。普段あんまり荷物を持たないフィズは肩が凝りそうだった。

 チェルシーに会うまでの我慢だ。首を回しながら街を歩く。泣いた後は疲れて寝てしまったので確認はしていないが、チェルシーの家に泊めてもらうつもりだ。

 もし彼女の家が無理だったら、兄の住まいに行くか、実家に帰ればいいし、最悪山でキャンプしてもいい。何でもいいから、とりあえず今週末は外で過ごしたかった。レオーネへの連絡は、後でも良いだろう。

 時計を見ると、まだ六時半だった。いつもなら、布団から出ようか迷っている時間だ。

 とりあえず、お腹が空いた。モーニングが食べられる喫茶店に入ると、カウンターでトーストを頼む。

 早朝だからか店内は空いていて、テーブル席にしか人がいなかった。どさっと荷物を横の椅子に置かせてもらう。

 服というのは、軽いけど、かさばってしまって、それだけで億劫になる。

 長い息を吐いて、ふと視線を感じた。大きい荷物が気になっていたのか、ちょうどこちらを見ていた女性と目が合って、フィズは思わず、あ、と声をあげてしまった。


「あ、やっぱり、この前の子よね?」


 その反応に、彼女は、コニーは嬉しそうに笑う。話し始めたフィズ達をマスターがちらりと見たので、フィズもコニーに視線を送ると、彼女はにっこりと頷いた。


「どうぞ」


 やれやれ。もう一度荷物を移動させないといけないらしい。リュックに手を伸ばすと、制止がかかる。


「大変だろうし、そのままでいいよ。盗まれたりしないように見ておくから安心しなさい」


「ありがとうございます」


 なんて優しいマスターなのか。今日は手持ちが少ないので無理だが、今度またお金を使いに来よう。お言葉に甘えて、そのまま彼女の向かい側に座った。


「ええと、コニーだよね」


 へらっと笑うと、コニーは目を瞠る。


「覚えててくれたのね。どうもありがとう」


「ちょっと前のことだしね」


 はにかむフィズに、コニーは眉を下げた。


「フィズちゃんは、なにかあったの? 目が腫れているわよ」


「…………」


 一瞬、息が止まるほど驚いた。だけど、想定の範囲だったので、動揺を悟られないように笑顔を作る。わざわざ言う必要もないだろう。


「色々あって」


「お待たせ」


 適当に答えを濁すと、ちょうどマスターがトーストを運んでくる。腹の虫が音を立てた。

 出てきた食事を見ると、トーストの横にスクランブルエッグとサラダがあった。ジュースも置かれる。


「あの、これ……」


 コニーの分だろうか。そう思ったが、彼女はすでに珈琲を飲んでいる。マスターを見ると、彼はハンカチで目元を押さえた。


「いいんだよ。サービスするから、いっぱい食べなさい」


 鼻をすすると、コニーといくつか言葉を交わし、さっさとカウンターに戻ってしまう。半ば強引に押しつけられて、困ってコニーを見ると、彼女は微苦笑を浮かべた。


「朝はあんまり食べないほう?」


「ううん……」


 昨日は、夕飯も食べずに寝てしまった。フィズだって、出来るならこれを胃に入れたいが、頼んだものと値段が違いすぎて、いいのかなという気分になる。

 だが、彼女は今度こそはっきり苦笑を浮かべると、珈琲をすすった。


「じゃあ貰っておきなさい。もう作っちゃったんだから、無駄にするほうが悪いわ」


「…………」


 コニーの言うことも一理ある。ようやく納得して、フィズはフォークを手に取った。コニーはカウンターをちらりと見ると、声を潜めた。


「あの荷物はどうしたの?」


「え?」


「女の子が目を腫らして、あんな大荷物抱えてこんな時間にうろついてたら、変な人が寄ってくるわよ。マスターみたいな人ならまだしも」


 ちょいちょいと後ろのカウンセラーを指されて、フィズは視線をそこに向ける。目が合ったマスターは、涙を拭っていて、そこでフィズは、家出少女に間違えられていたことを理解した。

 あながち間違いでもないが、あの中は、二泊分の服しか入っていない。週が明けたらさすがに帰る。……たぶん。自信が無くなってきた。


「友達の家に泊めてもらうの。学校の準備もあるから、いっぱいになっちゃって」


「そう。行く宛てがあるならよかったわ」


 コニーがほっと胸をなで下ろす。心配をかけてしまったらしい。少しだけ居心地の悪さを感じながら、ジュースを口にする。

 そこでマスターが氷を持って来てくれて、目に当てて冷やした。ひやりとした感触がフィズの目を覆う。背筋が凍るようだが、目に見えて腫れているらしいので、我慢した。みんな心配してしまうだろう。

 泊めてもらうに当たって、チェルシーには事情を話そうと思っている。それから、リュウホにも話してもいいが、その他の人に広まるのは嫌だ。腫れが治まるといいのだが。


「フィズちゃん。あの荷物持って、学校まで行くの?」


 ふと、コニーがした質問に、フィズは改めて自分の荷物を見た。

 服が入っている鞄と、学校の道具が入っている鞄。重くて持てないわけじゃないが、とにかく大きくて邪魔だし、肩が凝る。

 渋い顔をするフィズに、コニーは察したようで、ある提案をした。


「良かったら、お泊まりの荷物は、うちに置いていく?」


「え?」


 いきなり何を言い出すのか。いや、提案自体は有り難いが、ほとんど初対面の人の家に荷物を置きっぱなしにするのは気が引ける。なにかあった時、疑うことになってしまうのも申し訳ない。


「あ、家じゃなくって。お店のほうね。さすがに出会って二回目の子を家に連れてったりしないわ」


 フィズの考えが読めたのか、コニーは慌てて付け足す。善意で申し出てくれた人に向かって「信用できないから嫌だ」なんて言えないので、分かってくれて助かった。

 それでもどうかとは思うので、断るけれど。


「ううん。友達の家のほうが店より近いから、頑張るよ」


「そうなのね。ふふ。心配し過ぎちゃった」


 気の抜ける笑顔にレオーネを思い出し、満たされた気持ちと、それ以上に寂しい気持ちとで混ぜ込ぜになる。こうして会ったばかりの人がこれだけ心配してくれるのだから、レオーネはどれくらい心配するだろうか。

 して、いつも通りにするべきだっただろうか。


(いやいや……)


 今フィズが流してしまったら、レオーネはもうこの話に触れないだろう。カミラにああ言った手前、仲直りを適当にするのは、かっこ悪い。


「コニーは、今から出勤なの?」


「そうよ。私ともう一人でやってる店だから大変なのよね」


「え、二人? 大変だね。サボれないじゃん」


 コニーと他愛もない話をしながら、朝食を食べた。

 彼女は、少し早口で聞き取りにくいが、元々あまり口数が多い方ではないらしい。第一印象は騒がしいお姉さんだったが、魔法の話にならなければかなり大人しめの人だ。正直かなり驚いた。

 魔法が絡めば、それはもう戦車も逃げ出すくらいのマシンガントークをみせてくれたが。


(半々くらいには出来ないのかな……?)


 話自体は面白いのだが、いかんせん早くて量が膨大なので、聞き取るので一苦労だ。普段と半々くらいにならないのだろうか。フィズはコニーと二人で店を出た。

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